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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

お墓参り 行ってる?【図書館便り】

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こんばんは。にゃんちーです。

今日はお墓参りに行ってきたのだ!ということで、お墓参りについてちょっと小話。

うちは仏教なので、宗派に多少の違いはあれど、仏教に絞って書いていきます。後半はほとんど、おばあちゃんとの話。

 

 

はじめに お墓参りって行ってる?

お墓参りって、盆暮れ正月くらいで、あと、行ってる??

地元から離れて生活していたら、滅多に行けなかったりするよね。うむ。

 

館長ことにゃんちー、今年の目標(やりたいこと)のうちの1つが、毎月のお墓参りです。とりあえず1月はできた◎

去年の12月も暮れにお墓参りに行けたので順調、順調◎

 

月命日とか言っていると、うちのお墓には故人が4人もいらっしゃるので、月4回…えらいことになります。笑

なのであまり縛られずに、でも月1回くらいは顔出したいなーって感じです。

にゃんちーのご先祖様が眠る菩提寺、そこそこ遠いのです。それもあって月1回。

車で片道1時間半。往復3時間かかるので、お墓参り行くだけで午前中が終わるっていうレベルで結構キツイ。それでも、みんな(ご先祖様)に会いたいなって思うのだ。

 

そもそも お墓参りって

お墓の手入れがなされていなくって荒れ果てている状態も珍しくない昨今。

それはそうだよね。

みんながみんな、地元に残っているわけじゃないもの。地元から離れた大学に進学し、そのまま就職って方も多いもんね。そもそも、自分の実家と、本家が遠かったりすることもあると思うしね。

 

お墓参りって、単純に言えば先祖供養なのだけど、個人的には、小さな或いは日常的なお葬式、だと思っています。

お墓参りって、普段にはない、故人を偲ぶ時間だからです。家に仏壇があれば別ですが、今どき仏壇ないお家も多いです。そもそも、本家にしか仏壇ないしねぇ。

故人を偲ぶという点で、お墓参りはお葬式と同じだと思っています。本当のお葬式の様に、盛大にお見送りしないだけで。

 

私、お墓参りに行くと、いつも思うことがあります。

おばあちゃんに会いたいな、ひいおばあちゃんに会いたいな。夢でいいから出てきてくれないかなーって。天国でみんなで元気にしてるかなー?って。

 

私はおじいちゃんとひいおじいちゃんには会ったことがなにのだけれど、私の趣味趣向がおじいちゃんと全く一緒だそうで*1もし生きていたら気が合っただろうなー、とか思います。

会ったことないのに、会いたいと思うのは不思議な感覚です。

 

そして、一緒に過ごした時間がある人を懐かしむ気持ちは、なんともホッコリするのです。その人と居た時間というのは、確かに存在していたのだけれど、相手はお空の上ですし、もう私の心の中にしかないものだからです。

亡き人を想う時間が、お墓参りなんだなーって思っています。

そう考えると、お墓参りに行けなくても、時々思い出してあげることで充分なのかもしれません◎

 

 

お墓参りのお供え物

お墓参りのお供物ってあるじゃない?

お線香とか、お花とか。なんとなーく、それらを持っていくけど、意味はよく知らない。

お墓参りの際に全部揃えて持っていくことは珍しいと思うのだけれど、お盆を思い浮かべてもらうと分かりやすいのであります。

 

お供え物は五供(ごくう・ごく)と言います。

仏壇へのお供え物も同じなんだけど、仏さんって香りを食べると言われているのだ。

 

①香り:これがお線香です。お線香の煙が、あの世とこの世を繋ぐとも言われます。

②お花:これも香り。

③灯明:ロウソクの灯です。仏教では、世の中の全てを照らす光と言われています。

④ご仏前:飲食(おんじき)といって、基本的には炊き立てのご飯。

     炊き立てのご飯のいい香りを食べるってことだと思う。

     ちなみに、別に他の食べものがダメってことじゃないらしい。

⑤お水:死者は喉が渇くと言われている。お墓に水鉢があると思う。それが、飲み水。

    このお水に関しては宗派でかなり違うところかも。

 

 

今と昔では事情が違うので、なんとも言えないところなのだけど、滅多にお墓参りに行けない場合は、お花はお供えしたら帰るときには下げちゃったほうがいい。朽ちてしまうので。お花、勿体ないと思っちゃうんだけどね・・・。

食べ物をお墓の前において帰ると、カラスに食い漁られるので、これも下げた方がよかったりする。これは、お墓の場所にもよると思う。お寺の敷地内にあるなら、食べ物は本堂にお供えすればいいだよね。

にゃんちーのとこは、お寺の敷地内にお墓があるので、いつも本堂にある位牌(いはい)*2にも行って、お線香あげて、お小遣いおいてくる。みんなで美味しいもの食べてねーって。

勿論、そのお金が寺の懐に入るのは承知の上ですけど、気持ちの問題ね。

 

 

おわりに おばあちゃんが教えてくれたこと

にゃんちーの歳の割には、こんな事、よく知ってると思う。(自分で言ってしまった。)

実は全部、今は亡きおばあちゃんが教えてくれたのだ。

私は家を継ぐわけではないから、こんこんと教え込まれたわけではない。小さい頃の私は、何につけても、すぐになんで?と聞いてしまう「なんでなんで博士」だったので、それに答えてくれていただけだと思う。

おばあちゃんが仏壇に炊き立てのご飯をお供えするのを見て、なんでご飯あげるの?と聞けば、仏さんは香りを食べるんだよと教えてくれた。それでお腹いっぱいになるの?と聞けば、ご飯だけじゃなくてお線香も香りだからお腹いっぱいなるんだよと。

聞けばなんでも教えてくれる、おばあちゃんだった。

 

優しい嘘

おばあちゃんにとって私は初孫だったので、とてもお世話になった。

 

だけど本当は、私とおばあちゃんに、血のつながりは、ない。

それでも分け隔てなく可愛がってくれたこと、色々経験させてくれたこと、教えてくれたことに、とても感謝している。

 

私は随分前に、おばあちゃんと血縁関係がないことを知っていた。

(知った時は結構衝撃的だったのよ!戸籍謄本見て、おばあちゃんの名前違う!誰や!?ってなった)

それでも、おばあちゃんは、死の間際まで、私と血縁関係がないことには触れず、私の母=おばあちゃんの長女 が産まれた時には・・・と話てくれていた。私のおばあちゃん、私の母にとっては継母なので、おばあちゃんの子ではない。つまり嘘の話。

私は私で、血縁関係ないの知ってるよ、なんて言わず、おばあちゃんの話をうんうんと聞いていた。互いに嘘をつきあっていたわけなのだが、この時私は、「優しい嘘」ってあると思った。

私は今でも、この優しい嘘を守っている。本当は知っているなんて、お墓の前でも言わないのだ。優しさをそのままにしておきたいのだ。

 

お墓参りに行くと、いつも思う。

一人で生きたわけじゃないんだなーって。先祖代々・・・とか、そんな壮大なことを感じるわけではなくて、もっと個人的な想い。

一緒に旅行したこととか、教わったこととか思い出す。それを俗に、想い出と言うのだと思う。想い出を大事にすると時間を持つと、一人じゃないんだって気が付く。そんな感じ。私にとって、お墓参りはそういう意味もある。

 

図書館便りが、館長の独り言徒然草みたいになってしまった💦

今日はこの辺で。またにゃん🐈

*1:母談:写真、ギター、読書、メモ魔、たばこ。私は祖父の趣味など知らなかったけれど、私の趣味趣向のこれら一式揃った時には、あんたはまるでおじいちゃんだわ!と、笑われたものです。今でも言われるので、本当に似ているんだと思います。

*2:ご先祖様の戒名とか書いてある木の札みたいなやつ(解説が雑だ。笑)