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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

SNS疲れちゃったな…その理由【頭の中の本棚より】

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こんばんは。にゃんちーです🐈

このところ、頭の中の本棚=私の考えていること・感じたこと の蔵書が増える一方です。本の感想を楽しみにしてくれている方が多いと思うんだけど、ごめんよ🙇とほほ。

 

さて。今日はSNSとの付き合い方について考えてみたのです。

 

 

はじめに (基本的に)SNSって楽しい!

スマホを持っている人がほとんどのこのご時世、SNSやっていない人が大半じゃないでしょうか。

今、みんな、どのSNSやってるんだろう??

 

 

にゃんちーこと、私。今は諸事情により匿名でやっているSNSと言えば、Twitterのみ。

(LINEは連絡手段なので除く。)

じゃあその前はというと、FacebookもTwitterもInstagramも全部やってた。笑

全部同時進行というわけではなく、Facebookから始まって、ブームとともにSNSを転々としていた感じです。アカウント削除するまでは、投稿する頻度に差はあるけれど。それだけ楽しかったのかもしれない。

 

SNSってやり始めは、いつも凄く楽しい!

それがFacebookのようにリアルな友達のつながりであろうと、Twitterのようにリアルから派生して見知らぬ人と仲良くなれたりとか。Instagramも同じで、新たに誰かと繋がったり、同じ趣味や嗜好で盛り上がったりと、リアルではないけど半リアルみたいな感じがとても楽しい。

なんだか自分の世界が広がった気がするしね◎

リアルだったら知り合えないような人と、ネット上で知り合える。いや、本当に意気投合してマジでリアルに会えるってこともある。そう考えると、凄い面白い世界だよね。

 

 

突然にくる SNS疲れ…

本当にSNSを楽しめてる人って、正直羨ましい。

こんなことを言うと、情緒不安定な人に思われてしまいそうだけど、私、結構な頻度でSNS疲れがくる。特にこのところ、ひどく。

Twitterしかやっていないのにも関わらず、めっちゃ疲れて、不登校気味。特定のハッシュタグで繋がりを持っている人に会いに行く、まるで学校みたいで、結構楽しかったのに、だ。

 

Twitterだけじゃないんだけど、SNS、ぶっちゃけ、(たまに)疲れない?

 

ちなみにそういう時、どうしてる??

もう、素朴な疑問。マジで。

 

SNSめんどくさいなって放置。気が向いたらやるっていうのが出来る人は、本当に上手な付き合い方だなあって思う。

 

だけど、大半の人は、みんなやってるし・・・って思って、SNS開いては片っ端から💓つけていく、みたいになってるんじゃないのかなあって思ったんだ。

その状態で💓つけるのって、「私、生きてます」的な生存報告になってるじゃない?

あるいは、「(とりあえず)見てます」っていう合図。

こうなってくると、マジで全然楽しくないよね。リアルな人間関係でも消耗しがちなのに、SNSでも疲れるとか勘弁してくれーって思うじゃん。

 

じゃあその、SNS疲れってどこからくるのかな?と考えた。

 

①「有益な情報」という名の 押し付け・強制・圧力 がキツイ

これはTwitterにありがちだと思う。字数制限があるせいもあって、どうしても断定的な物言いになってしまうから。

そして、Twitterにいる人たちの属性もあると思っている。俗にいうインフルエンサーは恐らくTwitterをマジでやってる。どういうことかというと、Twitterで言われるところの、「有益な情報」とやらを、バシバシあげてくる。これによってほかの媒体、例えばブログとかオンラインサロンとか自分の金脈に誘導している。

私「有益な情報」を持っている人です→ご興味のある方はこちらへ、みたいな導線として使っている。Twitterの拡散力を最大限に利用しているという点で凄い。ただし囲い込み方がエグイ。笑

 

それが見たくないならフォローしなければいいのだけれど、実はフォローしていなくても目に入るから困るのだよね。

例えば自分のフォロワーさんが💓したり、リツイートすると、出てきちゃうんだ。

あ・・・私その人(疲れる)からフォローしてにゃいのに…ってなる。

もんのすごく自分勝手な事言っていると思う、自分でも。こんなこと書くくらいなら、もうSNS辞めればレベルな気がしてきた・・・。

 

「有益な情報」じゃないものは、無意味・無価値っていう雰囲気が苦手なのかもしれない。もうちょっと、ほっこりというか、ゆるい世界があってもいい気がするのだ。

そして、断定的なものの言い方が出来る人だけが、勝ち上がっていくというのが、なんとも優しさに貧しくて見ていて寂しい気持ちになるんです。

欲しい人には欲しい情報なのだけど、SNSと言えど、画面の向こうにはリアルな人間がいるわけで、人の気持ちが置いてけぼりな感じが、ちょっと寂しいのです。

 

 

②リア充感 半端ない (隣の芝生が青く見える現象)

これはInstagramにありがち。なにしろ写真の世界だから、余計に。文字よりも写真の方がリアルだし、楽しそうな、リッチな世界をまざまざと突き付けられているような気がしちゃうんだと思うんだ。これはFacebookも同じ。

 

Twitterだと、収益報告とか数字で書かれることが多いかなあ。

例えば、私がやってるこの図書館も、形態としてはblogなわけで、他のブロガーさんのPV数とか収益見てぎょっとすることがある。とりわけ、収益に関して言えば、私はお金払って広告外しているので赤字。

 

じゃあここ(図書館という名のblog)を収益化したいのか、と聞かれると、答えはNO!断固としてNO!

本当に自分が好きで勝手にやってるし、ここに広告を載せない理由は前に書いた通りです。そもそも、自分のビジョンはもっと先にあるから、猶更です。

広告を載せない理由については、こちらをご覧ください☟


それでもやっぱり、隣の芝生が青く見えるのよ。

悔しさもあるし、羨望の眼差しでもあると思う。その気持ちは、否定しない。

誰だって成功したいだろうし、お金欲しいし、楽しい生活したいと思うだろうから。

 

そうは言っても、自分は自分、人は人なわけで、そもそも、自分と隣の誰かさんを比べるから、こういう気持ちになって疲弊するんだと思う。

悔しいから頑張る!ってなれればOKなのだけど、自他を比べて自分なんて…って卑下するから疲れるのかもしれない。

嗚呼、ここでも誇りに結びつくのか…。(誇りの話はこちらをどうぞ☟)

 

昨今よく言われる、自分をコンテンツ化=収益 になっている人を見ると、私は途端にしゅんとしてしまようです。

そんなこと言ったって、ちゃんと会社で働いていて、食べるのには困らないくらいのお給料もらってるんだ。なんなら、好きな本を買えるくらいの余裕はあるんだ。

フリーランス万歳!の風潮が強いのもあるかもしれない。だけど、本当にみんなフリーランスになったら経済回らない気がするのは、私だけ?

 

今のところは会社員って多勢なわけで世間的には「普通」のことだけど、その普通であることの何がいけないんだろうとも思う。会社というのは器だけで、そこで働いてくれる人が居なかったら事業にならないし、会社として成立しないじゃない?

別に会社員だからって不幸なわけじゃない。会社で楽しく働けている人も大勢いる。それに、そうやって雇われる形で働くほうが向いている、ということもある。

そんなものは人それぞれであって、消耗しているとか、社畜だなんて一概に言われる筋合いはないと思ってしまう。被害妄想っぽいね、この発言💦

 

 

③ネット上の変化は光の速さ(で、ついていけない)

社会の変革よりも、ネット上の社会の変化は、本当に凄まじいスピードだと感じている。まさに光の速さで変わっていく。時々刻々と。

社会の変化をいち早く察知するには、SNSって超便利なんだと思う!流行の兆しを見つけるにも、SNSを始めネット上の社会ってすごく敏感に出来てると思うもん。

これが目に見えた、リアルな社会の変化になるには、もうちょっと時間がかかるわけだ。そういう意味では、マーケティングなんかにはいいよね。

 

ただ、この速さについていけない時、ない?

変化の速さというか、発言力ないし発信力を持つ人の移り気の速さと言い換えられるかもしれない…。

(正直、イケハヤ率いる脱社畜サロンと、はあちゅうサロンががっちゃんこした時点で、オンラインサロンは終焉を迎えたと感じた。オンラインサロンの限界も見えた。)

 

時代が変われば考え方もかわるし、それによって発言や行動がかわる。

それは分かるのだけど、おそらく、その変化に至るプロセスが見えないので、汲み取りづらいのかも。かといってイチイチ説明してくれるほど、優しい世界でもないのがSNS。

事実だけを突き付けられても、たとえそれが正論であったとしても、窮屈な感じがする。それは打算的な下心が見えるからだろうし、人の気持ちを蔑ろにしているように感じるからなんだ。

 

 

おわりに 個人的な見解・SNSとの距離感

時代も技術も色々かわっていくけれど、本当のところ、生きていくうえで大切なことは何も変わっていないんじゃないのかなって思っている。

哲学がいい例で、いつの時代も、みな、似たようなことで悩んでいるし、「今どきの若いもんは…」という台詞は、ずーっと言われているわけだし。人の悩みって、いつの時代も同じなのかもしれないなって思うのだ。

だから結局のところ、人の気持ちに寄り添えないものは、滅んでいくような気がしている。ビジネスのルール(例えば駄目だと思ったらさっさと切るという決断の速さなど)を、そのまま人間関係にあてがってしまうと、間違えるんじゃないのかな?って感じている。

 

こういうものに逐一、反応してしまうと、心が刺激されてしまうとSNS疲れになるのだと思ったんです。

学校や会社をやめるのとは訳が違う。学校は辞めたら、また行きたいと思ったところでまた受験!?ってなるし、会社辞めたら生活どうすんの!?ってなる。学校も会社も辞めるのは簡単なのだけれど、やっぱり戻ろうと思った時に、今の日本社会では再建は難しい。よほどの事情や、志や目標がない限り、私はオススメしないです、はい。

 

だけどSNSから離れたところで、どうともならない。

SNSで生きているわけではないので、リアルな生活は、何も変わらないのだ。

馬鹿と鋏は使いよう、と言うけれど、自分がSNSによって「使われる馬鹿」にならない程度の距離感って必要だなって思った。

SNSには、がっついている人、自己プロデュース力にたけている人が多いので、その距離感がとても難しく感じている。

距離感がつかめなくて疲れた時は、離れるのもあり◎

 

自分の適度な距離を探し出せたら、SNSって本当に有意義な世界だよ🐈

アポとって実際に会うことが難しいような人たちと、話すことができる。少なからずの交流は持てる。(ちなみに、私は茂木先生がそうだった)

自分の知らない世界を垣間見ることも出来る。そこにワクワクしたりもする。

SNSって、ネットの社会って、うーんと広く見えるようで、案外ちっぽけな塊(集団)で出来ていることもある。違うと思ったら、移動すればいい。

 

たまにしか行かなくたって、顔を出せば声をかけてくれる人たちもいる。私はTwitterがまさにそうなのだけれど、沢山のつながりのなかでも、そういう人間らしい優しい人たちが好きだ。

ここ(この図書館)に来てくれる人もそう。やっぱりそういう目の前の人を大事にしていきたいなーってつくづく思ったのだ。

 

話が全然かわるんだけど、言いたいことが盛りだくさんで、ぶわーって書いてしまうところ。で、話変わるけどと、まるで手紙の追伸、のような終わり方。

私の悪い癖なんだけど、これ、どうしたら直るのかにゃ…😿

 

もうちょっと楽しく出来たらいいんだけどな、Twitter。ぼそり。

今日はこの独り言で終わります。笑

最後まで私の小言に付き合ってくださって、ありがとうございました◎

最近、ビジネス書ばっかり読んでいるから頭がどうかなりそうな、館長です。

したらばまたにゃん🐈