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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

死生観【頭の中の本棚から】

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こんばんは。にゃんちーです。

今日、連投だ。普通に仕事に行きました。はい。

本日も通常運転にごじゃります。

 

読書感想文を書くにあたり、先に頭の中の本棚の1冊をお伝えせねばと。

 

タイトルが重いですが…

「死生観」について。

 

ちょっと変な子だと思われたら、是非ともスルーでお願いします。

 

 

幼いころからずっと不思議に思っていることがあります。

例えば下校時、友達に「バイバイ、また明日ね」って言う。そう言われるから、「また明日ねー!」って返す。でもこれが不思議でならなかった。

 

どうして、みんなは明日が来ると思っているの?って。

だっていつどうなるかなんて、分からないじゃないのさ。

 

それからもう一つ。

どうして「生きる」って言うのか。本当に生きているの?

だって絶対死んじゃうんだよ。産声をあげたその瞬間から、誰にも分らない「死」という、みんなに平等に与えられたタイムリミットに向かって、時間が転げ落ちていくだけじゃないの?と。

 

 

明け透けにお話しますが、小学生の頃に大量の風邪薬を(瓶単位で)飲んで「嗚呼、このまま安らかに天に召されるー!サヨナラ!最高!」って眠りについたことがあります。

でも…残念ながら昨日思っていた明日とは違っていました。

現実に明日というものが来ました…。

それはそれは散々なものでした。

気持ち的にも絶望だったけれど、まっすぐ歩けないほどフラフラで、ゲロゲロで体も絶不調でした。母には、風邪薬がないんだけど!?って怒られるし。もう二度とやるまい…と思いました。

そして、「死ねないんだ…」とも。

どんなに嫌でも生きることの必要性、を思い知らされました。

「生かされている」感をとてつもなく感じさせられました。

(なぜ風邪薬だったかというと、当時ワイドショーで話題だったからです。サプリと偽って毎日コツコツ風邪薬を飲ませた殺人事件が。)

 

決してそういう自傷行為や自殺を助長しているわけではありません。

なぜなら今、あの時死ななくてよかったーって思うから。もう何十年と経過しています。こんな風に思える日がくるなんて、当時は全く考えていませんでしたもの。

 

 

そしてほぼ同じ時期に、大好きだった曾祖母が亡くなりました。享年83歳。

その当時、100歳を過ぎた金さん銀さんという双子のおばあちゃんが、テレビに良く出ていました。

そこで祖母に聞いたんです。

「どうして金さん銀さんは100歳過ぎても生きていて、ひいおばあちゃんはまだ100歳になってないのに死んじゃったの?」と。

祖母はこう教えてくれました。

 

人はどんな形で死を迎えても、それはお役目が終わったからだよ、と。

 

つまるところ、お役目を果たさないと死ねないらしい…ふむ。で、私の役目って?って疑問に思うわけですが、そんなことは分からないわけで、それでも、その答えを聞いて「生かされてる…」と、また思い知らされたわけです。

 

 

そこから数十年の時を経て今がありますが、答えはでまへん。

 

来る日も来る日も、こんなことを考えているわけではありません。

それでも頭の片隅にべったりと張り付いて取れずにいました。否応がなしに、時々目に入るんです、シールはがしでも剥がれないんです。どんな接着剤なんだよと、我ながらうんざりするんです。

でもこんなちょっとスピリチュアルっぽいこと、人に言えませんでした。頭ヤバイ奴って言われて、色々終わりそうじゃない?笑

 

そんなこんなで、自分の中で「死生観」というものが形成されていきました。

人の生死に美徳とか感じません。生きることに特に意味はないと思っています。ただ、死ぬだけだと思っています。至極虚しい言い方になってしまいましたが、今のところ私にとっての事実は、これです。

 

でも、その「生きる」というのか、「死」に向かって進んで行くことに何か意味を見出すのは、自分です。

人は意味や意義、理由がないと動けません。そういうものを、探したがる性質があると思います。何につけても理由を探したがる。そんなものは、自分で勝手に無理矢理作り上げたものなんだけれど、不思議と思い込むとか信じ込むこともできる。これは想像力とも言い換えられると思っています。マインドコントロールとも言えるんじゃないでしょうか。ポジティブに変換すればですが。

 

だから「食べる事」とか、いわゆる日常を大切にしています。

いつ終わりが来るのかわからないから。少なくとも、気持ちよーく、心地よく1日を終えたい。そうしたら、三途の川も、まあまあ満足して渡れそうかなと。

私が日常を大事にする所以は、自分の中にある、この死生観から来ています。

 

 

そして、この禅問答みたいな、答えが分からない難題は、本を通じて共有することになります。その本に出合ったのは、今年のことです。まだ、独り暮らしをする前のことでした。

 

ということで、ぽつぽつ感想文を書いていきます。 今日の夜か、明日にでも記事をあげる所存です。頑張る。

 

さて、ご飯にしまーす。