早い話がお母さん「大好き」ってこと【頭の中の本棚から】
こんばんは。目が腫れてほぼ瞼が閉じている、にゃんちーです。
いつもの私なら寝ている時間。
ちょっと聞いて欲しいのだ。親子の話。
親子で親友で先輩後輩でもあり、ただの女同士
にゃんちーこと、私と、母は、当然親子。でも親友みたいに仲良しです。社会にでてからは互いに職種が近いということもあり、そして同性だということもあって、母は私にとって人生の先輩的な存在です。
ついさっき、母親とショートメールをしていたのです。
何分、母はガラケーを未だに使っているものだから、LINEができない。ガラホじゃないよ、ガラケーよ。あの、二つ折りのボタンぽちぽちして文字打つ携帯。
もう何年使っているのかしら・・・。塗装剥げてるから相当だわね。
それゆえ、連絡は基本的にショートメール。
母は私の仕事のスケジュールを知っているのはずなのに連絡がくる時は、なぜかいつも間が悪い。笑
仕事に飼い殺されてんじゃないのかってくらい忙しない時にショートメールがくる。
そういう忙しなさの中に居る時って、私の心は半分どっかいっちゃってるような状態なので、親から他愛もない連絡がくることを煩わしく思ってしまう。
でも本当はちゃんとわかっているのだ。
忙しくしているだろうから、どうしてるかな?大丈夫かな?って心配してくれているってこと。そういう母の気持ちを、私はちゃんと知っている。
傷つけたかったわけじゃない
ショートメールだから字数が限られていて、互いに超絶簡潔で短文のやりとり。
だから気を付けているつもりだったのだけれど、やっぱり誤解を招きやすく、言葉の温度が低くなりがち。しばらく実家に帰っていないせいもあるかもしれない。
自分の近況報告をして、
ちょっとバタバタしてるからそっとしといてね。いつもありがとう。
そう打ったのだけれど、母からの返事はこうだった。
了解しました。体に気を付けてね。緊急以外はもう連絡しないね。何かあったら連絡ください。
親はいくつになっても子供が心配。ダメだね。
駄目じゃない!ダメなんかじゃないんだ!それは、愛情なのだ。
そういう意味じゃない。伝えたかったことが、きちんと伝わらなかった。
伝わらなかったら、伝わってないのと一緒だ。大切な人を傷つけちゃったんだ。
そう思ったら、鼻水垂れるくらい(漫画みたいだな)大泣きしてしまった。ごめんって、うわーん!ってなってしまった。
こういう時、言葉とくに活字は諸刃の剣で、自分が思ってもない方向で切れてしまうことがある。まさにそれだった。傷つけたかったわけじゃない。
私の送った「いつもありがとう」は、取ってつけたような定型句で、母を拒絶しているかのように取られてしまったんだと思う。
母も一人暮らしなので、もしかしたら、寂しかったのかもしれない。
私は母が忙しい時期には連絡しないようにしている。
私は気を使っているつもりだけど、母からすれば、そんな時だからこそ子供から連絡があったら、嬉しかったり、頑張ろうって思えるのかもしれない。そういう発想が、私にはなかった。
私には子供がないので、親の気持ちはあんまり分からない。
分からないんだけど、とっても大事な家族で、同じように心配したり、どうしてるかな?って思ったりする。一方で、便りがないのは良い知らせ、だとも思っていた。
大好きって言い合える、そういう親子
変に気を使わせちゃったなと思って、散々考えたのだけれど、結局全部丸めて、
私はお母さん、大好きよ!
と言うことになった。
色々書いてもなんだかうまく伝えられなくて、こういうときに語彙力ないなと思いつつ、えいや!と一纏めにして、ぶん投げてしまった。
でも本当なのだ。
時々口うるさいなって思うし、価値観違えば喧嘩もする。沢山怒られてきたし、子供の頃は親というより大人の都合で嫌な思いもしてきた。
それでも、やっぱり私はお母さんの子供で良かった!と思っている。自分の親を褒めるのも変なのかもしれないけれど、本当にそう思っている。
そして大好きって思っている。
そういえば小学校卒業の時、学校で親への手紙を書かされた。卒業式の時にそれを親に渡した。自分が何を書いたのか、さっぱり覚えていない。
実はこの時、親にも連絡がいっていたようで、親からも子供へ手紙が渡された。親子が互いに手紙を書く、ということになっていた模様。どうやら秘密裏に進められていたようで、私を含め子供たちは全くそのことを知らなかった。
私は未だにその時の母からの手紙を大事にもっている。凄く嬉しかったから。
それを急に思い出して、その手紙を引っ張り出してきて読み返した。
こんなショートメールでの、些細なでも大きな食い違いの後だったから、自分で踏んだり蹴ったりしていると言うのか、泣きっ面に蜂じゃないけど、余計に泣けてきてしまった。全く何しているのだか。
そうこうしているうちに、母から返事が来た。
お母さんは大丈夫。私もちー(にゃんちーのこと)が大好きよ!
自分でいうのもあれだけど、こういう親子いいなって思ったの。
「ありがとう」は言えても、「大好き」って、大人になっちゃうと、なかなか言えないんじゃないかなと思うのです。親に「ありがとう」を言うのでさえも、照れるというの今更恥ずかしくって言えなかったりするでしょ?
いや、もう30過ぎた大人よ、私。親は60近いもの。親離れ、子離れできていないように見えるかもしれない。でも間違いなく、互いに生活は自立している。共依存とか、精神的な依存とも違う。
それでも「大好き」って言える親子関係って、レアな気がした。
好きな人と一緒に居たいし、好きな人を大事にしたい
親だけじゃない。
恋人だったり友達だったり、色んな人間関係の中で、自分の好きな人と一緒にいたい。好きな人をどこまでも大事にしたい。好きな人の笑顔があって、好きな人たちが幸せな世界がいい。
でも肝心な私が笑顔でいないと、好きな人たちの顔が少しずつ曇っていってしまう。
私はどうしたらニコニコしていられるのかな?
私の好きな人たち、どうしたら笑顔になれるかな?
一緒に居る時間を作るにはどうやったらいいのかな?
そんなことを考えた今宵満月の日なのでありました。
ということで、はあちゅうの『半径5mの野望』を読んでみたくなりました。
中身読んでないけど、そのタイトルだけで中身が推測できるんだけど、今、はあちゅうのその野望を持つ気持ち、めっちゃわかる。(まさかのまとめ方。笑)
あー。明日は目が腫れてるんだろうな…瞼に保冷剤当てとかねば。
さて。寝るぞ。
こんな夜更けに読んでくれた方、ありがとう。
おやすみにゃん。