near2図書館

near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

読書屋さん、はじめました。

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こんにちは。にゃんちーです。
恐ろしくご無沙汰しています…。何ヶ月も放置しているのに、ちょこちょこ遊びに来てくれる方、ありがとうございます🐈
嗚呼、もう本当に、何か一つのことにしか集中できないあたりがなんとも情けない。

今日はこれまでのことと、お知らせになります!デデン。

 

 

訳あって、会社、辞めました!

今更ですが、実は3月に会社を退職しました。
辞めるまでに色々あった訳ですが、何か自分の中でプツリと糸が切れてしまいました。燃え尽き症候群もあったかもしれません。自分の力って、組織の中ではアリンコみたいに小さいもので、理不尽でいっぱいで、それに立ち向かってもどうにもならない事への憤りとか、そんなのもありました。
決定打はやっぱり代表の一言でした。

「君はADHDだからね。忖度できないもんね。怒りのコントロールも難しいし。」

未だに覚えているので、相当根に持ってるみたいです、私。笑
念のために補足します。私は確かにADHDですが、癇癪起こすタイプではないです。むしろ逆で溜め込んで吐き出せないタイプです。喜怒哀楽は豊かだと思いますが、どうも怒だけは、まず滅多に出ないです。はい。

それでね。先の一言で、もう(どうでも)いいや!ってなっちゃった。

退職してからしばらくは諸手続きで役所を回り、今はのんびりしています。焦らずいこうと思ってます。

 

そもそも退職した理由

せっかく会社を辞めたんです。自由だわー!と謳歌していました。笑
私は色々と手続きが多くてバタバタしていたけれど、ふと、なんで会社辞めようかと思ったのかな、と振り返ってみたんです。

会社を辞めようと決めた理由は3つ。

・「普通列車」から降りたい。もう休みたい…。

・自分の人生を、自分で決めて歩きたい。

・自分の好きなことで食べていきたいし、それが人の役に立てば殊更嬉しい。

 そんな仕事をしたい。

 

会社を辞めると言うのは選択肢に過ぎず、私にとっての手段でした。

そうだった、そうだったわー!と。

 

会社員をしながら、ここでチョロチョロと読書感想文を書くことで誤魔化していたのだけれど、本当はずーっと本を読んでいたいし、ずーっと本のこと書いていたい。

生活だってちゃんとしたかった。自炊がいいし、洗濯も掃除もやりたい。

普通じゃなくていいし、そもそも「普通」が良く分からない。周りの気持ちを優先して、なんとなく社会でいうところの「普通」の道を歩いてきた。きたけれど、自分に嘘をつくのも誤魔化すのも限界でした。体力も限界でした。

 

退職前の4ヶ月間、お薬で完全にコントロール

会社員でいる間、私はお薬で完全に生活をコントロールしていました。

仕事過多に加えてADHD、二次障害も出ているのにそのまま会社員やってたんです。食べれないせいで、体力も落ちていました。素のままでは、仕事は愚か私生活も破綻するので、全てをお薬でコントロールしていました。ADHD発覚時から、お薬はどんどん増えていきした。

朝起きて食後にお薬(瞬間的に覚醒させる・注意欠陥と多動を抑える)、お昼にお薬(緊張緩和)、夜にもお薬(ちょびっと覚醒・注意欠陥と多動を抑える)、寝る前に睡眠導入剤(強制的に眠る)と、こんな具合です。
これで生活は回るから、完全にお薬に頼っていました。でもある時、思ったんです。

この生活って、体力の借金してるだけだ。

お薬の力で、社会の「普通」になれるようにコントロールしてるんだ。

普通じゃないと、駄目ってこと???

お薬で助けられたことも沢山あります。
特に感覚過敏があるので、それは随分と楽になりました。


一方で、こんな風に思ってから、ずっと悩んでもいました。お薬を続けていくことに。
自分が自分ではなくなっちゃう感覚になりました。
昔に比べたら、頭の中はうんと静かです。頭の中がいつもガヤガヤしていて、臨時国会が開かれたりすることは少なくなしました。
時と場合によっては頭の中が静かで良いのだけど、それをお薬でやってるとなると自分を否定された気持ちにもなりました。
あんまり静かすぎて、突発的な閃きもないので面白くない。
社会の「普通」に適応するためには、自分を失くさなければいけないような…そんな感覚になっていきました。お薬によって、自己喪失感が再び襲ってきました。

今もお薬飲んでいます。それでも、朝晩のストラテラ(主に注意欠陥・多動を抑える)だけになりました。

省略しますが、食生活を変え、仕事をやめて、やっと睡眠導入剤がなくなりました。睡眠導入剤でさえ、抜けるまでに数ヶ月かかりました。

と、今はこんな感じです。

 

とても前置きが長くなりましたが…

 

読書屋さん、はじめました!

読書するのも、人間観察も好きです。人の話を聞くのも、文章を書くのも。

上手いかどうかは別として、好きこそものの上手なれ、なので、少なくとも質を追求できるとは思っています。(努力って我慢みたいだから言いたくない…)

 

ということで、

あなたのこと、色々教えてね。そこから、今のあなたにぴったりな本を紹介します!
というのを、「読書屋さん」と命名して、新しいお仕事にしちゃいました。

突然に。笑

 

きっかけは、twitterでのちょっとしたことでした。

詳しい話はまた別の機会に記事に書いていきたいと思います。(相手のあることだからね、承諾取らないとね。)

 

 

そんなこんなで、漠然とずっとやりたいなーって思っていたことが、どうしてなのかもハッキリして、やっぱりこれなんだという確信にもなりました。

 

こんな気持ちで、読書屋さんをしよう!という決めました。

詳細はこちらからご確認ください🙇‍♀️

 

今のところTwitterのDMでのご連絡となっていますが、Twitterをやっていない方もいると思います。ブログのコメント欄に書いてくださったら、別の方法をご提案します◎

 

そんなこんなで、ここに到るまでずーっとTwitterお化けとなっておりました。
またちょこちょこ、ブログを更新していこうと思います。

 

したらば、またにゃん🐈

春分の日と満月【図書館便り】

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嗚呼、随分とご無沙汰してしまいました。

生きています。にゃんちーです🐈

 

音沙汰のない間、ご贔屓にあずかり、ちょこちょこ遊びに来てくださった皆さん、ありがとうございます!

全然数字もみていなかったのだけれど、更新していないのにPV0はないし、読者さんも1人も減らないしと驚くばかり。本当に嬉しく思います。

みんな、ラビュー♡(チャラい。笑)

 

 

書きたいことや山積みなので、体力がもつ限りでポツポツ書いて参ります。

 

さて、今日は来る「春分の日」についてお便りでお知らせします。

 

明日3/21は春分の日です。

ただの祝日ではありません。笑

 

信じる人、信じない人といるとは思いますが、ちょっと紹介させてくださいにゃ。

 

私は占いが好きです。

算命学も占星術もなんでも好きで、これ関係のネット記事も本も良く読みます。

ちなみに母は、算命学で師範レベルです。(だから母に闇雲に相談はしないです。なぜなら、お客ではなく家族だからなのか、けちょんけちょんに言われるので精神衛生上良くなくって💦)

そして手相も好きです。(全然見れないけどね!運命線てどれだよレベル。)

神様、仏様、何でも良いのだけれど、目に見えないものの力を信じていたりもします。あと、ご先祖様とか風水なんかも。

 

さて、本題にゃ。

 

明日の春分の日、21日は占星術では「元日」にあたります。

いわば年明けのタイミングです。

そして今年は満月でもあります。

月の満ち欠けについては、厳密に言うと時刻とボイドタイム*1云々とキリがないので今回は端折ります。

 

満月って、「感謝」するタイミングです。

ちなみに新月は「決意表明」するタイミングです。

 

3/21春分の日は、占星術上の元旦であり年明け。

占星術って星占いなわけで、そこに絡む、月が満月を迎える。

ということで、今年の春分の日は、バキっとした強い節目になるかもしれません。

 

 

占星術の上では、2019年は「目に見えないもの」とか「潜在意識」の1年になりそうな星の配置=ホロスコープです。

あ、これ、書くと長くなるわね。ググってください。笑

だいぶ端折りますが、そうした意味でも、年明けに満月が来て「感謝」するタイミングが揃うって、重要な気がしたのです。

 

にゃんちー、こと、私はこの1年ちょっと、実は新月・満月には神社に行くようにしています。今ではお散歩も兼ねてのルーティンになっています。

新月に神様に宣誓しに行き、満月にはありがとうを言いに行く。(ついでにお願いもするけども。)

 

こんなことを書いておきながら、実は神様がどうにかしてくれるだなんて1㎜も思っていません。

神社に行くという行為でもって、意識的に自分の潜在意識に働きかけている。

そんな感じです。

 

良かったら、神社に行かなくても、ちょっとだけ意識してみてください。

きっと何かが変わるから。

 

これについてもう少し補足すると、今年の春分の日のホロスコープには、「仕組みを根本的に変える」ようなシフトチェンジっぽい雰囲気があります。

何をだよって感じですけど、例えば働き方とか、生活習慣とか。

長く走り続けるための基盤作りといった感じな気がします。

もしかしたらこうした側面で、ガラリとシフトチェンジする人も出てくるのかもしれません。というか、社会的にそういう動きになると予測されるところです。

 

ここで風水的な話をすると、何かを増やしたいと思った時、今ある目の前のものを感謝すると良いと言われています。

例えばお金だったら、食うに困らないお金があります、ありがとう。

人間関係であれば、○○さんありがとう、って言う。

言霊なんていう言葉もあります。それにも近いと思っています。

 

ないないって言っていると、無いが現実になる。

これは引き寄せの法則って言われたり、思考は現実化するなんていう話と同じなのかもしれません。

もっと単純に、無いものを数えるよりも、あるものを数えていくと幸福感がうまれます。そっちの方が精神的に健全だと思う今日この頃です。

 

やべぇ。スピリチュアルっぽい内容になっちゃった💦

 

相変わらず尻切れトンボですが、ちょっとワクワクする3/21春分の日です。

家族とか友人、大事な人と過ごすのも良い日かも。お墓参りも良いだろうにゃ。

人との繋がりって目に見えないものだから。

 

明日を境に、劇的に変わるってことはないと思う。

でも1年後振り返ってみたら、ターニングポイントがこの辺だった、っていうパターンはありそうな予感。

今あるものに「ありがとう」を💓

そして本当の自分(潜在意識)に、ちょっと耳を澄ませてみてください。

なんだか全然違う世界が見えてくるような気がするので。

 

 

あ!もう1つ補足しておかねば。

ホロスコープ(星の配置)は絶対変わらないのですが、そうは言っても人によって起こりうること、その規模はマチマチです。何もなかったってのも全然あり得る。

そして星占いって、いわば超絶大雑把な天気予報なので、タイミングがずれるって言うのも大いにあるのです。前倒しになっている人もいるかと思います。かくいう私は、何故かいつも前倒しの人です。

この星占いがどのくらい大雑把かというと、石井ゆかりさんの本から拝借させていただくと「アメリカは晴、日本は雪」くらいです。笑

 

信じるか信じないかは、あなた次第です・・・なんちゃって。

 

したらばまたにゃん🐈

*1:空虚・無効の意味で、魔の時刻とも言われます。何事もうまくいかない時間て感じ。

2019.2.22 にゃんにゃんにゃーん🐈【near2美術館】

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こんばんは。にゃんちーです。

今日は猫の日!

2月22日。にゃん🐈にゃん🐈にゃん🐈

 

ということで、存分に猫を紹介します。(私の得意分野で)

猫(に限らず、動物)と言えばこの画家だにゃ🐈✨

 

 

 

竹内栖鳳 「班猫(はんびょう)」 1924年作

 

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Takeuchi Seihō - [1], Public Domain

 

画像、めっちゃ重いですね💦

綺麗に載せたくて一番いいやつで落としたものだから。ごめんなさい🙇

没後50年たっているので、パブリックドメインとなっております。

実は日本にある、山種美術館の所蔵作品。

 

竹内栖鳳 臭いまで描くと言われた日本画家

ググってくれたら本当に色々でてくるので、私が書くことないにゃ!と思うほど、日本画家ではとても有名な作家です。

とは言え、美術界隈では知られていても、この猫の画は見たことがあっても、誰だよって人も多いかも。

竹内栖鳳:たけうち せいほう と読みます。

 

実は私も未だに本物にお目にかかれていないのです。

私にとって、死ぬまでに1度は観たい絵画の1枚です。

 

竹内栖鳳は近代日本画家の先駆者でもあり、動物を描かせたらその匂いまでも描くほどだと言われたほどです。

京都の二条城の近くに住んでいました。そのせいか、鹿の絵も多く残っています。

 

竹内栖鳳は花鳥風月を題材とした作品を得意としました。もう、栖鳳のどの作品でもいいから、一度は観て!と言いたくなるほど、美しい日本画です。

 

四条派*1の幸野楳嶺(こうのばいれい)に弟子入りしているからでしょう。栖鳳の作品には、非常に伝統的な日本画技法が根底にあります。

 

ちょっと 寄り道にゃ🐈

栖鳳と同時代に活躍した日本画家と言えば、横山大観がいます。大観は水墨画と富士山の画で有名かもしれません。大観についてはまたの機会としますが、空気を絵画として描こうと本気で試みた、とても面白い人なのです。

 

当時、「西の栖鳳、東の大観」と言われるほど、二人は勢力な活躍ぶりでした。栖鳳、大観ともに言えることですが、後進の育成にも尽力した画家です。

日本画の発展に大きく寄与した二人です。この二人なくして、今の日本画界はないのではと、個人的には思っているところ。

 

 

さて、本題へ。

「班猫」の見所をば。

ぜひ、作品下に記載したパブリックドメインのリンク🔗を開いて、拡大して細部までご堪能くださいにゃ✨🐈

 

「班猫」の見所① 透き通った翡翠の瞳

猫の瞳にご注目あれ。

翡翠(ひすい)色=青緑色 の透き通った綺麗な瞳です。目の立体感を出すのに、絵の具を何度か重ねています。拡大すると分かりますが、薄い茶色っぽく見えるところは、色がついているのではなく絹の色です。*2

 

実はこの画で光の方向が唯一分かる箇所が、猫の瞳。

全体を観ると分かりますが、影がない。猫の体にも、これといって目立った陰影はないんです。猫の体については、後程🐈

 

猫が、下から見上げるような視線。

なんにゃ?って言われている気分。

画面のサイズに対し、これっぽっちの小さな目。にも関わらず、不思議と猫の目に、鑑賞者の視線がいってしまうほど力強いのです。

 

 

「班猫」の見所② ふわっふわの毛並・毛書き

ぱっとみただけで、猫のふわっふわな毛並みの感触が分かるんじゃないかと思います。

これは拡大して観ないと分からないところですが、よーく観てみてください。

ふわっふわの毛の上に、丁寧に極細の毛の線が1本1本描かれています*3

それも、白・茶・(恐らく)金の3色で描き分けられています

 

この作品では、毛書きを単にあちこちに描いているだけではありません。猫の体の模様と、骨格に合わせて微妙に毛並みの色と方向を変えています。

更に、この画には日本画に特徴的な輪郭線が最小限です。ほとんど、輪郭線はない。そのため、丁寧な毛書きが輪郭を作るとともに、猫のふわっふわ感も生み出しているのにゃー!

 

 

「班猫」の見所③ 見返り美人・骨格

この猫の体型って、本当に一瞬だと思うんです。ちろっと後ろを振り返ったような、まるで見返り美人の姿なのです。

栖鳳はひたすら写生(スケッチ)をしていたというエピソードが残っています。それほどまでに、1枚に画を描くまでに観察し、様々な角度から描くことで全体を把握していたのだと思います。

 

そしてこの画、不思議なことに、ふわふわの毛に覆われていながらも、猫の骨格が良く分かる。

下のしっぽから上に向かって、丸みを帯びながら背骨が通っている。背骨と首の付け根は、画中でいうと白色の少し山になっている部分です。首と頭の境目の関節も、ぽこっと出ていますね。

猫の腰からお尻にかけての部分が丸みを帯びていて、肉厚なのも分かります。

それは何故か。

ここだけ猫の模様の色が濃いのです。ちょうど①で解説した、猫の瞳の位置と同じ場所でもあります。光が強く当たれば色は薄くなります。色が濃いということは、猫の顔の位置よりも奥行きで表現すると手前。つまり突出しているということです。

陰影をつけなくとも、たったこれしきのことで、立体感が分かる。それが画面に奥行きを感じさせているのです。

 

写生のエピソードもそうですが、この画に限らず、栖鳳が動物を描く時には、円山応挙の写生画の技法を重視していたことが分かります。

 

 

さいごに 自由な画風 それが栖鳳

今日は猫の日だったので、猫の画に絞ってご紹介たにゃん。

 

最後に、竹内栖鳳についてちょこっと。

日本画って、実は厳格な世界でもあったんです。●●派とありますが、本当に派閥みたいなもので、描き方・流派が違うのです。

 

だけれど栖鳳は、動物を描くときは写生を重視した円山派の技法を。花鳥風月などを書くときには四条派を。山や岩を描く時には狩野派の水墨画の技法を。そして、ヨーロッパに渡った経験から、西洋画の技法を取り入れてみたり。

そんな風に、これを描くならこの技法が適していると、流派を超えて自由に画を描いた人なのです。日本画に西洋画を取り入れるだなんて、革新的です。栖鳳にとって、画業は実験だったのかもしれません。

 

今日はこの辺で。またにゃーん🐈

  

*1:いわば日本画界の派閥です。江戸中期、呉春を祖として戦前までに発展をとげ、日本画界とりわけ京都画壇の一大勢力となりました。四条派は、南画をベースとし円山応挙の写生画を取り入れ発展させていきました。

*2:絹本着色。この画は、絹の布に岩絵の具で色彩を施しているのです。

*3:日本画では、これを毛書きと言います。毛書きとは、人物や鳥獣の毛を細かく描くことです。人物であれば髪や眉、髭なんかにみられます。

ONE OK ROCK にみる歌詞戦略【音楽の歌詞】

こんばんは。にゃんちーです。

久しぶりに音楽で行こう。やっとこれについて書ける。

音楽も雑食なのであります。

 

 

 「Sdand Ount Fit In」 ONE OK ROCK

本日のお題目はこちらになります。

とりあえずこれ、観てみてください🐈

  

www.youtube.com

 

 

ワンオク PVに日本語訳が付き始めた

この曲のPVを観た時に、背中がムズムズするような違和感がありました。

それは何なのかと、ずーっと引っかかっていて、曲は好きなのに、喉に引っかかってる小骨があんまりにも気持ち悪い。

ということで、馬鹿みたいにPVをリピート再生しつつ、飽きるほど観てみた。

 

そういえば、昔のワンオクのPVって日本語訳なんてついていなかった。

ここ最近、PVに日本語訳がつくようになった。と、同時に英語の歌詞が増えたような気がしています。

 

散々考えた挙句、 

結論:ワンオク、すげぇわ( ˙-˙ )

 

 

ワンオク 歌詞に見る 英語と日本語の狭間

あまりにアホな結論なので、この結論に至った経緯を具体的に説明させてくださいにゃ🐈

 

私が抱いた違和感は、実際に歌っている英語の歌詞と、PVに流れる日本語字幕のギャップでした。

 

ちなみに私は英語はそれほど話せない。ただ、聞き取って意味は理解出来る。これが厄介だったんだろうなと。

でも、英語の歌詞と日本語字幕について考察すればするほど...

ワンオク、すげーΣ( Д ) ﻌﻌﻌﻌ⊙ ⊙

と、天晴れやと思ったのでシェアをば。

 

あくまで個人的考察です。

そしてネイティブ並の英語力はないので、

①推測の域を出ない点

②歌詞全部は長くて取り上げられない点

これらについては、先にお断りしておきます┏●

 

世界をターゲットにすると、PV1本でマーケット戦略はこういう方法になるのかと。

ということで、さっそく歌詞の世界へご案内。

 

 Stand Out Fit In の歌詞考察

※聞き間違い、スペルミスがあったらごめんなさい🙇💦

 ()内は、PVに出てくる日本語訳です。

全部は長いので、一部抜粋でのご紹介とします。

 

I know they don’t like me that much
(僕は嫌われ者)


Guess I don’t dress how they want
(見た目が違うから)


I just wanna be myself, why?
(でも ありのままでいたい)


Can’t be someone else
(僕は僕だから)

 

Try to color inside their lines
(誰かが敷いたレールに乗って)


Try to live a life by design
(生きるなんてできない)


I just wanna be myself, why?
(ありのままでいたい)


Can’t be someone else
(他の誰かになんて)


Be someone else
(なれないよ)

 

They yell, they preach
(彼らは口うるさく言ってくる)


I’ve heard it all before
(何度も)


Be this, be that
(ああしろ こうしろと)


I’ve heard it before
(何度も言われて)


Heard it before
(もう うんざりだ)

 

Big boys don’t cry
(男は泣くな)


Shoot low, aim high
(現実を見て 夢を持て)


Eat up, stay thin
(よく食べ 健康であれ)


Stand out, fit in
(はみだして なじめ)


Good girls don’t fight
(女は争わず)


Be you, dress right
(見た目もきちんと)


White face, tan skin
(心は白く美しく)


Stand out, fit in
(はみだして なじめ)

 

・・・中略・・・

I am who I am, no matter what
(僕は僕だ 何があろうと)


Never changing, no matter what
(決して変わらない 何があろうと)


No matter what
(何があろうと)

 

と、ざっとこんな感じであります。

あげていくとキリがないことに気が付いたので、上記の歌詞をベースに、特に面白いなと思った点に絞って詳細を解説していきます。

 

 Stand Out Fit In の歌詞考察;文化の違いを歌詞で埋める

私が注目したのは、まずサビの歌詞。1つずつ私の考察を説明していきます!ででん!

Big boys don’t cry
(男は泣くな)
Shoot low, aim high
(現実を見て 夢を持て)
Eat up, stay thin
(よく食べ 健康であれ)

 

まず、Shoot low, aim high という部分。

直訳すると、低く撃て、狙いは高くとなります。

サッカーのシュートをイメージすると分かる気がします。(サッカー好きなもので)

英語と日本語とどちらの歌詞から作成したのかは分かりません。

日本語で、狙いは高く低く撃てって言われても意味が分からないでしょう。そこを、現実を見て夢を持て、とあてたのは上手いと思いました。

 

あるいは逆に、現実を見て夢を持て、という日本語を英語に置き換えたとします。

色んな言い方が考えられますが、例えば

Face the fact、Have a dream となります。

なんというか・・・めっちゃ無機質です。急に現実的な、説教じみた歌詞になってしまう。全然ロックじゃなくなる。

言ってみれば、英語にしても、日本語にしても、想像の余地のある歌詞をあてています。

 

そして、Eat up, stay thin

特に私が注目したのは、stay thin という歌詞。

健康であれ、という日本語があてられていますが、thin という単語には「細く」という意味があります。要するに、細く保てという直訳。

この直訳では日本では、細く=ダイエット というイメージがあるのでちょっと誤解を招くところ。

ところが、欧米では体調管理(体型も含め)は、自己管理という認識が強い文化圏です。太っているのがダメってことではないのですが、体型を維持するという点で自己管理が出来る人かどうかという判断はされてしまうのが現実です。

stay thin という、これだけの歌詞に、欧米の文化的背景と、そこにあてた日本語訳に齟齬がないようにしている。文化圏が違う日本であれば…健康であれという歌詞に、といったところではないでしょうか。

 

はい。次!

Good girls don’t fight
(女は争わず)
Be you, dress right
(見た目もきちんと)
White face, tan skin
(心は白く美しく)

 

まずは、Be you, dress right ですね。

これはファストファッション、流行に敏感(というか踊らされている)日本文化圏では非常に理解しがたいものがあります。

何故なら、この歌詞の直訳は、 あなたらしく、ぴったり(似合う)服を着て!となるからです。

日本人には、自分に似合う服を着ろって言われても、ピンとこないと思うんです。自分に似合うかどうかよりも、流行かどうかのほうがずっと重要だから。

でも欧米ってそこまで流行ないし、セレブでもない限り、自分に似合う、自分の好きなものをきちんと選んで着ている。パリジェンヌですら、そうです。

ここにも、欧米と日本の文化の違いが垣間見えます。

 

それに続いて、White face, tan skin

ここはちょっと謎なのです・・・。ネイティブスピーカー的にはどうなのでしょうか。意見を聞いてみたいところです。

White faceって、直訳すると白い顔なのですが、メイクアップと近い意味もあります。

化粧しろっていうとつまらないのか、それとも欧米の人って化粧っ気がないからなのか…。でも、日本の女性って、社会に出る時は特に、化粧するのがある意味でマナーみたいなところもある。化粧と一口にいっても全然意味が違ってきます。ちょっとここは推測の域を出ません。ぐぬぬ。

 

それから、 tan skin

肌の色のことですが、直訳は日焼けした肌です。欧米はバカンスの習慣もあって、日焼けって実はステイタス的な側面もあります。要するにバカンス出来る余裕があるってことですから。

でも日本にはそんな習慣ない。そもそも肌の色自体が褐色。日焼けしていなくても。

ここに肌の色に関してのニュアンスの違いが出ます。

 

欧米に向けて言うのであれば、上記の英語の歌詞の意味が通じやすい。

でも日本では、全然伝わらない。どちらかというと、清く正しく美しく、と言われる方がしっくりくるような気がします。この言い方も昭和的でちょっと古臭い。

とすると、PVにあてられたような日本語訳のほうが馴染みやすい。

 

最後に、私が一番感銘をうけた歌詞をば。

Stand out, fit in

(はみだして なじめ)

 

はみだす、これを英語にすると、drop out です。

それは継ぎ目なく進学し、そのまま社会人へと続く日本文化の中で、はみだすことは社会規範から落ちる=ドロップ というイメージがあるからだと思うのです。

ここにはどうしても、凄くネガティブなイメージが付きまとう。

それに対して Stand out というのは、とても前向きな歌詞です。同じ out でも、全然意味が違ってきます。

 

しきりに「個性」と言われる今の時代。

ドロップアウトというとネガティブだけど、Stand out の指すところは、直訳すると、目立つ、際立つ。そこから派生して、傑出した人という意味があります。個性って、まさにそういうことですよね。

全然、ドロップアウトなんかじゃないんです。

 

 

おわりに ワンオクの歌詞にみるマーケット戦略

超細かいところばかりの歌詞解説になってしまいました💦

PVの日本語と、聞こえてくる歌詞の英語にこれだけの解釈と、文化的背景の差があったのです。

これは私が最初に抱いた違和感の追究から考察した結果ですが、この違いを見事にPV1本で埋めている。

ワンオク、今では世界中でライブ活動をしています。知名度だって、世界規模です。

英語にあまり精通しない日本人は、歌詞の意味が気になるところ。

そこを敢えて、PVに日本語訳をつけてしまうことで、作者が言いたい歌詞の意味のみならず、文化圏さえも超えて、ターゲット全てに届くように出来ている。

これは凄い戦略だと思いました。

 

そして 結論:ワンオク、すげぇわ( ˙-˙ )

ということで、私の中ではまとまりました。

 

ちょこちょこした説明だったけれど、この曲のワンオクの凄さ、少しはお伝えできたかにゃ。

今日はこの辺で。

またにゃん🐈

 

 

 

クリエイティブとは・・・【読書感想文】

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こんにちは。にゃんちーです。

先日実家に帰ったのですが、掘り出し物を見つけました。ずーっと読んでいなかったのだけど、なんだか今のご時世にドンピシャな本だったので、ご紹介🐈

 

 

『WHY ARE  YOU  CREATIVE?』 ハーマン・ヴァスケ著

ネットで著作権について賑わっているので、下手に装丁の写真をペッと貼り付けられないのが心苦しい・・・。

 

WHY ARE YOU CREATIVE ?|書籍|竹書房 -TAKESHOBO-

 

これなのだけど、竹書房の画像だと字がつぶれて見えないのよね!

Amazonさんだと立ち読み(なかみ検索)できるから、こちらをどうぞ。

Amazon CAPTCHA

 

表紙の写真あげたい・・・ぐぬぬ。

 

この本の概要

著者のハーマン・ヴァスケ氏が、55人の人たちに、

WHY ARE YOU CREATIVE? と質問をぶつける。回答者は1枚の紙に、文章ないし絵などでまとめる。インタビューしたであろう内容もある。

その回答に対し、精神科医や精神療法士が分析したコメント付き。

55人の回答をもとに「クリエイティブ」の本質に迫る1冊。

 

55人のメンツがやばい

世界中の人たちを対象にしているので、私が知らないクリエイティブな人もいたけれど・・・私の知る範囲で、グッときたメンツをご紹介。

荒木経惟(アラーキー)

ボノ(U2)

デヴィッド・ボウイ

ダライラマ

ジョニー・デップ

ミラ・ジョボビッチ

ゴルバチョフ

デニスホッパー

オノ・ヨーコ

ショーン・ペン

スティーヴン・スピルバーグ

北野武

タランティーノ

山本耀司

ヴィヴィアン・ウエストウッド

ホーキング博士

 

思いの外、沢山居たので割愛します。

と、ものすごい顔ぶれなのであります。今は亡き人の名前もあるね。

 

10数年前に問われていたのか・・・それが今の社会だよ

実はもう14年も前の本なのだ!

刊行は2002年、翻訳版は2005年。

本のタイトルだけでは伝わりづらいので、副題と帯の文章を紹介したい。

自分にしかできないことを探す55のヒント

 

仕事。人生。楽しんでますか?

なんとなくこのままでいいのかな・・・と思っているすべての人へ。

 

私、この本、買った記憶がない。

おそらく大学時代に、もらった本。(間接的に)

 

他の学科では見たことないので、私の所属学科だけだろう。

教授たちがいらなくなった本を、研究室のエレベーター前のエントランスにずらーっと積んで「ご自由にどうぞ」という謎の棚卸習慣がありました。笑

研究費で購入したら、学校の本になる。(図書館の蔵書シール貼られてしまう)

そうではない本、つまり教授たちが自費で購入した本が、時々棚卸のごとく、エントランスに追い出されることが多々あったのだ。

そこで頂戴した1冊。

 

当時は面白そうだなと頂戴したものの、今の今まで眠っていました。

回答者の紹介半分、回答半分+分析という本の構成なので、とても読みやすいです◎

メルカリでも売っていたけど、アマゾン見ると倍以上の値段がするの。

貴重なのかも、この本。

 

原版からすれば17年も前に、「クリエイティブ」とは何か、を問うていたのだ。

何よりもそこに驚いた。

なぜなら、今まさに、社会がその時の流れにあると感じていたからだ。

物凄く時差を感じたけれど、本当に最先端にいる時ってこんな感じなのかもしれないね。忘れたころに時代が追い付く、とでも言えばいいのかな。

 

 

クリエイティブ の本質

勿論、みんなの回答はどれも興味深いものだった。ダライラマが寄せている文章(寄稿)はとても素敵でした。長いので、一部をご紹介します。

他者との喜びに満ちた協力関係のなかで、自覚的に知性を発揮し、さらに満ち足りた状況を生み出すのです。しかし、それには頭と心の両方を連動させる必要があります。それを仏陀は、知恵と共感のバランスと呼びました。

 

ちょっと難しい内容に聞こえるけれど、実にシンプルなのだ。

頭=知恵、心=共感 のバランス。

どちらかだけに傾くと、息苦しい社会になったり、動物っぽく(本能的に)なったりしてしまう。クリエイティブとは、そのバランスをどうとっていくのか。

そう言っているのではないでしょうか。

 

仏陀の言葉を引っ張ってくるところが、さすがでもあります。そう考えると仏教ってとても奥深いです。それよりも、仏教の教えを咀嚼して、今の社会へと説明できるところが、ダライラマの凄さな気がしました。

本当はずっと昔から問われているのかもしれません。「クリエイティブ」について。

 

クリエイティブ の語源

そもそも、クリエイティブの意味が広がってきている現代では、これを定義するのはなかなか難しい。単純に創造という意味で使っている場合が多いからです。もっと言うと、クリエイティブって日常的には「制作」に近い意味で使っていると思うのです。

 

Creativeは形容詞。元となった単語は動詞のCreate(クリエイト)です。

クリエイトの辞書的意味としては・・・

生うみ出だす・創造する・ゼロから新あたらしい物を作つくる。

 

もっと辿っていくと、ラテン語のcreareに由来します。そしてこのラテン語は、「神が創造する」というイメージを持つ動詞です。そこから派生した英語がCreate。

英語の文章で言えば、聖書のこの一文が良い例でしょう。

God created the heaven and the earth

この聖書の一節は「神、天地を創造(つくり)たまえり」と訳されることが多いです。

 

こんなこと言うと、クリエイティブ=天才って思ってしまいそうだけれど、人生の本質なような気もするんです。

神の創造と結びつくなら、猶更です。その命がまずもって、クリエイトされたわけだから。

 

 

おわりに クリエイティブという個性の発揮

この本を読んで、クリエイティブって、別にとりわけ凄いことを成し遂げることではない、と思いました。クリエイティビティと独創性とは、切っても切り離せませんが、それはつまるところ個性です。個性は誰しもが持っているものなので、なんら特別なものではない気がするんです。でもその個性を、どう活かしていけばいいのか。それが問われている時代、それがまさに「今」だと思うのです。

 

では、クリエイティブかどうか、その差は何か。

これについて本書の中にデイヴ・トロトの言葉で、こうまとめられている。

実際に行動するか否かだ。 

 

巷でもよく言われておりますが・・・、頭では分かっているものの、なかなかお尻があがらないですよね。へへへ。

 

だけど、なにも特別な事じゃないんです。(と、私は思います)

もっとシンプルでいいのではないかと。自分を生きる、それだけです。その生き方が、ひとそれぞれに違い、その表現方法、あるいは根源(理由)が違うだけなのだ。

 

そうは言っても、何をどうすれば、嗚呼!という人へ。

この本にあった、ベン・ノット(映画監督)の言葉をお届けします。

Listen 2 Your Heart;心の声に耳を澄ませ *1

 

 

自分の心の声、聞こえていますか?

 

今日はこの辺で。

またにゃん🐈

*1:著作権がなければ作品も転載するんだけどな。ああ、もう。活字で説明になりますが、この言葉の上には、耳が二つ鏡合わせのように並んでくっついていて💓の形をしています。そこに添えられているメッセージが、この文章です。

ぽいぽい癖【凹凸日誌】

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こんばんは。にゃんちーです。

(今日こそ短め)

 

よく、忘れるんです。

何をどこに置いたのか、とか。お薬飲んだか、とか。

何故だか最近、ひどくて困っています・・・。

 

 

注意欠陥・多動・衝動性のトリプルコンボ(ぽいぽい癖)

私の忘れっぽさは、このトリプルコンボ同時発生によるものです。

名付けて、ぽいぽい癖

 

お薬はちゃんと飲んでいます。

にも関わらず、このところ、どうにも酷くって。

 

このぽいぽい癖。

傍から見れば、ただの天然さん。うっかりさん。

でも実は違うんです。

 

注意欠陥、多動、衝動性といっても、人によって症状は違います。

これらを厳密に区別するのも、難しい気がしています。

 

注意欠陥:不注意・集中力のなさ

多動:落ち着きがない・じっとしていられない

衝動性:考える前に行動してしまう

 

こんな感じです。

何か1つだけが発動することは、あまりないのかもしれません。

 

例えば、わたし。

あれ!?眼鏡ない!?

車のカギ・・・さっきまで手に持っていたのに、落とした!?

なんてことは、日常茶飯事であります。

 

あれ?私はここに何しに来たんだっけ?

という、私もうボケたのか…と思うようなこともあります。笑

 

ここだけ聞くと、「そんなことは、みんなある」と、お思いのことでしょう。

でも、おっちょこちょいとは、何かが違う。

 

何回やっても、というか毎朝こんな感じだからです。☟

 

〇朝起きる→眼鏡かける→眼鏡外して→洗顔→次の行動へ・・・

あれこれしているうちに、ふと、気が付きます。

 

良く見えない。

あれ?眼鏡・・・にゃい。どこ!?

 

こんな感じ。

 

きっと洗面台にあるでしょ?って思うじゃない。

ないのよ。笑

洗面台に行く前に、どこかで眼鏡を外して、その辺にぽいって手放してしまう。

洗面台で眼鏡をとればいいのだけれど、そう上手くはいかないのだ。

 

ここがミソで本来であれば、

◉朝起きる→眼鏡かける→洗面台へ行く→眼鏡外して→洗顔→顔を拭く→眼鏡かける→次の行動へ・・・

という、もはや習慣化されていそうな行動。

 

では、実際の私の頭の中をご覧いただきましょう🐈

◎朝起きる→洗顔→どうしよっかな・・・

と、随分と省略・変更されてしまっているのだ!

 

眼鏡をかけるのも、眼鏡をはずすのも、無意識。

私の無意識というのは、習慣化されたものではなく、本当に「意識していない」ということ。習慣として刷り込まれていないのである。

ちなみに眼鏡をつけたまま、洗顔したことは、ない。

(眼鏡つけてるのに、必死で眼鏡を探したことは多々ある。笑)

 

眼鏡に関しては、注意欠陥。

 

次の行動に移る前に、眼鏡かけろよ!って自分でも思うのだけど、それが出来ないのは、多動だから。

洗顔後、顔を拭きながら(これさえ忘れる事ある)、もう次のことを考えている。脳内多動なんて言われたりもしますが、頭の中で会議が開かれ考えがまとまらず、あれこれ頭の中が忙しいのです。

 

あるいは、洗顔後、何かに気を取られて、何も考えずに動いてしまう。これは衝動性。

 

あれもこれもと考えながら(多動発動中)、次の瞬間にぱっと目に入った「まさに今、気になったこと」に向かって動いてしまうんです。(衝動性発動)

はい。見事にトリプルコンボ発動✨

 

先の朝の習慣で言えば、洗顔後の行動はいつも違います。

決まっているやらなきゃいけないこと、沢山あるのに。

あ、お湯沸かそう。

あ、トイレ掃除・・・。

あ、お財布カバンにいれないと・・・。

順不同です、毎日。

 

これらをどうにかタスクとして脳内に取り込み、ルーティンとして習慣化していかなければなりません。

朝はお薬を飲む前だから、ひどいのかも。

(今、これ書いていて気が付いた!)

 

 

ADHD持ちって、「どうして普通のことが出来ないの!?」と言われます。

普通のことを、普通に毎日やるのが、難しいんです。

自分の何が普通じゃないのか、分からないから。

認識のうち、何が足りないのか、分からないから。

 

普通の人が意識しなくてもできることを、意識的に行わないと習慣化されないから。

だからお薬ありきではなくて、生活上の工夫=ライフハック が必要。

つまるところ、行動療法です。本当に療法士さんが付いてくれる病院もあります。

そのくらい、普通のことが、難しい。

どうにか脳みその中が見えたらいいのですが…体感してもらう他、伝える手段がないが困りどころです。うむ。

 

お腹すいたので、この辺で終わります🐷

こういうところ、衝動性ね。ご免あそばせ。

本当に些細なことなのだけれど、ちょっとでも知ってもらいたいの。ADHDのこと。

 

それではご飯を食らいに、いざキッチン。

またにゃん🐈

良い本の見つけ方:小説編【図書館便り】

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こんにちは。にゃんちーです。

今日はとりあえずちょっと短めになりそうです。

 

良い本にについて、ちょっと考えてみました。

今日は小説に絞ってお話ししようと思います。

 

 

 

はじめに

好きな小説家とか、好きな小説のジャンルとかって誰しもあると思うんです。

好きなものが決まると、好きなものしか読まない人もいるでしょう。

でも時々冒険したくもなる。

最近SNSで、「何かオススメの本ありませんか?例えばこんな感じのやつ…」という内容のものをよく見かけるんです。勿論、人に聞いた方が速いし、自分では選ばないものに出合えることもあるでしょう。発信すれば誰か拾ってくれるので、とても便利な世の中になったものである◎

 

そうなのだが、しかし。

一方で、自分で探す楽しみがないじゃん、なんて思ってしまいました。忙しい人が多いのでしょう、本屋でフラフラってわけにもいかないのかもしれませんが。

 

わたしも凝り性なので、ハマったらそればっかりのタイプです。そんな私が自分にとって「良い本」を見つけるためのマイルール(もはや方法)があります。

いつもとはちょっと違うものを読みたいな、と思った時の参考になったらいいなと思ってこれを書いてみようかと。

本当にマイルールですが🐈

 

 

 そもそも 良い本 って、なにか。

今回は小説編なので、小説に限ってお話をします。

小説において、何が「良い本」なのか。それは一言で言えば、フィット感

 

私は小説を読む時、脳内で完全映像化されるので、あまり暴力的描写はちょっと苦手なんです。時系列がいれこになったり、場所がワープする点で、推理小説もあんまり得意ではないです。(推理小説読むときは、物凄く気合をいれます。はい。)

 

私がここで言う「良い本」というのは、売れているだとか、受賞作だとか、そういう評価のついた意味の良い本ではないです。

自分にとって(今これを読んでくれている、あなたにとって)の良い本。

 

もちろん内容が面白ければ、それが一番です!

でもそれって、頭からお尻まで物語を全部読んでみないと分からない。

読まないと分からないのに買えないじゃないですか。笑

 

小説の旨味のうち、7割を占めていると言っても過言ではない。

それが私の言う、フィット感。それは読み手である自分と、小説がもっているもの(或いはそこから感じ得るもの)とが、どれだけ一致するかということ。

 

それでは、私の「良い本」の見極め方をば。

 

良い本 見極め術① ケツを読んでしまう!

冗談!?

ではないです。大真面目で言っています。

小説であれば裏表紙にあらすじが書いてあるので、まずそれを読む。

当たり前ですが、さすがにここには物語の入口しか書いてないです。ここを読んで話に興味が持てればOKです。

 

物語の入り口を覗いてみてもイマイチ。

あるいは裏表紙であらすじではないことが書いてあることも…。

そんな時には、本当に、思い切って結末だけ先に読んじゃうんです。

本当に面白い小説って、例え推理小説だったとしても、結末を知ったうえで読んでも困ったことに面白いんです。

なんというか、ネタバレ万歳派です。笑

ちょっと万人にオススメ出来る方法ではないのかもしれません。

 

 

良い本 見極め術② あとがきを読む 

これは、あとがきがあれば、の話になってしまうのですが。

文庫本にはあとがきがあります。ほとんどに、ある。(近代以前の小説でなければ)

この、あとがきは、誰が書いているかにもよるところがあります。

作家本人が備忘録じゃないけれど心情を吐露している場合もあれば、違う作家が感想を書いている場合もあります。時々、小説家でもなく評論家でもなく、全く違う職業の方があとがきを書いていることもあります。

 

作家本人にせよ、作家以外、どちらのパターンでも興味深いのですが、できれば作家本人ではない感想書いているあとがきだと、とても参考になるのです◎

実際に中身(小説そのもの)を読んでみると、あとがきとは違った感想を持つことはあります。ただ、あとがきを寄せた人が、この物語をどんな視点で読んで、何を感じたのか参考になる部分は多い。

 

良い本 見極め術③ 冒頭の1文を読む(イチオシ🐈)

最後に、私が一番オススメする方法です。

小説の冒頭1文だけを読むことです。

小説って頭の1文で、どれだけ読み手の心を掴めるかが重要だと思うんです。

読み進めていくうちに、どんどん世界に引き込まれていくこともあります。

 

最初の一文ってゼロを1にするステップなので、ものすごく考えられているはずなんです。

たったこれだけ読んで、一体何がわかるのか。

その作家の文体、語彙力、言葉のセンス。少なくとも、これくらいは分かります。

作家の持つそれらが、自分の心地よさとマッチしているか。これが冒頭1文で「良い本」かどうか判断する基準です。

 

小説以外でも当てはまるやり方だとは思っていますが小説って、明確に何か情報を得るためのものではないですよね。娯楽的要素が強い本です。

だからこそ、最後まで読み通せるかどうかという自分なりの心地よさが重要だと思っているんです。それが、記事の最初で言ったフィット感、の正体です。

 

このフィット感を一番感じられるのが、冒頭の一文なのです。

できればその1文を、句読点も意識して声に出して読んでみてください。

本屋さんで実際に声に出して読み上げると、ちょっと怪しい人になるので、そんな時は心の中で音読をします。

読むスピード、句読点の間の取り方って人によって違います。それって書き手もそうだし、読み手もそうなんです。

要するに文章の持つスピード感と自分の持っているスピード感が一緒かどうか、といったところでしょうか。

 

どんなに売れていた本でも、どんなに有名な本でも、冒頭の1文だけを読んで本を閉じたことが私には幾度となくあります。

小説の面白さって内容は勿論ですが、表現の豊かさに魅力があると思っています。

それが冒頭のたった1文で、否応無しにバレてしまうんです。

内容が面白ければそれでいいんじゃん!と読み進めていける人には、あまりオススメできる方法ではないかもしれません。

 

例えば私のように、表現力だったりスピード感だったり、感覚的なものを重視する人にはうってつけのやり方だと思っています。

 

物語の入り方ってだいたい決まっているんです。

決まっているからこそ、そこにある僅かな違いに気がついてしまう。

私が小説を買う時に一番意識しているところはここです。

私の脳みそのせいか、単なる拘りなのか、どうしても気になってしまうんです。何が気になるって、特に語彙力。

文章を読んで、どれだけ他の感覚が刺激もしくは呼び起こされるか、というところです。それは心が揺れることかもしれないし、味覚だったり、触覚だったり温度だったり。視覚とは別の感覚が呼び起こされる。そんな感じです。

 

視覚で活字だけを追っているようでいて、案外頭の中だったり心の中で音読しているようなところがあると思うんです。

人によっては難しい漢字でつまずくこともあると思います。

まあ、それはっちょっと仕方ないところですよね。へへへ。

純文学が良いだとか、ライトノベルがダメだとか、そういうことじゃないんです。

冒頭の1文を心の中でいいから音読してみると、作者の文体が心地いいかどうかがわかる。それがとても重要だと思っているという話なのだ。

そして、その心地よさ=フィット感が自分にとって、「良い本」の基準になっているところが大いにある。

 

ちょっと気だるい、ダラダラとしたような文章が苦手な人もいるでしょう。

回りくどく比喩的な表現が苦手な人もいることでしょう。

逆にそこに書かれている以上でもなく以下でもない、言葉に含みのない文章がつまらないと思う人もいる。

文章に抱く心地よさって人によって本当にまちまちです。

でも、心地よい文章って内容の精度に関わらず、少なくとも読み続けていくことができる。それを判断するのに、冒頭の一文を音読するのをオススメなのである◎

 

 

 

良い本 と好き嫌いは紙一重(にゃんちーの場合)

例えば随分と昔の本になりますが、『世界の中心で愛を叫ぶ』という本が、恐ろしく売れました。映画化されているので、ご存知の方も多いでしょう。むしろ映画の方が有名かもしれないですね。

出版当時、私は高校生でした。

本が売れるあまり学校の図書室には、通称:セカチューのリクエストが多かったのでしょう。セカチューが5冊も入っていました・・・。

全校生徒が、読んだ、感動作!とでもポップつけたら良かったんじゃなかろうかってくらいです。笑

 

そんなに人気なのかと、ほとぼりが冷めた頃に本を開いてみたんです。

『世界の中心で愛を叫ぶ』の冒頭の1文はこうです。

朝、目が覚めると泣いていた。

この文章には続きがありますが、私はこれを読んだだけで、本を閉じそっと棚に戻しました。

 

たったこれだけの文章で、どうして読まないと決めたのか。(読めない)

「泣いていた」という表現が、あまりにも気に入らなかったんです。笑

泣いていたって、それ以上でも以下でもないんです。

泣いたという動詞だけを、乱暴にぶつけられた気持ちになったのです。泣いていることがわかる表現方法というのは山のようにあります。

目が覚めると泣いていたって、一口に泣いていたと言ったって、どんな風に泣いていたのか、これじゃ全然分からない。

まあ、気が付いたら涙が出てた。そんな感じなんだと思うんです。

これって、想像力じゃなくて、推測でしかないんです。

推測で小説を読んでいくなんて、推理小説でもないのに冗談じゃないやと思いました。

例えば、悪夢にうなされてボロボロと涙が出ていたのか、怯えて涙が出ていたのか。

冒頭の1文の続きを読むと分かるのですが、

悲しいのかさえ、もうわからない

と続いているので、恐らく悲しくて泣いてた。やっぱり推測なんです。

悲しくて泣くのも、寝てる間に泣いていたのだから、わんわん泣くってことはないのかもしれません。目尻に涙がにじんでる程度なのかもしれません。はたまた、枕が濡れるほど涙がこぼれ落ちていたのかもしれません。

でも、それすら分からないんです。

寝てるにも関わらず、悲しみから泣いていたのだろう、という推測でしかないんです。

それも、どれだけ悲しいのかさえわからない。

くれぐれもディスってるわけじゃないんです。中身の批判をしているのではなく、あくまで書き出しについての言及。

 

私にとって、セカチューは、頭から気になることだらけ、推測でいっぱいで、それを抱えたまま物語の終わりまで読める自信なんてどこにもありませんでした。

極端な話、目が覚めた・泣いていた。それ以上に情報がないんです。登場人物の感情の度合いも掴みづらい。

たったこれだけの文章で、書評的な意味で駄作という意味ではなく、少なくともセカチューは私にとっては「良い本」じゃなかった。そんな感じです。

 

 

おわりに 本への苦手意識の正体

本は読まないけれど、漫画は読むって人はいるじゃない?

これに限らず、本への苦手意識は面白い本に出合ったことがない。いわば食わず嫌いだったりします。あるいは、自分にとっての「良い本」の見極め方を知らないこと、なのです。

 

ビジネス書ばかりを読んでいる人って、小説となると途端に読めなくなるっていう人多いと思うんです。

ビジネス書って、これを読めば何が手に入れられるのかが明確だから、自分にとって必要かどうか、つまり自分にとって良い本かどうか、とても判断しやすいんです。

そこが小説を選ぶ時とは、大きく違うところです。

どんな本でも売れているというのは評価があるわけで、何か理由があるはずです。

だけど、必ずしも売れているからといって、自分にとって良い本というわけじゃないです。

 

その見極め方が分からないから、小説苦手とか。

小説ばかり読んでる人にとっては、ビジネス書ってなんか苦手みたいなことに。

これは何にでも当てはまると思うんですが、最初にどんなものと出会ったかって重要です。

最初に読んだ本がつまらないなって思ったら、二度と小説を読まなくなる。

なんだかそれって勿体ないと思うんです。

だからといって、自分にとってどんな本が良いのか、その判断方法は誰も教えてくれません。教えようがないです。感覚的でしかないから。

 

逆を言うと、自分だからこそ、わかることなのです。

 

自分に聞くという意味で小説の冒頭の1文、1節、1ページも読めば十分に分かると思うんです。1ページ心地よく読み進めていければ、後に何百ページあっても時間はかかるかもしれないけれど、案外読めるもんです。

長い文章を読むというのはある意味で訓練なので、最初から分厚い本を選ぶない方がいいです…。

取っ掛かりで自分の心にフィットするか、自分のスピード感と文体がフィットするか。

自分の感覚を研ぎ澄まして、自分で体感してみてください◎

 

なんか面白い本ないかなって思った時、でも、何が読みたいのか分からないな、でもなんか読みたいな。

そんな時は、時間が許せばですが、本屋さんをふらふらお散歩するのがおすすめです。

 

小説の入り口は、いきなり純文学とか、教科書に載っているようなちょっと小難しい本にチャレンジしなくてもいいんです。

個人的にはそういう本の面白さを伝えていきたいという気持ちはあります。

ライトノベルでもいいし、小説家が書いているエッセイでもいいと思います。

吉本ばななさんの小説は読んでなくても、エッセイから入るとか。辻仁成さんの小説は読んでないけど、辻さんのブログ読んでみるとか。

いきなり本を手に取るのが難しい人はこのご時世、作家さんでもブログやったり、SNSをやっている。そこから様子見るってのもいいと思います。

どんな人なんだろうって思って、その人に興味が湧いたらその人が書いているものに興味も湧いてくるから。

 

例えば私の話になりますが、高校の現代文の授業で夏目漱石の文章が載っていました。

近代化に向けての政策について、漱石は次のように書いていたんです。

皮相上滑りな改革

たったこれだけの文章、文章というにはあまりにも短い。

皮相上滑りな、それだけで私の心は持っていかれちゃったんです。

私がまともに夏目漱石を読むようになったのは、この現代文の中での1節がきっかけです。

今では、漱石の本をたくさん読んできたので分かることでもありますが、漱石ってなんかちょっと根暗でいつもどこかひねくれてる。そんな性格が彼の文章から、ちらほら垣間見える。

一方で漱石の社会を見る目は本当に鋭く、考察力に長けているのがとてもよく分かります。

漱石は新しい言葉を作る天才でもあった気がします。

日本語で書かれた小説もそうですし、英語の翻訳においてもそうです。

 

 

嗚呼、なんだか最後は漱石愛で終わってしまいました。

書いてるうちに面白くなってきちゃったので、このシリーズちょっと続けてみようと思います。

ビジネス書の自分にとっての良い本の見分け方とか。

目的はないけど、なんか読みたいな、の時の本の探し方とか。

私は、今回の小説編を含めこの3つの場面で、「良い本」の見つけ方を使い分けているので、本の探し方みたいな切り口でお話できる気がします。

自分が意識してるのはこの3つだけれど、もしかしたら他にもあるのかもしれません。

ケースバイケースですよね。

論文書いていた時期なんて、関連書籍を見つけてその本に載っている参考文献とか引用した資料って、芋づる式に読んでいましたから。

何か特定の分野を探す時は、この方法が手っ取り早いのかもしれません。あー、なんか色々あるかも。

 

ひょえっ!結局長くなっちゃいました・・・ああ。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました🐈

ということで、今日はこの辺に。

またにゃーん🐈

『メモの魔力』途中経過報告①【読書、そのあと】

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おはようございます。にゃんちーです🐈

とても珍しい時間に更新しております。朝だぜ✨

随分とご無沙汰しております。生きています、辛うじて。

タイトル通り、途中経過報告となります。

何しろ『メモの魔力』の最後、1000問ノック、字の如く1000問もあるものだから。

 

 

はじめに (そういえば・・・)

感想文、書いてない気がする!しまった…。

1000問やり終わった後に書きます。(後回しじゃないぞ。笑)

 

はじめの3問でずっこけた話☟

掟破りで、基礎のキの字も習得せずに、オリジナル開発しちゃったの。


今は素直に、前田式を身体に叩き込んでいます。はい。

守破離を心がけております。とりあえず、「守」をばと。

 

現状 34問/1000問

達成度合いで言えば、3%です。

パーセンテージ表記は、悲しくなるからやめよう。笑

最初の100問って、幼少期から今に至るまで、もっぱら「夢」についての問い。

 

メモの方法、思考回路、そう易々と体得できるものでもないのだろう。

それは著者の前田裕二が人生かけて築き上げてきた「メモの魔力」を、ちょちょっと出来るとは思えんのである。

最初は上手くできなくて、当たり前田のクラッカーなのだ。

(盛大にツッコミいれてくれていいにゃよ🐈(たまに出る昭和の駄洒落モンスター))

 

まだ34問。

幼少期から高校生までの振り返り。

幼少期の夢とか、理想の職業とか、もう本当に困った!

事実を思い出して書き起こすだけならまだしも、そのあと2ステップあるのだ。

抽象:何が?それで?どうしたの?どうやって?

転用:(抽象を踏まえて)…だとしたら何が出来る?

と、こんな感じ。

 

まず、思い出すのが大変。幼少期て。

下手したら日ごとになりたい職業変わってるじゃん!?

それを、抽象化して転用て…って思っていたのだけれど、やり進めていくうちに、なんとなく見えてきた。

 

わたしの夢とか理想って・・・

一番わかったことは、私って目に見える物には全く興味がないということ。

幼少期から高校生まで振り返ってみても、理想の住まいや年収、つまりお金には何も考えていなかったのだ。

一方で例えば理想の食事とか理想の人とか。

自分の信念は?という問いに対して、幼いながらにいつもあった。

ちなみに、幼少期の私の信念「目には目を歯には歯を」。一体、どこで覚えたのかしらね💦やられたらやり返す、だけど、やられた以上には「しない」ってところでしょうか。振り返ってみても、幼少期の自分は本当にそうだったと思う。殴られたら殴っていたし。笑

 

幼少期から高校生まで夢や理想の職業って、その時々で変わっていく。

大体いつも夢とか理想の職業って同じで、名前こそ変わっていくんだけど、それを抽象化すると結局いつも同じ答えになる。

多分その時々で自分が出来る表現が好きだったし、表現できる方法・手段が増えると、理想の職業の選択肢が増えていく、そんな感じ。

 

 

 

自他の認識、他者と自分との距離

幼少期から信念はあったんだけど、小さい頃って本当に自分のことしか考えていない。さっきの目には目を歯には歯をがいい例だ。

自分にとって身近な人、特に親。考えていてもせいぜいそのくらい。

何がきっかけでそうなったか分からないけれど、自分の信念が自分の内側に向いたのは高校生の時だったようだ。

自分の信念って持っているつもりだったけれど、実は小さい頃からずっと他人の視線を気にしているような、他人軸のものばかりだった。

決して自分の気持ちを蔑ろにしていたつもりはないのだけれど、人に対する想いの方が強かったのかもしれない。

 

本当に自分がどうなりたいのか、どう生きていきたいのか。

それが信念という形では現れたのが、高校生。

 

今思えば高校生の頃に進学校に通っていたにも関わらず、入学早々に平気でピアスを開けていた。進学校にしては珍しいと思うのだけど、物凄く校則が厳しくてさ。

ピアスなんかバレたら、まず体育の先生に呼び出される→毎日耳たぶチェックされる→耳にしこりが出来ればピアスしてない証拠で、解放。(友人談)

校則が厳しかったから、ピアスくらいしかしなかったけれど、見た目と学力って全然関係ないと思ってる。今でもそう思っている。

実際に関係なかったし。私は。

 

もしかすると、外面で中身まで判断される事に、抵抗感、嫌悪感があったのかもしれない。

真面目そうな見た目で真面目なままじゃ、つまらないと思っていたのかもしれない。

真面目そうな見た目なのに勉強できないっていう、ちょっと負のギャップも好きじゃなかったのかも。笑

 

ピアスあいてたって、勉強できる。

外見だけで人を判断することの無意味さを、自分が体現したかったのかもしれない。

かといって不思議なことに、そこそこの学力があるが故に先生にピアスを気づかれることはなかったんだ。耳を出していても、だ。

これについては当時、「偏見」って強烈なんだなあと思った。

そこそこ勉強出来る子=校則破らない みたいな逆説にもなるってことじゃない?

 

だから友達にはピアスあけていることを知られた時、結構な確率で驚かれた。中身と外身って同じイメージなんだなぁって今なら思う。

でも、全然関係ないじゃん!

中身と外身との一致って、偏見以外の何者でもない。ここに違和感を覚える。

 

例えば太っているからって、運動ができないとは限らない。言い方悪いけれど俊敏なデブだっているわけだし。

それこそ、お相撲さんだったらその体型は武器になる訳だ。

フィールドが変われば弱みは強みになる。

フィールド違ったら、今は強みだと思っていた部分も、もしかしたら弱みになるのかもしれない。

 

信念なんて言うからちょっと堅苦しいけれど、自他の自分に対する認識や、他者と自分との距離感・区別をしだしたのが高校生の頃だったみたい。

 

おわりに 自分が本当に大切にしていたもの

高校生の頃の私の信念は

「目指せ、カッコいい女。内面の充実。自立と自律」の3本柱。

 

高校は電車で通っていたこともあって、本当に本の虫だった。

 

私が本を読んでいたのって、家庭環境のせいもあると思う。

だけど、言葉で人が動くんだっていう体験をいくつもしてきたし、結局のところ言葉が世界を作っていくんだって無意識のうちに理解していたのかもしれない。

 

内面の豊かさが外見に出てくる、そう考えていた。

そう思うと外見を磨くよりも、内面を磨く方が手っ取り早いって思ってたのかも。

外見って、例えばダイエットとか筋トレなんかで短期間で結果を出すことができる。

でも、内面はそんなに短期間で養われるものではない。そして、内面の充実は、生涯に渡って消えることはない。例え太るほどドカ食いしても、内面に培われたものは脂肪い押しつぶされて、消えたりしない。

 

結局理想の住まいとか年収とか外見とか。目に見える物よりも、目に見えないものにずっと興味があって、目に見えないものを大事に生きてきたのかもしれない。

よくよく考えると、それって今でも変わらない。

 

ある意味、無欲。

ある意味で貪欲。

 

目に見えないところで、豊かでいたい。

多分ね、物に執着がないのって小金持ちには憧れないから、なのかも。笑

本当のお金持ちって、お金持ちでーす!っていう物、あまり持たないじゃない。それはお金持ちほどシビアでケチってことではなくて、本当の豊かさを知っているからなのかもしれないね。お金の使い方も知っているのだろうけれど。

 

 

この1000問、年齢を変えて、ひたすら同じ問いをぶつけられる。

変化のない私には、最初、拷問・・・って思っていた。けれど、何度も繰り返し書くことで、言語化するスピードは上がるし、類義語が出てきたり、そこから言葉も思考もブラッシュアップされていく感覚があった。

脳みその糖分使うのか、やたらチョコ食べながら解いていたよ🐖

ゆったりと、でも確実に、自分の中の宝探しをする。34問まで辿り着いて、ちょっと自分が見えてきたとき、そんな気分だった。

 

今日のところはこの辺で🐈

連休寒いそうです。暖かくして過ごしてにゃ◎

 

あたい仕事なんだぬーん。支度しやっす。したらば、またにゃん🐈

 

キキの魔法、ジジ、そして私【読書、そのあと】

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こんばんは。にゃんちーです。

 

黒猫が好きなんです。きっとジジのせいです。

なぜか不思議とキキに惹かれるんです、ずっとずっと昔から。

 

最近、それが「なんなのか」ちょっとわかった気がするの。

小さな私には分からなかったこと、今ようやく、何かを掴みかけている。

 

 

 

はじめに 考えたきっかけ 

きっかけは、アイコンをお願いしたことです。

 

アイコン作ってもらったお話は昨日のお便りの通りです☟

 

自分でアイコンを描いた時は、単に自分の好きなものって感じで描いていたのだ。それ以上、深く考えていなかった。私が猫、とりわけ黒猫が好きな理由もそこまで深く、考えていなかった。

自分がどうしてそれに「愛着」を持っているのか、考えたこともなかったんです。

アイコンを作ってもらうまでは。

 

 

「魔女の宅急便」 ジブリ映画で描きたかったことって…

原作の『魔女の宅急便』を読んだ時の感想はこちら☟

 

『魔女の宅急便』 原作とジブリ映画の違い

 

原作と、ジブリ映画の「魔女の宅急便」って、驚くほど内容が違うんです。

そもそも原作は6巻まであるので、キキが結婚して子供生まれて…とか、大人になるまで話があるんですよね。

私は1巻しか持っていないし、それ以降は原作もまだ読んでいません。

ジブリ映画で描かれた「魔女の宅急便」は、原作の第1巻のうちの、ごく一部なんです。それも、本当に初期の話です。

にもかかわらず、原作と違うところが沢山ある。もうあれは、宮崎駿監督の視点。

それでも物語として概ね原作にそ沿う形で成立しているので、ジブリ映画版「魔女の宅急便」も、私はすんなり受け入れられました。

 

原作の1巻はキキの独り立ちまでの成長を綴っている物語なのですが、映画ではそれだけに留まっていなかったのです。ここが原作と大きく違うところだと思います。

 

ジブリ映画「魔女の宅急便」では、原作と異なるところのうち、次の2つが、ずっと気になっています。

①キキ、突然に飛べなくなる

②キキ、ジジとお話できなくなる

 

実はこの2つの原作と映画の違いについて考えることと、アイコンのイメージ=自分のアイデンティティの考察と繋がっていくだなんて、想像もしていませんでした。

それぞれ、私がどんな風に考えたのか1つずつ追っていきたいと思います。

 

 

①キキ、突然に飛べなくなる について

キキが飛べなくなる=魔法が使えなくなる、ということ。

キキ=魔女=魔法 なので、いわば、アイデンティティの喪失です。大事件で大問題!

 

ジブリ映画の中で、キキが飛べなくなった原因については諸説ある。

私が知っている範囲では、恋をしたからとか、初潮説とか。

初潮説ってえげつないなって思います。確かに映画の中で、魔法が弱くなった時にキキは自分のお腹を押さえるような仕草をしています。

初潮=大人の女性 という通念も分からんくはないのですが、オブラートに包めないので直球で言おう!

 

その考え方、恐ろしく気持ちが悪い。笑

 

この初潮説は「邪推」すればするほど、真実味を帯びてくる。

キキが出発する日は満月。月の満ち欠けと月経(つまり生理だ)は、深く関係している。しかも満月…。

ほかにも、画家の少女ウルスラとの会話にあります。

ウルスラ:魔法ってさ、呪文を唱えるんじゃないよね?

キキ:うん、血で飛ぶんだって

 

この会話の「血」だけを拾って、初潮=大人への通過儀礼 みたいな推測、怖いよー。気持ち悪いよー。うわーん。

「千と千尋の神隠し」でも千尋の初潮が云々という見方があるようで、こういう邪推が多い。こんな邪推するの、だいたい男だろうよ、と思ってしまう。

該当者諸君、FGMについて調べてみるが良い。考え方が、FGMを行うアフリカの小民族と変わらないよ・・・。

(ごめん。FGMについて知識としてはあるけど、女として私は怖くて書けないです。)

 

 

話それた・・・(ありがち。ごめんにゃ🐈)

戻す、戻します。

 

キキが飛べなくなったのは、ただのスランプなんじゃないかと。

 

あ、

えー!?って思ったね??笑

 

もう少し説明させてくださいにゃ。

さっきも上げた、このウルスラとの会話。

ウルスラ:魔法ってさ、呪文を唱えるんじゃないよね?

キキ:うん、血で飛ぶんだって

ここでキキが言う、「血」というのは、「先祖代々受け継がれてきた、魔女の血」という意味なんだと思うの。

エンディングにかかるユーミンの、やさしさに包まれたならの歌詞とピタッとはまる。

小さい頃は神さまがいて 不思議に夢を 叶えてくれた

 

勝手に神様が願いを叶えてくれたように、キキにとって魔法は、意識しなくても脈々と受け継がれてきた「魔女の血」でどうとでもなっていた。「魔女の血」さえ流れていれば、魔女であり、魔法が使えたってこと。

魔女の血は流れていない、トンボがキキの箒にまたがっても空を飛ぶことは出来なかったのがその証拠でもある。

 

の、はずなのだが、キキは飛べなくなる。

「魔女の血」が流れているのに、魔法が使えなくなる。

 

ここで魔女の血、いわば与えられた才能、から、キキ自身の個の能力へとシフトしていくと、私は見ている。魔女の血=才能があったとしても、それを発揮・活かす能力が  あるのかを問われているような気がする。

才能があったって、発揮できない、スランプってあるじゃん。

キキはここで初めて、本当の意味で「血で飛ぶ」という意味に気が付いたんじゃないのかなあって思っている。

ほら、トンボを助けるべく、デッキブラシで飛べたんだから。笑

 

私が原作の『魔女の宅急便』に関して、

キキって、自分をコンテンツ化する天才だなあ

って書いたと思うんです。

それって、「今持っているものを」最大限に活かすことほかならない。

キキに惹かれる理由はここにあったんだと思います。キキは、宅急便としてモノを運んでいるようでいて、実は送り主の気持ちも一緒に運び、受け取り主には「幸せ」を届けていたんだろうな、って思ったんです。

 

私もそんな風に、なりたい。本を通じて。読書を通じて。

 

 

キキ、ジジとお話できなくなる

ジブリ映画の最後、キキはジジとお話できないままに終わったと記憶しています。

そう、ちょうど魔法が弱くなった時に、ジジとお話できなくなります。

 

実は、アイコンをお願いする時、うみこさんに伝えた私の言葉が、キキとジジの関係に当てはまる気がするんです。

 

私のアイコン、肩にくまさん🐻とうさぎさん🐰が乗っています。

うみこさんには、🐻と🐰は私の分身なんだーって、伝えたんです。

🐻と🐰には、実はちゃんと名前がついているし、性格もあるし二匹の性格は違うんです。そして、ジジの如し、お話できます。私の場合は、大人になった今でも変わりません。🐻と🐰と仲良しです。

 

基本的にぬいぐるみが好きではありますが、🐻と🐰だけは特別だったんです。他のぬいぐるみたちは、サヨナラできたのですが。

私が鍵っ子で一人っ子だったせいも、あるのかもしれません。

🐰にいたっては、私と同い年なのです。🐰の顔から体から、あちこちに、今は亡き祖母が、何度も繕ってくれた手術痕があります。今では私が繕っています。特にしっぽ。すぐ取れちゃうのよ。笑

 

キキにとって、ジジは、参謀でもありキキの中にいるもう一人の自分を投影しているようにも感じるんです。

映画の中では、ジジ、確かに喋っていますが。

でももしかしたら本当は、ジジはずっと「にゃー」しか言っていないかもしれないのです。それを、キキが自分の感じるままに汲み取り、あたかも「ジジが話している」かのように、会話をしているような気がしてならないのです。

 

そう考えると、私にとって、🐻と🐰はまさにこれ。

ジジのように、名前もあるし性格もあって話してくれる。でも本当はずっと、🐻と🐰の姿を借りて、自分の中の自分とお話していたんじゃないか・・・だから、自分の分身だと言ったのか!と、うみこさんに話した後で、気が付きました。

 

ジジもそうですが、私の🐻と🐰も、いつも励ましてくれます。いつも一緒に居てくれます。あまり否定はしません。そりゃ、時には叱られます。笑

でもきっと、全部自分の内なる声だった気がしています。そうやって、自分の応援団を自分でやってきたような気がするんです。

 

キキがジジとお話できなくなった。

それは、お話できなくなったのではなく、ジジの姿を借りていただけの「内なる自分」と「キキ自身」がピタっと寄り添えたんじゃないかと。

自分の心と、頭が一致した、とも言えそうです。だから、ジジの姿を借りて自分と話する必要がなくなった、ってことなんじゃないのかなって思っています。

 

ん?わたし?

私は死ぬまで🐻と🐰と一緒です。昔に比べれば、ずっと自分の心と頭は近くなりました。ここまで一緒にきたんです。🐻と🐰は、私の棺桶に入れてもらう予定です。遺言書、ちゃんと作っておかなくては。

 

 

おわりに 私は魔法使いじゃないけれど

アイコンを作ってもらう過程で、自分の中で「魔女の宅急便」とリンクし、実はこれだけのことを考えていたのであります。

 

私はキキのように魔法使いではないけれど、キキとジジの間柄はとっても良く分かる。でもそれを子供っぽいな、とは思っていません。

チグハグだった自分を、ひとつに纏めあげるのは至難の業だと思っています。

 

なぜか。

 

性格を英語で言うと、character:キャラクター。

特質・性質っていうのが元の意味。そこから、性格。

でもキャラクターって聞くと、アニメを思い浮かべると思うんです。その時、キャラクターがさすものって、登場人物しかも複数ですよね。

これはあながち間違いではない、と思っています。(主観ですけど)

 

多重人格とまでは言わないけれど、みんな自分の中に幾通りものキャラ、いませんか?

 

その複数いるキャラのうち、相手によって出すキャラを変えている場合もある。

私のように、自分ではない他のモノによって出している場合もある。SNS上のキャラなんて似たようなものかもしれない。ぬいぐるみじゃないだけで🐻🐰

 

別に変じゃないのだ。普通のことなのだ◎

怒りん坊・寂しん坊・恥ずかしがり屋・毒舌などなど。

いろんなキャラ=性格がある。

 

 

私のアイコン、私の首に赤いリボンがあるの🎀

これ、私が直接オーダーしたわけではないけれど、「魔女の宅急便」からヒントを得て、キキの赤いリボンをつけてくれたんだと思ってる。

ジジはキキの分身みたいな存在という私の仮説、このアイコンで一致したのにゃ🐈

 

キキのように、私の心と頭が一致すれば良いな、と思っている。

でもキキがジジと話せなくなったように、🐻と🐰と話せなくなるのは、だいぶ寂しいので、当分このままでいいや!って思ったりもする。笑

 

魔法は使えないけど、キキが宅急便で物を運ぶことを通して、実は誰かに・誰かの幸せを運んだように、私も誰かに自分の方法で幸せのお裾分けくらい出来たらいいなと思っている。そんな感じ。

 

 

余談、もう本当に余談:ブログの文章って、みんなどうしてるん?

 

あー、尻切れトンボ!(毎回、こんな感じです、私のblog💦)

 

ブログって難しいねー。これ、毎回思う。

沢山書いちゃうんだよね、私。むしろ沢山しか、書けない💦

私は内蔵キャラ数も多いし、脳内多動だから仕方ないと思っている。実はブログに限らず、何か書き物をしている時は、自分の思っていることフルで出してるから、推敲したとて、ろくに削れない。削ると、自分の中では辻褄が合わんのよね。

 

よく、読み手の立場になって書けって聞くけれど、その読み手の立場が分からんのんじゃ!特定の「誰か」を想定して書けばいい、とも言う。

ここに遊びに来てくれている人は、どんな人なんだろう?って想定する、と言えば聞こえがいいが、要するにマーケティングってことじゃない。

 

そんなの嫌だね!ちぇっ。(☜ジジ風)

 

だって、本当に図書館ないし本屋さんて、そこまでターゲット絞ってないじゃない??

いる?それ。ここに。

 

言いたい事を言いたい、書きたい。それで共感してくれる人がいるなら、ラッキーくらいに思っている・・・のでは、自己中心的で不親切なの、か?

 

サクっと短い記事でパっと読める文章書いている人、すごいなあって思う。

私には自分の考えを簡潔にまとめる文章力がない。(ちなみに、人の文章の添削は出来る。)

永遠とダラダラと思いを綴るみたいになりがちで、私は抽象的思考回路でもあるから。自分にないものを持っている人をみると、やっぱり凄いって思う。否応なしに。

 

だけど、ブログの文章を書く上で言われているような通説を守っていると、私は何も書けない。

私は私の頭や心の中をぶわーって書きだして、時には恥を忍んで、結論に至るまでの全工程を曝け出す。そういう方が、性に合っているのだ。

 

その人が何をどう感じて、最終地点まで至ったのか、私は人のそういうところに興味がある。結果だけ聞いても面白くないの。どうして?どうやって?が、気になるから。

 

だから私はそれを書いている。

他人の頭や心の中で起きたステップ(もしくは変化)って、見えないからこそ、知りたいし面白いと思ってるんだ。そこに人間味があるとも思うんだ。

 

はい!おわり!(必殺、ぶった切りの術)

最後までお付き合いくださり、ありがとうなのだ🐻🐰

したらば、またにゃん🐈

たかがアイコン、されどicon【図書館便り】

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こんばんは。にゃんちーです。

今日は 体験談&嬉しさ報告便り となっております。

カテゴリー設定に困って、お便りにしちゃった✉

 

とりあえず、みてみて!これ、見て!

うみこさん作 にゃんちーのアイコン

 

NEW !! icon です。か…可愛い🐻🐰💗

今回、うみこさん☟に、アイコンの作成をお願いしたのであります🐈

 

アイコンをお願いして、色々感じるものがあったんです。せっかくなので、制作発注→納品までの経緯も含めてご紹介したいのだ!

お願いしたアイコンが、あんまりにも可愛くって、見てほしかっただけじゃない・・・です。笑

 

 

はじめに うみこさんとの出逢い(そこから!?笑)

Twitterでの仲良しさん(片思いじゃないことを祈る…。)の かじこさん 

かじこ (@kajiwara806) | Twitter のアイコンを見るたびに、可愛いな、嗚呼、可愛いな…って、ずーっと思っていたんです。

かじこさんのプロフを見ると、アイコン&ヘッダーの制作者は うみこ🍊さん。

何故でしょうね…芸能人フォローするより勇気が必要で、うみこさんのプロフに行ってはフォローできずに戻り、また行っては戻り…。(チキンすぎる。笑)

ひょんなことから、かじこさん経由でうみこさんとTwitter上でお会いできたのです。

あの可愛いアイコン作った人だ!?どどど・・・どうしよう!?って思ったのだけれど、こんなチャンスねえわ!と思い、フォローしまーす!って言って、うみこさん、フォローしたと思う。

 

とはいえ、フォローしたものの、どうやってアイコン作って!ってお願いすればいいんだろう。金額にもよるし・・・。

と、うみこさんのブログでお仕事依頼関係を探しながら、同時進行でTwitterでは、かじこさんのアイコン可愛くていいないいなーって言ってたのね。

それを、うみこさんが拾ってくれたのだ!良かったらアイコン描きますよーって。

 

おっと・・・何も言うな、分かっている。これが、営業っていうやつだ。ん。笑

 

アイコン描きますよって言われた時に、営業上手だなーとか思わなかった。

それは私が本当に うみこさんにアイコン描いてほしかったからなんだよ。でも、色々手順も何も分からないし、ぐずぐずしているところを、うみこさんから声かけてもらって、ありがとう!半べそ😢って感じだったのだ。

 

これがそうじゃなかったら、がっついてんな、オイ。仕事ないんかな?って思ってたと思う。ゲラゲラ。(なんて下品な言い方…失礼。)

 

 

お願いしたい! でも、全てが不透明で怖い・・・。

これ、私だけじゃないと思うのよね。

アイコン等のイラストに限らず、フリーランスの方に何かお仕事(お代を払ってという意味)をお願いする際のハードルの高さはここにある。

仕事を受けるときに、直接聞けや!っていう人も居るかもしれない。

でも、いきなりDMしてくんな!っていう人も居るかもしれない。

 

どちらのスタンスであれ、フリーランスで仕事を受けている場合、Twitterのプロフ、ブログ、HPのどれかには、発注方法が書いてある。なので、Twitterのプロフ→ブログないしホームページと梯子して、どこかに「お仕事依頼はこちらから」みたいなものを確認することになる。正直、めんどくさい。笑

どういう形であれ、自分から発注かける=声かける のって勇気がいる。少なくとも、私にはめっちゃ勇気いる。コメントするのとは、わけが違うから。

そういう意味で、声かけてもらって本当にラッキーだった✨

 

でもその前に。

発注=お願い しよう!って決断するまでに、絶対に確認したいことってあるよね??

 

まずは、ズバリ、料金体系。

 

あとは納品までの期間とか。

つまり、発注から納品までの一連の流れが知りたい。

 

当たり前だけど、フリーランスはそこを自由に決められるので、人によってマチマチ。

どこかに提示してくれている場合もあるが、マジで何もない強者もいる💦

モノと金額しか載ってないことも多いけど、それが記載あれば御の字。

当然と言えば当然なのだけど、この自由度が高く裁量性なところに、少額なりともお金突っ込むのって、やっぱり怖いと思うのだ。

 

例えば、今回のアイコンのようにイラスト系やデザイン制作の場合。

定型フォーマットがあるのなら、カスタマイズで追加料金だよね。

そうじゃなければ、それって、オーダーメイドじゃん??

となると、頻繁にやりとり必要かな?とか、納得いかなかったら?とか。自分の返事が遅くなれば納期も遅くなるよね?ってことは・・・と、私はめっちゃ考えてしまった。考えたって分からない。かといって聞けなくて、ぐずぐず。そんな感じだったのである。

 

 

ということで、体験談! CASE:うみこさん🍊 

うみこさんから声をかけてもらって、私は急いでいなかったので、いつでも良いでーす。落ち着いたらお願いしまーす🐈くらい軽かったわけです。はい。

 

基本的な流れとしては・・・

①モノ・金額提示

②納品までの手順確認

③そのうえで、受注の最終確認

④決済

⑤ヒアリング

⑥デザイン開始

⑦納品

 

今回の私の場合、納品まではこんな流れでした◎(以下、🐈は私)

 

うみこさんから連絡くる。

そこに「制作内容・金額」の提示。これでお仕事受けて良いですかと確認してくれた。

 ☟

🐈:お願いする。ついでに二次利用の確認もする。

 ☟

了承もらう。受注から納品までの手順の提示。

支払方法・他のプラントの組み合わせと料金体系。

 

他の人がどうなのかは分からないけれど、うみこさんの提示内容がすごい親切で、どこで追加料金発生して、何が何回出来るのかまで分かったのである。例えば、お直しの回数とかね。

 ☟

納期確認。

 ☟

🐈:了承。

     日中OLなので、ヒアリング回答に時差ありと先に伝える。

 ☟

先払いなので決済方法の案内。

ヒアリングの回答は、時間ある時でOKと。

 

私がお願いしたんだもん。ちゃっちゃと答えないと、うみこさんの仕事が滞る!というプレッシャーあったので、これ、ホント助かりました。

私の中では、ここで、ぐっとヒアリングのハードル下がった。(話しやすくなった)

 

 ☟

🐈:ところがどっこい、決済サイトで私のクレカが非対応。

   うみこしゃーん😢どうしようーと泣きつく。

 ☟

別方法の案内を速攻で送ってくれました。

この迅速な対応で、あ。うみこさん仕事めちゃ出来る人だ!って思いました。

 

利用者側が不慣れなばかりに、よく分からんトラブルって付き物だと思うんです。でも利用者としては、こういう小さいトラブルだけで、もう嫌になっちゃうこともあると思うんです。そこのフォローが速いだけで、どんだけ安心したことか😢

 

 ☟

🐈:決済完了◎

 ☟

いざ、ヒアリング!! 

お話しながら、合意の上、最終デザインで納品。【完】

 

ヒアリング というなの オーダー

どんなイメージがいいですか?とざっくり聞いてくれた、うみこさんに対し、私のオーダーはこんなでした。

 

 悩んでいます...😞💦
今みたいに私と猫と熊と兎と一緒にいれたい!と思うけれど、アイコン小さいから見にくいとも思ってます。

 

私は猫が大好きですが、私自身は猫じゃないし...笑
熊と兎は、自分の分身でもあるので...🐈🐻🐰は肩や手のひら乗るくらい小さくてもいいのかもしれません(๑•̀ㅂ•́)و✧

 

今のところは顔を出して活動するつもりはないのですが、アイコンから実物を見た時、あ!もしかして!って思って貰えたらめっちゃ嬉しいです。(凄い雑なオーダーですみません😭語彙力が...)

 

言いたい放題。笑

私の説明力のなさがモロに出ている。おまけに、欲張りなうえに優柔不断で、もはやイメージでもなんでもない状態の回答・・・。

 

ここで、うみこさんからこんな提案が🍊

猫の着ぐるみにで、肩に、🐻と🐇はどうでしょう、と。

 

盲点!着ぐるみ!!その手があったかー!

ニャンちゅう、ならぬ、にゃんちーじゃん✨ うみこさん、天才。

 

自分のオーダーもあって、🐻🐇も含め実物に近いと嬉しいなと思っていました。

ということで参考写真を送り、好きな色をお伝えてました。

🐈については、ただの猫好きなだけで飼っていないので、イメージ的には魔女の宅急便のジジ、とだけ。

 

では明日、ラフ送りまーす!

イメージと違ったら描き直すので言ってね◎と、うみこさん🍊

 

なんと・・・ここのやり取りまで、わずか1日。速い。

そして本当に、翌日ラフがあがってくる。マジかー!そんなすぐ、イラスト描けちゃう!?と驚きました。

何よりも、あんな言いたい放題の回答を、ものの見事に汲み取ってくれたのです。

 

ちなみに、うみこさん、ラフを2つ提示してくれました。

それに対して私。

こっちがいいな、あっちでもいいなと、あ!こっちはここが絶妙だ!とか、相変わらず優柔不断な私でした。とほほ。

後は外せないポイントだけお伝えして、お願いしました。

(はっきり言って、言いたいことだけ言って、うみこさんに丸投げ。笑)

 

そして翌日、そう。つまり今日。

色付きで完成品の納品。

納品まで1~2週間って言ってた…超速いじゃん!びっくりぽん。

そして、出来上がったのが、今のアイコンであります。【完】

 

 

満足度 = 量ではなく、質

うみこさんとのヒアリングで痛烈に感じたことがあります。

ヒアリングって、回数(量)ではなくて、質。

どれだけ、相手の意図や気持ちを引き出せるかが要ということです。

そしてこれは、満足度に直結するということ。

 

本当はもっと、こと細かに色々聞かれるのかなって、少し身構えていました。でも実際は、私が言いたい放題言うような、一方的にレスの多い形でした。笑

注文の多い店ならぬ、注文の多い客、です。

うみこさん、ごめん!と、思いながらも、(困ったことに)なんでも言えてしまいました。それは、お金払ってるもん!っていう傲慢さからではないんです。うみこさんに、心が開けたっていう感覚でした。

 

だから、うみこさん、本当に優しくて丁寧だなって思ったんです。

ヒアリング回数が多かったわけじゃないんです。沢山のやり取りをしたら、丁寧だったと感じたり、満足するかというと、そうでもない。更に、ヒアリングが多ければ、それだけ質が上がるかというと、それもそうでもない。

ここには色々あると思っていて、どれだけ「相手の意図を汲み取るか」という力も必要です。そして、それをどれだけモノに反映できるかという技術力も必要。

 

うみこさんには、ヒアリングの回数が少なくても、相手の要望を引き出す巧さがありました。名付けて、汲み取り名人。(☜命名、私の彼)

勿論、アイコンの出来栄えもあります😊

 

相手=お客 が勝手に話てくれる環境や心理状態を作る方がずっと難しいのです。

それってつまり、信頼関係なんだと思うのです。

うみこさんは、その信頼関係を築くのがとても上手な方でした。

 

ということで、すごくすごく気に入っています、このアイコン🐈

そしてとっても満足しています!!にゃん!!

 

 

さいごに アイコンって

今ではアイコンというと、Twitterのアイコンのように絵柄で記号化されたモノをさすことが多いです。

でも、アイコンの英語表記は icon、イコンから来ています。そのため、アイコンには、偶像・象徴という意味があります。そういう意味で、アイコンって、やっぱり「自分自身の象徴」なのだ。絵画で言えば、超簡略化された肖像画。

これは、うみこさんとのやり取りで、どんなイメージですか?と聞かれ、自分なりに色々考えた時に感じたことでもあります。

アイコンで「何を表現したいのか」ということです。わたしは、他でもなく、私そのものを記号化してもらいたかったのです。結果的に、ちょっと大げさですが、「自分は何者なのか」というような問いの追究でもありました。

 

実は当初使っていた私のアイコン、自分で描いたものです。

でもイラストは描けないんです。簡略化・抽象化できない。それは要するに、自分では自分のことを客観的に、抽象化できないということだったのです。

 

うみこさんにアイコンをお願いしようと思ったきっかけは、可愛いアイコンが良い!です。でも、良い意味で自分のことを考える時間でもありました。

思っていた以上に、とっても有意義なものでした!

たかがアイコン、されどicon なのです。こうして考えた結果を、アイコンという形で表現してくれた、うみこさんには本当に感謝です💓よって、本日より、勝手に、うみこさん、応援し隊になりました。

 

ということで、うみこさん、ブログもやっているので、どうぞ◎☟

 

長くなっちゃったー!

今日はこのへんで。またにゃん🐈 

衝撃。実は先生もASDだった!【凹凸日誌】

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こんばんは。にゃんちーです。

更新頻度が不規則です。ごめんなさい🙇💦

もっつりこっつりです🐢

 

先日の診察、お薬もらいに行っているようなものなのだけど、その時の問診の話です。

発達障害のこと、本で読むよりずっと良く分かったのである。

 

 

 

 

ところで、私のADHD度合いって どのくらい??

ずっと気になっていました。

ADHDには、WAIS-Ⅲ(ウェイス・スリー)というテストがあるんです。テストの中身は公開されていません。

自分で自分のことを理解するのに、このテストを受けてみたいなって思っていました。

でも私が通っている病院には臨床心理士が居ないので、テストが受けられない。

 

そこで、思い切って先生に聞いてみたのだ!

ADHDって言われてから、自分のADHD度合いを聞くの、ずっと悩んでいたので、結構勇気がいりました。重度って言われたらどうしようとか、もし会社辞めたら社会復帰出来ないかも!?とか悶々としていました。

 

以下、🐈:私、🐻:先生(私は先生のことを、プーと呼んでいる。似てるからね。)

 

🐈:私のADHDって、どの程度ですか?

🐻:めっちゃ軽いでしょ。大学まで出てるんだもん。

🐈:(ふぁっ!?めっちゃお薬飲んでるけん…)

   軽いって、どのくらい軽いの?テストとかあるじゃんね??

🐻:テストにも出ないと思う。それ、WAIS-Ⅲのことだよね?

🐈:そう、それです。

   ん?テストでも(ADHD)って出ないのに、

   先生はどうして私がADHDってわかるの!?

🐻:僕の周りにADHDやASDの人が多いからかなあ。分かるよ。

   だって僕もそうだし。わはは。

🐈:えぇー!?先生もADHDなのー!?

🐻:あ、僕はASDね。自閉症スペクトラム。

 

あんまり明確な回答ではなく、先生の「医者としての勘」って感じ。

でも結構、納得してしまった。

 

何故かというと、これまで自分がADHDって知らなくても、私は「普通」に生きてこれたから。ある程度の努力を重ねていくと「普通」まで到達できたからだ。とかく、困ったことはなかったからだ。

例えば体感的な違い、音や光に敏感というのはあるけれど、それは私にとって普通のことだったし、みんなはそうじゃないと知りもしなかった。

軽度とは言え、ADHDだからと言って、乗り越えられないことはなかったし、まして病むこともなかった。

 

社会にでるまでは。

 

 

先生はいつ知ったの?ASDってこと。

診察での会話はまだまだ続きました。もう問診というより、ただの雑談。笑

 

🐈:先生はその診断、いつおりたんですか?

🐻:自己診断。

🐈:あぁん?笑 それはいつ、どのように…。

🐻:なんか自分は人と違うなーって思ってたんだよね。

   小学校中学年かな?心理学の本を読みまくって、あ、俺これだって。

  それがASDだっただけ。

🐈:マジかー。

   えー。でもそんな事言ったら、私も自分の事、

  みんなと違うってうんと小さい時から思ってたよ。

🐻:ああ、やっぱりあるんだね。

   (カルテにメモメモ…。)

 

これ以上、先生のASDについては聞かなかったけれど、面白いなあと思ったのです。

まさにASDだから。笑

私も自分が人とは違うってずーっと思ってた。でもそれは良いことだとも思っていた。不思議とこれに対して、なんでだろう?とは思わなかったのだ。

でも先生は、なんでだろうって気になって、小学生の頃に心理学の本を読み漁るっていう探求心が、もうASDらしくって。しかもそれで、精神科医なのだから、徹底して突き抜けている。そこが凄く興味深かったし、面白かった。

 

 

ところで私のADHDは、どうしてテスト(WAIS-Ⅲ)に出ないの?

問診という名の雑談は続くのであります。ででん。

 

🐈:でも、なんで私はテストでもADHDって出ないの?

🐻:だって大学でてるじゃん!?

🐈:それとどういう関係が…

🐻:あれはほぼ知能テストだよ。

🐈:IQってこと!?

🐻:そうそう。本当にテストで診断される人は、IQも低いってこと。

    だから、そういう人にお薬出しても意味がないわけ。

    例えば忘れ物。

    それはADHDの特性ではなくて、IQの問題だからね。

    そもそもIQ低ければ、自分が人と違うことにも気が付かない。

🐈:そうなのかあ…

🐻:だからADHDやASDっぽさ、グレーゾーンに居る人のうち、

   本当に診断が下るのは5%くらいなんだよ。

  でもテストで診断でないから、なんか生きづらいなって人が多い。

🐈:うつ病からの自殺者のうち、半数以上は隠れADHDじゃないか、

    っていう記事を読んだことがある!

🐻:あー。ADHDの人って、突発的だからね。

   だからうつの治療してもダメなんだよ。

   根本的な治療にはならないんだよね。

🐈:…。(分かりすぎてツライ)

 

 

私はとてもラッキーだった

他に言い方が見つからないのだけれど、この雑談で本当にそう思ったのだ。

私、ADHDってわかって、マジでラッキーだったわ、って。

三十路過ぎての診断だったけれど、多分、きっとこれから先の方が長いわけで、ADHDってわかったことで、突発的に世界におサラバ!とかしないで済んだとさえ思った。

 

社会にでて、結婚して、何度か鬱をやっている。

初めて鬱になった時の治療の苦しさは今でも忘れない。自分にあったお薬が見つかるまでの間、まるでお薬ジプシーで迷子だったし、体調は悪くなる一方だったからだ。

半年かけて鬱から抜けて、忘れたころにぶり返す。そんな生活だったのだ。

 

今は二次障害で鬱っぽさだったり、摂食障害だったり、睡眠障害だったりとか色々体にでちゃっている。ADHDではなくて、それが発端で出た二次障害で生活に支障がでているのが問題なのだ。で、お薬の力を借りている。

 

それかもう1つ分かったことがあるの。

ADHDだからって、それで難なく生きてこれたのだ。ということは・・・

今の(ここ数年の)自分の居た環境が、自分に合っていなくて、合わせられなく、合わせようと頑張りすぎた結果の二次障害なのだと。

 

お薬を飲んでいると確かに楽になる部分もあるし、沢山助けられているのだけれど、本当の自分が消えていってしまうような寂しい気持ちにもなっていました。

だけど、そうじゃないんだ!って思ったんです。

ADHDでも活かされる場所さえあれば、楽しく生きていけるんじゃないかって。

そういう居場所を探すか、あるいは、自分で居場所を作っていこうって思ったの。

 

ほぼ雑談のような診療だったけれど、私にとってはとても救われるものがあったのである。うむ。

 

今日はこの辺で。またにゃん🐈

 

頑張り屋さんのお母さんへ、本当は寂しん坊の君へ【読書感想文】

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こんばんは。にゃんちーです。

Twitterのお仲間さんが、ここで紹介した本を手に取ってくれたんです。本当にとても嬉しかったのにゃ🐈✨

そこでのやりとりで、オススメした絵本。今日はこの1冊をば。

 

日頃、家事に仕事に育児に・・・と頑張るお母さんへ。

そして本当は寂しん坊の子供たちへ、この本を送ります📚

 

ではさっそく。

 

 

『よるくま』 酒井駒子著・絵 偕成社


全部試し読みが出来るサイトもあるので、そちらのリンクも貼っておきます◎


あらすじ

ベッドに入った男の子。お母さんが部屋にきて、男の子はお母さんに話しかけます。昨日の夜中に男の子が出会った、「よるくま」のことを。

 

夜中にトントンとノックの音が。

そこに居たのは、可愛いくまさん。名前は「よるくま」

男の子はよるくまに色々とたずねます。どうして来たの?って。すると、よるくまは、どうやらお母さんを探しに来たらしいのです。

めが さめたら おかあさんが いなかったって。

 

そこで男の子は、よるくまと一緒に、よるくまのお母さんを探しに出かけます。

よるくまは、その名の通り、

よるみたいに まっくろ

だけど、

むねの おつきさまは ひかってる。

 

そうです。

よるくまは、月の輪ぐま をまっくろにしたような姿なのです。

男の子はこう、思います。

こんなかわいいよるくまを おいて おかあさん どこにいったの。

 

ハチミツ買いに行ったのかな?

それとも、よるくまと一緒によくいく公園かな?

もしかして、もうお家に帰ってきてるかな?

男の子は色々考えて、あちこち、よるくまのお母さんを探します。

 

男の子のお母さんはと言えば、男の子のお話に付き合ってくれます。時々、そのお話を聞いては思うことを口にしながら。

 

よるくまのお家に行ってみたけど、やっぱりおかあさんはいませんでした。

とうとう、よるくまは泣き出してしまいます。

よるくまの涙はまっくろ。溢れる涙で、どんどん、どんどん、黒く、暗くなっていきます。

まっくらになった時、助けて流れ星!ってお願いすると・・・

 

その先には、探していたよるくまのお母さんが居ました🐻

どうやらよるくまのお母さんは、お魚をつってお仕事をしていたみたいです。

よるくまのお母さんは、よるくまと、そして男の子を抱っこしました。

ああ あったかい。おまえは あったかいねえ。

 

そう言って、よるくまのお母さんは、二人を抱っこしたまま、お家に帰ることにしました。

 

そして男の子とよるくま、二人は一緒に、

きょうは、もう、おやすみ🌙

 

 

よるくまの登場シーンがとにかく可愛い

もう本当に。このページで即買いした。笑

では、どうぞ!

 

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もう、何も言えない可愛さ。

きっと、親からすれば、自分の子供たちは、こんなにも可愛いのだと思うのです。

 

私がこのよるくまの登場シーンが好きな理由。

それは2つあります。

ほぼこれが理由ですが、よるくまが、私の大事にしているくま(のぬいぐるみ)と、ソックリなのです◎

わたしのくまは、色こそ白いのだけど、月の輪ぐま。サイズ的にも似たような感じです。今の私が抱きしめたら、ちょっと小さく見えます。私が子供だった時は、くさまん、大きく感じたのですが、私がでかくなってしまった。

(とても小さい声で言いますが、このくま🐻とうさぎ🐇(誕生日一緒)と寝ています)

 

それから、もう1つの理由。

よるくま、という名前で文中にはその姿はまっくろ、と書かれていますが、実際の絵はご覧の通りで、黒じゃないのです。

濃紺。

厳密には、おそらくですが、赤かピンクぽい色の上に、濃紺を重ねて塗っています。この色合いが絶妙だと、唸りました。

この絵の表現力が、本当に凄いと思うんです。

 

この よるくま の絵の凄さをもう少し語らせて・・・

よるくまは、夜、それも真夜中に来たくまさん。

実際に、真夜中は確かに真っ暗なのだけれど、不思議と真っ黒ではない。私はそう思っています。

黒の中に、色んないろがある感じがするんです。例えば漆のような、艶っぽいどこまでも深く単一な黒さ、ではないと思うんです。

 

そしてこれは夜の心理状態をも表している気がしてならないのです。

夜って子供にしろ、大人にしろ、真っ暗な時間のなかで、色々考えちゃったり感じたりすると思うんです。

大人は大抵、日ごろの不満や悩み事、反省とかかもしれませんが・・・。子供だって、その真っ暗な時間で、同じように何かを感じているんだと思うのです。

 

そんな感覚を、文字通りの黒ではなく、濃紺で持ってきたという酒井駒子の感性が、本当に素敵です。

 

そして、よるくまの胸にあるお月様は、まさに夜道を照らすお月様のように光っている。やっぱり、真っ黒なんかじゃないんです。

真っ暗な中にある、明るさが、どれだけ温かいか。

三日月でも、足元くらいは照らしてくれる明るさ、それがどんなにホッとするか。

私はこのよるくまを見て、そんなことを感じました。

 

それから、よるくまの、ちょっとぽってりした、丸っこくて可愛い体型(いわゆる幼児体型)であるところも分かります。毛並みこそ描かれていませんが、酒井駒子には珍しく、光の反射による色の濃淡がついていて、シルエットがよく分かる。そこに不思議と重さを感じられます。いわば、よるくまの体重。

 

そもそもですが、こぐまと子供をリンクさせたところが、まず上手い。

ぽてっとして手足がムチムチした、ずんぐりむっくりの体。

頭が大きくて、首があるのかないのか・・・首が短いところ。

これが、くま以外だったら・・・どうでしょう?ちょっと想像してみてください◎

 

 

力になりたい、その気持ちが「育てる」

この絵本には、主に2つのメッセージが描かれていると思うのです。

男の子は、よるくまのお母さん探しをすることで、ちょっと成長していくんですよね。

本当はきっと、男の子も、よるくまと同じ気持ちだったんだと思うんです。

夜、お母さんがいない。寂しくって泣けちゃう、って。

まるで自分を投影しているかのようなよるくまの姿をみて、男の子は自分に出来ることを探していくんです。

もしかしたら、子供って、そうやって成長していくものなのかもしれないなあって思いました。小さくたって、幼くたって、「誰かの力になりたいな」って。そう思う気持ちが、子供を成長させてくれるのかもしれません。

 

たとえ親の前では強がっていたって、寂しい気持ちを表にださなくたって、本当は寂しん坊な気持ちはきっとあって、子供ながらに「力になりたい」って思うから、その寂しさを隠しているのかもしれません。

 

抱きしめるとあったかい

もう1つは、親へのメッセージだと思っています。

よるくまのお母さんの言葉がすべてじゃないでしょうか。

 ああ あったかい。おまえは あったかいねえ。

 

これはぎゅっと凝縮された、「あたたかさ」だと感じています。

体温とか、気持ちとか。

それは、親にとっても子供にとっても、「あったかい」ものなんです。

忙しくて色々考えることも多いかもしれません。親として・・・って反省することも時にはあるかもしれません。

でも、本当はきっと、抱きしめる。それだけで充分に子供への愛情は伝わるのだと思います。 何しろ、絵本の最後、男の子とよるくまの寝顔は、とっても穏やかで幸せそうだもん。

 

おわりに 絵本について

あらすじを読むと長く感じるかもしれませんが、とっても短い絵本です。

子供にとっては、自分の気持ちに寄り添ってくれている絵本。

親にとっても、自分の気持ちに寄り添ってくれている絵本。ここは、よるくまのお母さんが、どうしてお魚をつるお仕事をしているかのくだりで感じるものがあるんじゃないかなと。

双方にとって、とても温かい気持ちになる絵本だと思います。

 

絵本って、基本的には子供のための読み物です。

でも、絵本は子供を教育するための道具では、ない。

大人にとっての「都合の良い子供の姿」あるいは「理想の子供の姿」を、刷り込むようなものではないです。ん?なんだか、これ、他の蔵書(記事)でも書いた気がするぞ。

 

確かに絵本で覚えることも多いです。

だけれど、図書館長として言うのであれば、子供のうちに、本当に大切なものを教えてくれる絵本に、たくさん出会って欲しいなあと思います。

そういう絵本は、大人が読んでも心を揺さぶられるものなのです。

 

≪追伸≫

館長こと私、酒井駒子が大好きなので、イチオシなのです。

ということで、酒井駒子が気になった方へ。過去の蔵書をペッと貼っておきます。

よろしければどうぞ m(_ _)m

 

 


 

したらば、今日はこの辺で。

最後まで読んでくれた方、ありがとうなのにゃん◎

またにゃん🐈

 

自分の本棚=頭の中【頭の中の本棚より】

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こんばんは。にゃんちーです。

ちょいと最近は短めの記事になっております🙇💦

今日、ふと、自分の本棚を見て、びっくりしたのだ。だからか、独り言っぽい内容です。悪しからず。

 

 

棚に収まっているもの=その人の大事にしているもの

本棚でもいいし、食器棚でもいいし、ちょっと違うけれどクローゼットでもいい。

棚に収まっているものって、その人の趣味が出るよね。

 

音楽が好きな人はCDが。

映画が好きな人はDVDが。

読書が好きな人は本が。

食事が好きな人は食器や調理器具が。

 

だからって訳じゃないけれど、例えば人の家に行った時、つい、見ちゃう。

 

にゃんちー、悪趣味だな・・・って言わないで―!

見るだけ。口にもしないし、まして物色しないから。笑

うむ。でも、まあ悪趣味なのよ (´-ω-`)

 

大事にしているもの から分かる価値観

例えば私は、本もCDも多い。

これでも引っ越しの際に、マジで大量に処分した。

と、いいながら、まだ運びきれていない本もCDも実家にあるのだけれど。笑

 

私の本棚って、本当に少し前までは、美術関係の書籍(カタログ・専門書)か、絵本と小説しかなかったんだよね。

 

ところが、今日、ふと自分の本棚を見て驚いた。

この1年足らずで、信じられないくらいビジネス書系・自己啓発系、臨床心理系の本が増えていた。

ほんの1、2ヶ月前に、本棚を整理して1つ棚を空けたにも関わらず、もう本棚に入りきらなくなっている。残念ながら、読めていない本が山の様にあるけれど。

これって、私の関心事がシフトしつつある、ともとれる。今の自分の深層心理を量るのに本棚の定期的チェックはいいかもしれない。

 

例えば他にも、音楽のCDって言っても、どんな音楽が好きなのかが垣間見える。

服や食器もそう。

好きなものから、もうちょっと具体的に、この人って何のどんなところに「価値」を置いているのかが見えてくると思うんだ。

だから棚って、見せ方も含めて、結構人柄が出るものだと思っている。

本当はどんな人なのか知りたければ、棚を見るといいかもしれない。笑

 

わたしにとっての本の価値、それは心が動くかどうか

ここ最近、私は読書に対する焦燥感とか虚しさを感じている。

この焦燥感は、おそらく、課題図書(読めていない本)が多すぎるからだと思う。

 

じゃあ、虚しさは??

今のところ私の中では、頭で読んでいて、心で読む本を読んでいないからなんじゃないかという仮説がたっている。

頭で読む本、私にとってはビジネス書。

別にビジネス書がつまらない訳じゃない。得るものも多いし、新聞やネットよりも案外と社会のことが分かったりもする。ビジネス書はある意味で自伝にも近く、著者の人となりも分かるし、その人が何年もかかって築き上げてきたものを、たった1冊で収穫できる点でコスパが良い。

 

だけど、常々思うのは、ビジネス書って生モノなのだ。

 

本当に長きに渡って読み継がれている経営学の本もある。だけれど、大半は消費に近い形でバカスカと出ては、どっと売れて、すっと消えていく。実際のところ、本が売れなければ書店も出版社も潰れるわけだから、いづれ廃れるものを旬な時に売ることが必要だ。

悲しいかな、これ、ビジネスの鉄則、だと思っている。

これは他の分野で言えば、ファッションがいい例だ。ビジネスにしていくには、一刻も早くその流行りのファッションが廃れてくれなくては、次の一手は売りようがないからだ。

本当に良いものって、ずっと残っていくのだけれど、そこにお金が絡むとやっかいだなあと思う。それでも、語り継がれていくものは、やはり本物だ。例えばシャネルのスーツのように。

 

そう。私は本の消費が好きじゃない。(ただし、今のところ推測)

ビジネス書って頭で読むから、1冊読むのに2時間とかからない。何しろ気持ちはどうであれ、頭で理解すればいいからサッサと読めてしまう。勿論、読み返すこともあるし、読んだ時は感動することさえある。だけど、よほど熱量こもった本でない限り、その感動は打ち上げ花火のように瞬間的に消えていく。

 

原点回帰してみないと分からないところなのだけれど、私は心で読む本が好きなようだ。あるいは、本を読むことで心の栄養補給をしてきたってこと。

私にとっての読書は「琴線を震わせる」こと。

私が本のどこに価値を置いているかと言えば、心が動くかどうか、「本物」に出会えるかどうか、ということろなのかもしれない。

心で読む本は、読むのにうんと時間がかかるから、蔵書ペースが遅くなるかもしれないにゃー・・・。

 

 

本物と言えば・・・美術作品!?

今、これを書いていて自分の中で勝手につながった!

 

図書館長をしているけれど、私の専門は本当は美術なのだ。学芸員資格は持ってないけど、一通り勉強はしている。そして、何より、美術が大好物。じゅるり。

もっぱら観る専門なのだが、私が美術好きなのって、もしかしたら「本物」と出会えるからかもしれない。

 

美術作品って、答えがない。*1だから、ひたすら作品と心の中で対話をする。

すると不思議なことに、作品のほうから心を開いて本当の姿をさらけ出してくれることがある。この時、「感動」することが多い。

感動って、まさに「琴線に触れる」ことだ。本当にごく稀にではあるけれど、琴線に触れ過ぎて、大根おろせそうなくらいに鳥肌たったり、無意識に突然涙することもある。

 

 

おわりに 余白を楽しむ

ここに何かヒントがある気がするぞ。むむむ。

心が動く時、もしかしたら、「余白」が必要なのではないか。

それは解釈の余地という意味。本であれば行間を読むような感覚に近い。

本でも美術だけでなく、何にでも当てはまりそうなのだけれど、解釈の余地=想像できる自由があることだと思うのだ。

逆説だけれど、自由度の低いものは、もしかしたら、心に触れにくいのかもしれない。

 

なんだか、書き始めた時に思い描いていたものと全然違う終着点になっちゃった。

不思議だけど、なんか今日はこれが良い気がしてる!笑

ほぼほぼ独り言みたいな、日記みたいな内容になっちゃった。だけど、これを書いていて、「余白の自由」が楽しいんだって気が付いて、near2図書館の在り方が見えてきたかも。

 

と、言うことで非常に纏まりのないところで終わります。

またにゃん🐈

 

≪追伸≫

いつも遊びに来てくれる方、本当にありがとうございます◎

数字上(PV数)からは分からなかったけれど、内訳見てみたら、ダイレクトにここにアクセスしてくれている方がめっちゃ多くて驚きました。直でここに来るって、ブックマークしてるとかじゃん。

もう、本当にありがとう。とても嬉しいです。

本当に、本当に嬉しかったんだ!(語彙力が乏しくて言い表せない・・・。苦笑)

だから忙しくたって、疲れていたって、私がここに来たくなるのは、画面の向こうに誰か居るんだって思えるからなのだ。

いつか本当にみんなに会えるといいんだけどな。そういう場所、作りたいんだー。

 

*1:実際のところ、古い日本画であったり、西洋の宗教画は、知識がないと観れないことが多い。それは、美術がとりわけ富裕層の教養・たしなみであった時代と関係していると考えられる。だから今それを観ると、知識ないとつまらないものも多いってのは事実。

お薬との付き合い方【凸凹日誌】

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こんばんは。にゃんちーです。

最近書いてなかったのでADHDのこと、書いてみようと思います。

お薬のことについて。

 

 

 

ストラテラ と コンサータの併用💊

怒涛の年末調整だけを乗り切るつもりで、コンサータが処方されました。多分、病院の先生の優しさだったのだと思います。

が、この前の診療で、コンサータ併用確定になったのです。

これがなかなか曲者でして…。

 

想像以上に頑張れちゃう!→電池切れ

一応、事前に聞いてはいました。

ストラテラとコンサータ、併用すると効果も相乗効果が期待される。でも実は、副作用も相乗効果・・・。ぐぬぬっ。

なので、コンサータ飲み始めた時は、正直怖かったです。

 

はじめは、コンサータの処方時に、こんな約束をしていました。

①休みの日は飲まない

②頑張らなくていい日は飲まない

③副作用がきつかったら、ストラテラ2回を1回にする

 

私は、ストラテラに慣れるまで副作用が凄まじいものがありました。激やせしました。ただでさえ、摂食障害で痩せてたのに、です。

ストラテラに慣れた今、幸いコンサータを併用しても副作用がありませんでした◎

 

そしてコンサータを併用してみて、感じたことは次の通りです。

①思った以上に、そして無意識に頑張れちゃう

②そしてコンサータの効果8~12時間後に、突如、電池切れになる

③結局コンサータ飲まなくても疲れるw

④コンサータによって、忘れ物・凡ミスがかなり減った

⑤コンサータによって、長距離運手がすごく楽!

⑥コンサータを飲んだ時の、自分のさじ加減が課題

⑦ただし、コンサータ服用後の反動がしんどくて、翌日撃沈しがち

 

こんなところです。

結局、先生と話して、自分のためにもコンサータ毎日飲みましょう、になったのであります。

 

お薬はあくまでも 生活習慣を掴むまでの補助

特にコンサータは脳に直接働くものです。覚醒作用があるので、時に、覚せい剤と一緒だなんて言われることもあります。

そんな怖いお薬飲んでるの!?ってなるかもしれません。実際に、安易に処方されないお薬でもあります。なので処方には、慎重です。(バシバシ出す先生は、ちょっと考え物かもしれません・・・。)

 

でも、ADHDやASDって、障害なので直りません。

だから、お薬で直そうとすると抜け出せなくなるんだと思うんです。じゃあ、どうすればいいのか。

 

これはあくまでも私の考えですが、ADHD・ASDもちはお薬の力を借りながら、自分にあった生活を見つけていくのが課題です。

これは鬱などの精神疾患にも言えることです。

 

お薬の依存ってあるんです、やっぱり。

それは本当にお薬の成分に、身体が依存的になることもあります。

ただ、心理的依存もかなり高いと思っています。お薬を飲んだ、という安心感が手放せなくなる、と言い換えられるかもしれません。

 

ここを履き違えると、やっぱり大変なのじゃないかと感じています。

いずれやめなくてはならない、っていうか、やめたい!というのが本音です。お薬をやめても大丈夫なペースの生活を掴んでいくことが最優先事項なのです◎

行動療法といいますが、生活していく上での工夫=ライフハック はかかせません。

 

お薬なしでそれが出来ればいいのですが、人によってはそうもいかない。

例えば、私は、音や光にとても敏感です。時計の秒針の音、換気扇の音が、てんで駄目です。その音が1度耳につくと、全神経がその音に持っていかれるくらいです。笑

そうかと思えば、ハッと気が付いたことに意識が飛んで、目の前のこと放り投げて次に進んでしまうようなところもあります。

一方で、集中すると信じられないスピードで片づけていくこともできます。(過集中といいます)

 

おわりに

ADHD由来の体感もあって、そこそこ集中するとか、バランスをとるというのが私はとても苦手なのです。

ASD由来の拘りの強さもかなりあります。だから、安易に生活習慣を変えると言って、拘りを手放して生活を一新してしまうと、軽いパニックにもなります。

障がいの重さは人それぞれですが、否応なしに自分と向き合わざるを得ず、お薬によって多少コントロールないし軽減されています。その中で、いかに、上手に本来の自分と付き合っていけるようになるのか。

まだまだ手探りです。

コンサータを併用するようになって、食欲減退がいちじるしく、お腹が細いな・・・と思って測ってみたらウエスト56cmでした。結構ヤバイです。笑

食べれるときは食べて、元気な時は早起きしてみたり、お掃除したり。ちょっとずつ、本当の自分を受け入れながら、自分と仲良しになれたらいいなと思っています。

 

道は長いけども。うむ。投薬の目安は3年とも言われているので、最短の3年を目指しています。

今日はこの辺で。

またにゃん🐈

 

 

辞書が好き【頭の中の本棚より】

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こんばんは。にゃんちーです。

読書感想文と言えばそうなのだけど、なんだか特殊なので、こっちにしました。

 

 

何を隠そう 辞書が好き

そうなのです。本の虫ならぬ、辞書の虫です。

今度ぜひ紹介したいけれど、装丁がとても可愛い『擬音語・擬態語辞典』があるのです。中身もめっちゃ可愛いのです。

 

さて。

国語辞典に絞って書くと、私はとりわけ『新明解』という辞書が大好きです。笑

映画「舟を編む」にもあったかと思いますが、紙質が好きです。指に吸いつくような、それでいて複数枚めくれることはない、ちょうど良い感じ。この紙の手触りを、ぬめり感と言うようです。

 

私は日常的に辞書をよく引きます。

本当にどうでもいいことが急に気になって、ちょくちょく辞書を引きます。

ひいた単語のみならず、見開き1ページを熟読してしまうのです。

 

そう。

私にとって辞書は、読み物です。

 

 

弱虫 って言うけど、強虫 って言わない

例えば今日は、これが気になったんです。弱虫って言うけど、強虫って言わない。

なんで??と。

弱虫の意味に、対義語としてやはり強虫はなかった。

 

ということで、虫について調べてみました。こういうところ、辞書のいいところなんです。1冊で全部解決できるから◎

 

で、虫って、昆虫っていう意味があるのは勿論、面白かったのがこちらです。

体内にあって、人間の心的状態を左右すると考えられるもの。

 

ほほーって思いました。

例えば・・・・

腹の虫がおさまらない、とか。

虫が好かん!とか。(気に入らないの意味)

虫の報せ、というのも、この部類の意味に入るようです。

 

じゃあ、弱虫は?というと、

ちょっとしたことにすぐ反応して、怒ったりする人 

泣き虫・弱虫 が例文で載っていました。

なるへそ!ちょっとしたことで、弱っちくなるから、弱虫ね!

ははーん。

 

虫って小さい動物

そもそもの、虫の意味の末尾に、「小さい動物」ってあったんです。

小さいもの→(強弱で言えば)弱い、だから「弱虫」。だから、強虫はいないのかあ!と納得したのであります◎

 

言葉 は連想ゲームで出来ている

辞書を引くと、まるで連想ゲームをしているような気分になります。

そもそも、さっきの弱虫もそうですが、言葉って、「連想」が結びついて出来ているのだと思うんです。

 

急に話題が変わりますが、例えば「ちんちくりん」。

丈が短いこと、背の低い人を意味します。

実はこれにきちんと漢字があること、知っていますか?

 

珍竹林 です!笑

 

これについては、実は諸説あるのでなんとも言えません。当て字な気もします。

でも竹って背が高いので、そこに珍しいという漢字がつくのも、分からなくもない。

珍痴苦林という表記も明治時代にはあったようなので、当て字かな??

意味によっては、竹林と痴苦林の区別がつきそうなものです。

 

弱虫から、ちんちくりんに行ってしまいまいしたが、不思議と連想させる力がある言葉です。

むしろ、言葉の成立としては逆かもしれませんね。

連想されるもを、組み合わせて新たな言葉が出来たのかもしれません。

 

こういう事に夢中になれるので、辞書が好きなのであります。

暇つぶしには持ってこいです。

ぱっと開いたところの辞書1ページ、読んでみると色々な発見があって、自分の中で連想ゲームが始まるかもしれません。想像力を存分に発揮してみてください。

結構、楽しいですよ?いひひ。

 

さて。今日はこの辺で。最近短め。ごめんにゃー・・・。

したらば、またにゃん🐈