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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

学校といじめ、そして居場所②【 頭の中の本棚より】

 

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こんばんは。にゃんちーです。

今日は昨日の続きです。

昨日の記事はこちらからどうぞ☟

 


 

 

 

はじめに

何から書けばいいんだろう。私のこと、書いていくしかないのだけれど...。

出来る限り具体的な内容は書かないように努めるけれど、それでも濃厚だと思うので、ショックでどうかなる前に、どうか離脱してください🙇💦

 

私は小中学校で、いじめられっ子だった。

ピークは小学校だ。

 

一時期、いじめられていた事をカミングアウトする人を叩く風潮があった。その風潮は、今でもあまり変わらないのかもしれない。確かにわざわざ言わなくても良いのかもしれない。

だけど、話したり書いたりする側からすると、嫌なことを思い出すんです。書くの好きとはいえ、あんまり気持ちの良いもんでもないです、思い出す作業は。

いじめられていたという、自分の暗黒時代と弱さを曝け出すことに対して、賞賛や拍手が欲しいわけじゃない。まして、乗り越えてきたこてを自慢したいだとか、褒めて欲しいわけじゃない。

 

今まさにいじめられてる子、いじめてる子、あるいはその周りにいて考えあぐねている大人たちに何か伝わればいいなって思っています。

そんな気持ちから、昨日に引き続き書いています。

 

 

いじめが私に教えてくれたもの ① 世の中は理不尽

 

未だになんでいじめられたのか、どんなに考えても分からない。本当の理由は、いじめっ子達に聞くしかない、と思っている。

 

だけど、妬み嫉みやっかみ、だったんだと思っている。

 

何しろ一番始めは、「お父さんがいないこと」を理由に追いかけ回されていた。

うちは母子家庭。今では珍しくないけど、私が子供だった頃はまだ珍しかった。田舎だったせいもあるかもしれない。

親を筆頭に大人達でさえ、新聞記事の1面より、半径1kmの変化(噂話)のほうが、ずっと大事そうだなと、私の目には映っていた。

子供になればその範疇はますます狭まり、まるで学校は自分の世界の全てのようだった。

 

私は母子家庭だから、いじめれたわけじゃないと思っている。

唯一、人と違って特異なものが家庭環境で、つつきやすかったんじゃないかと。

 

いじめられた要素って、いくつかあると思うのね。

主には能力・性格。

私は1番になれなくても、なんでもソコソコに出来るタイプだった。勉強も運動も音楽も美術も。好きでやっていたら勝手に上手になったものもあるし、テスト前にはその場しのぎの勉強したりとかは、したけれど。

 

私の場合は、性格がかなり大きかったと思う。

小さい頃から周りに大人しかいない世界だった。本もよく読んだ。おかげで、同い年の子よりもずっと論理的な思考回路、話し方だった。そして色々なことを知っていた。

性格もあいまって、正論ぶつけて論破してしまっていた。今思えば、「逃げ道をあげなさい」と、親にも指摘されていたくらいだから、相当だったのかもしれない。

正論ぶつけられると逃げ道がなくなる。ぐうの音も出ないから、例えば言い返せなかった時、相手はどうなるかというと、違う論点で攻めてくるか、手がでちゃう。

 

この論理的な思考力は、大人にとってはとても都合の良いものでもあったと思う。

別の言葉にすると、「ものわかりの良い子」となる。これによって、言わずもがな、媚を売るわけでもないのに先生のご贔屓を頂戴するはめになった。

先生に贔屓されるって、やっぱりすぐ分かるじゃん?笑

先生はそういうの見せないように気を付けているのかもしれないけれど、やっぱり端々に出るわけであってさ。それも周りからすれば、気に食わん!ってなってた。

 

結果的に、とりわけ出来ないこともなければ、大人に好かれ、とかく容姿に特徴もなかったがために、「母子家庭」という点でいじめられた。

 

世の中って本当に理不尽だ、そう思った。

別に好きで母子家庭になったわけじゃないんだもん。それは親の都合であって、自分が望んだことではないし、自分の力ではどうにもならないことだから。

「なんでお父さんいないの?」と自宅まで追いかけまわされる日々を3年近く耐えた。

そこからどんどんエスカレートしていく。ドラマの世界かと思う、今でも。

 

自分で耐えられなくなった時、初めて、そして1度だけ母親に話したことがある。

でも返ってきた言葉はこうだった。

 

「お父さんのとこ、行く?あんたが幸せになるなら、お母さんはそれでいい」

 

そんな言葉が欲しいんじゃなかった。別に、どうにかしてほしいわけでもなかった。

ただ、ぎゅっと抱きしめて欲しかった。

お母さんは私の味方だって、知りたかった。それだけだった。

これは私が勝手に、母親に期待していただけのことで、この言葉をどれほどの気持ちで母が私に言ったのか、今であれば充分すぎるほどに分かる。当時もなんとなく分かっていたけれど、心では全然受け入れられなかった。母に拒絶されたと思ったのだ。

 

この時、いかに自分が無力で、親(大人)も無力なのかを知った。

理不尽なこの世界なんてなくなればいい!と思った。

 

 

世界をなくすことは出来ない でも自分は…

 

世界をなくすことは出来ない。みんな消えればいいと思ったところで、一体どれだけの人を自分の手で・・・略。

ということになるので、だったら、自分が居なくなればいいんじゃない? と思った。

自分が消えたら、自分の世界はそこで終わる。私は私の人生ゲームを終わりにしたかったのだ。本当に終わりにしたかったのかと聞かれれば、きっと、生きたかった、のだと思う。

だけどこんな理不尽な思いをするくらいであれば、消えてしまいたいと思った。

それほど、耐えられなかったのだ。

 

こうして今、blog書いているわけなので、生憎消えることは叶わず、今生きている。

今はようやく、生きていて良かったって思えるようになった。自分にも、こんなに面白い世界が待っていただなんて、あの当時は思いもしなかった。タイムスリップ出来るなら、本当にあの時の自分に教えてあげたいくらいだ。

 

どうにかして自分を消そうとして、結果消えなかった。その時に私の死生観は、確立されてしまった。

死生観については、前に書いてあるので、こちらをどうぞ☟

 


自ら命をたつことを、愚かだと人はとても多いんじゃないかと思う。そう思える人は、実はとても幸せな人生を送ってきた人か、とても強い人なんだろうと、私は思っている。

 

死ぬ勇気があればなんだって出来るという。確かにそれは間違いではないけれど、死生観というのは人によっても違っていて、学校に行くよりも、死ぬ方が「楽」だったりもする。そして、死ぬ勇気があればなんでも出来るというのは、あまりに正論すぎて、実のところ、相手を追い詰める一方なんじゃないかとも思う。

この正論は、死という選択肢を安易に選んだわけではない、という相手の本当の気持ちと、そこに至るまでの葛藤を見つめていないのだ。苦しみの渦中にいる者にとって、ちっとも優しくない言葉なのだ。

 

いじめが私に教えてくれたもの ②レベルを合わせる

世界を消し去ることも、世界から消え去ることもできなかった。同じく、相手を変えることも出来ない。ならば、自分が変わるしかないと小学3年生にして思ったのだ。

で、どうしたかというと、たまたま保育園が一緒だったちょっとヤンチャ坊主たち(後にヤンキーに育つ)と仲良くなり、後ろ盾を得たように見せかけるところから始まった。要するに、私に逆らったら痛い目みるぞっていうフラグを立てておくイメージ。

 

女子も見方につけなければならないので、くだらねえとか思いつつ、一緒に馬鹿なことをしてヘラヘラしてみる。時には噂話だってした。最初は本当に自分を偽るのがきつかった。

この当時、本当の自分なんかそっちのけで、「みんなと同じ」を目指して、徹底的にキャラを演じきっていた。自分のことは自分だけが分かっていれば良くて、誰も信じられなかった。学校という小さな理不尽な世界を生き抜くには、目立たないように、みんなと同じになるしか、小学生の私には思い浮かばなかった。

 

しかし一方で、そんな子達と本当の意味で同レベルになるのはご免だったので、親に言われない程度に勉強もし、習い事もして、自分で何でも出来るようになることを目指してコツコツ自分を育てることもしていた。

勉強さぼって遊んでばっかいたら、本当に堕落してその子達と同じになってしまう。

もう、そんなの絶対嫌だったんだよね。優劣とかじゃなくて、自分が上にたちたいとかでもなくて、とにかく同じになりたくなかった。言ってみれば、ああは成るまいと人知れず心に近い、さもみんなと同じようなフリをしてカモフラージュし、いつか「お前とは土俵が違うんだ!」って言えるように準備をしていたんだと思う。

多分、この頃から異常に自立・自律にこだわるようになっていった気がする。早く一人前になりたい、そんな気持ちだった。

 

学校から逃げるという手もあったと思う。でも私はその選択肢を知らなかったのだ。

だって「義務」教育、って言うし、みたいな。本当はその「義務」がさすところは、何も私に課せられた「義務」じゃないのだけれど。

 

こうして本当の自分を押し殺して、バックを得て(得たフリをして)馬鹿を演じて数年過ごすことになる。

 

するとどうでしょう。

 

追いかけまわされるとか、嫌がらせされるとか、目に見える形での「いじめ」は無くなっていた。

相変わらず先生のご贔屓は変わらずで、学級委員もやったし、委員長もやったし、部活の役にもついたよ。俗にいう優等生だったと思う。でも本当は、全然そんなんじゃなかった。目立ちたくないから、嫌々やっていたし、大人の機嫌をとるのも仕事と思ってやっていた。

ここにシコリが残ることとなった。目に見えるいじめはなくなったけど、陰でくそみそに言われているのは知っていた。これは中学まで続くことになる。羨望の眼差しだけは、消えなかった。

 

 

いじめが私に教えてくれたこと ③圧倒的な力の差

 

私が通っていた学校は、1つの小学校からしか中学に上がってこない。要するに9年間顔ぶれが変わることがない。ちなみに公立。

だからもう、嫌だった。

馬鹿なフリするのも疲れたし、大人のご機嫌取りも疲れた。6年もやったんだ、充分だろって思った。

 

中学に上がりクラスが決まって教室に入るなり、開口一番、どでかい声でみんなに宣言をした。

学級委員は絶対にやらない。委員長もやらない。推薦で私の名前だしたら、どうなるか覚えとけ!困った時だけすり寄ってくんじゃねえ!と。笑

これを言った時に勇気なんていらなくて、「一人で生きていきます、もうお付き合い頂かなくて結構です」っていう拒否するような感覚だった。

振り返ってみても我ながらアホだと思うけど、腹のうちでは悪く思ってるくせに、困った時だけゴマすりされたり、学級委員とかそういう時だけ都合よく使われるのに飽き飽きしていた。

 

そして、本当にやらなかった。

学級委員に自分の名前がだされた時、すかさず「私を推薦した奴、誰だ!?」って言えちゃうくらいだった。先生からすれば、ひどい反抗期に見えていたかもしれない。だけどそうじゃなかったのだ。付き合いたくなかった、それだけ。

 

なんでそんなこと出来たのかと考えると、力量の差だったと思う。

どれをとっても負けない!っていう自負。

何か1つ秀でたものがあれば十分だったのかもしれないんだけど、もう誰にも何も言われたくなかったから、何をとっても絶対に負けない!って思っていた。万遍なくね。

自分の性格はさておき(いや、そこ直せよって思うけど)、中学になれば先生のご贔屓ではなく、成績がものを言うようになる。先生のご贔屓は変わらずだったけれど、そこは内申点に反映されてくるので、私にとっては非常にお得なシステムだったと思う。

 

みんなに勝ちたかったわけじゃない。強いて言うのであれば、自分自身に勝ちたかったんだ。大人数で食ってかかってきたところで、私はお前らになんて負けない!って証明したかったのかもしれない。今書いてて思ったけれど、私はいつの間にか負けず嫌いになっていたようだ。

 

学力でもスポーツでも何でもいいのだけれど、力の差が見えた時の周りの反応は本当に素直だと思う。今、振り返ってみても、そう思う。力の差がついたと、自分でさえも思えた時、それは自信になる。自信が持てると、不思議と怖いものがなくなる。当時はなんとなく思っていただけだけれど、今だからこんな風に言葉に出来る。

力量の差、それは別になんだっていいんだ。好きな事、ゲームでも読書でも、学校とは全然関係ないことで良い。

私は読書によって、語彙力と大人をも論破するという、言葉の魔法を手に入れたと思っている。これは面白エピソードでしかないけど、こんなこともあったのだ☟

 

 

だから何かに没頭することは、本当に素敵なことだと思う。

自分に自信をくれるから。そして没頭している時は、絶対に自分に負けないから。その時は自分は自分の味方で居てあげられるから。自分を好きでいてあげられるから。

もしかしたら、好きな事を見つけなさい、あちこちで言われているけれど、本当はこういう意味なのかもしれないね。

 

 

いじめが私に教えてくれたもの ④優しさ

はっきり言って、誰かに優しくしてもらった覚えはない。特にいじめられている渦中は。もしかしたら、自分のことで精いっぱいで気が付かなかっただけかもしれない。

私は小さい頃から未だに揺るがないポリシーがあって、「自分がされて嫌なことは人にしない」と決めている。

自分がいじめられていたからって、他のいじめに加担することはしなかった。だって自分がされた時、死にたくなるほどつらかったから。

自分は嫌というほど傷ついた。そして子供ながらに戦った。当時、勝ちにこだわっていなかったし、勝てたかどうかは分からない。とりあえずボロボロだったのは確かだけど。

 

だからその分、人に優しくなれた。いじめのおかげで。読書のおかげで。

色んな考えがあって、いろんな気持ちがあるということを、知ることが出来た。決していじめられたことは良い経験だったとは思わないけれど、少なくとも自分の肥やしにはなったと思っている。そう滅多に出来る経験をしたのだ、とポジティブに考えることも出来なくもない。

骨を折った時の痛みは、骨を折らないことには本当の意味では分かりっこない。そこを想像力でカバーできるのが人間の素晴らしいところでもある。

 

でも、本当の痛みを知っている人間は、無敵だと思っている。

だからだろうか。

私はよく、人から「初めて話すんだけど・・・」と言って話してもらえることがあったる。そして私は「大丈夫」が口癖なんだけど、「にゃんちーに大丈夫って言ってもらえると(根拠はないのに)本当に大丈夫って思える!」と言ってもらえることが多い。

それは人の痛みが分かるからだ、と自己分析上はこう推測している。

 

酸いも甘いも噛み締めて、今を生きる。そう思って日々過ごしている。こんな風に思えるようになるまで、ものすごく時間がかかったはずだ。ただ、今になるといつからこんな風に思うようになったのか、定かではない。いつの間にか、出来上がっていた。

一人で生きていくもん!って宣言しておきながらも、気が付けば、そんな私にも友達ができ、恋人ができ、居場所が出来た。

 

おわりに 居場所がない人はいない

今日は結構早いペースで書けたぞ!事実を書くだけだったからかも。ほんと、どうでもいいけど、おわりにという見出しを入れた途端に気が抜けるというか、話題がそれるね、毎回なんだけど・・・🙇

 

本当に一人で生きていくつもりだった。もう兎にも角にも早く自立・自律したくて仕方なかった。一人って、めっちゃ楽だと思っていた。それに憧れてもいた。

だから今の自分が不思議でならない。

だって、ちゃんと、今、私の居場所があるんだもの。

 

一人だったかもしれない。でも気が付いたら、独りぼっちではなくなっていた。どうしてか、いつの間にか、本当に気が付かない間に、大事な人たちがそばに居てくれるようになった。そこが私の居場所になった。

居場所って自分で作るものだとも思っていた。もちろん、自分で旗揚げして創れたら最高なんだけど、居場所というのはどうやらがむしゃらにやっているうちに、勝手に出来るようなものでもあるようだ。

 

だから声を大にして言いたい。

みんなの居場所は、必ずあるんだよ、って。どんなに時間がかかっても、きっと自分が居るべき場所=居場所 に辿り着けるはず。

 

ヘビーで胃もたれしそうね。最後まで目を通してくれた方、本当にありがとう◎

今日こそちゃんとお風呂入って寝る。

それではまたにゃん🐈