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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

武士道 それは奥義【読書感想文】

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こんばんは。にゃんちーです。

寒い。寒すぎる。朝、車のフロントガラスが凍っていて、そこに水筒にいれたお白湯をぶっかけるのが日課になっています。飲むつもりで水筒にいれているのに・・・。

早く春が来て欲しいけれど、ひどく花粉症なので、それもまた悩むところです。(注文の多い客だにゃ)

 

さて、今日はとっくに読み終えていたのだけれど、この1冊。

ご紹介につき、ネタバレです。いつにも増して、寄り道多いです。悪しからず🙇

 

 

 

 

『1分間武士道』 齋藤孝 監修


ぬ。埋め込むと内容が表示されないので…HPより拝借m(_ _)m

 

『1分間武士道』 概要

武士は何を学び、どう己を磨いたか


◆品格をもって生きる。日本人としての徳目、美徳を取り戻す!

現代人が失ってきた「日本人としての背骨」を取り戻す。
人間の品格と強靭な精神力――武士道精神は日本人にとって「最強の武器」になりうる!

武士は何を学び、どう己を磨いたか――日本人の精神の基盤がわかる。
もともとは英文で書かれ、欧米人に大反響を巻き起こした新渡戸稲造の名著を、こなれた現代語訳かつ1見開き完結で展開。

■目次:
第一章 責任が人を磨く――武士道とは何か
第二章 他人を責めず自分を変えよ――仕事の心得
第三章 批評するより行動する――志とは何か
第四章 加えるな。そぎ落とせ――.覚悟の心得
第五章 平伏させずに心服させる――組織人の心得
第六章 命がけとは死ぬことではない――死生の心得
第七章 貧富を忘れて生きよ――処世の心得
第八章 人は能力より人格ではかられる――品格とは何か
第九章 自分より大きな何かを守る――.誇りとは何か

 

そもそも 『武士道』って誰がかいたの?

あまり知られていないのかもしれません。今日ご紹介している本『1分間武士道』、監修となっているのには訳があります。

 

私も原著を読めていませんが、そもそも『武士道』という本があります。『武士道』は、新渡戸稲造が書いたものです。(新渡戸稲造というと、私の中では旧五千円の人と変換されます。)

そして驚くことなかれ、この『武士道』の初版は英語で書かれたものなのです!

新渡戸稲造、国際結婚してます。妻はアメリカ人なので、英語ペラペラなはずにゃ🐈

そして新渡戸稲造はキリスト教徒でもあります。そんな彼が、切腹とかするような武士について『武士道』という本を、日本のスピリットとして英語で書いた。世界に広めようとしていただろうことは想像がつきます。私としては、どうして彼はこの本を書いたのか、とても興味深いところです。

 

 

ちょっと寄り道🐈 装丁・装丁から想定されること

ついにこんな見出しをつけるようになってしまいました。お茶でも飲んで、ふーんと読んでもらえたら嬉しいです。

 

本書紹介の前に、ぜひ元となった 新渡戸稲造『武士道』の装丁を見ていただきたいのであります!!*1

初版の装丁はこちらになります☟ ちょっと大きめ画像で貼り付けます。

 

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良く見てみてください。是非に!

武士道を、そのままアルファベット表記にしています。

これは今で言えば、すっかり世界共通語になっている、kawaii(かわいい)に通じるものがある。かわいいも同じですが、武士道を英語に翻訳出来ないこともないと思うんです。でも、あえて、BUSHIDO。カッコいいですね。

 

ではそのBUSHIDOが何かといのは、副題が定義しています。

THE SOUL of JAPAN という副題。しびれる…。というか、しびれた、私は。さっき、私はスピリットと書いてしまったけれど、SOULなのです。武士の精神とか、日本の精神とかではなくて、もやは日本魂といったところでしょうか。

新渡戸稲造は武士道というものを、武士という階級がなくなってもなお、日本人の中に脈々と受け継がれている、それが武士道という日本魂だと言いたかったのじゃないかと私は感じています。

 

装丁のデザインも非常によくできています。日出国(ひ、いずるくに)日本、なので水平線から太陽が昇っています。そして、桜の花。桜は、国花です。*2

 

この桜、言葉としての「桜」が持つイメージは時代とともに変化してきました。それがすごく面白いのですが、これについて書くと死ぬほど長くなるので、簡単に。

桜を見て、「一番良い時に散る、それが儚げで美しい」というイメージは、現代に生きる私たちも持つイメージです。でもそのイメージは、ある意味で戦略的に使われてきました。その最たる例が、悲しいことに、実は特攻隊なのです。

武士もまた、幾多の戦を生き抜いてきたわけです。そして外国からすると、切腹という謎の行為もあります。武士道の神髄と、桜のもつイメージというのは、そう遠くはないと思っています。

 

ということで、寄り道はこの辺にして、本題へ。

 

 

1分で読める 『武士道』のエッセンス

本のタイトル通りに構成されています。

見開き1ページに凝縮されていて、右ページに『武士道』から選りすぐられた1文から、齋藤先生の解釈により更に凝縮されたエッセンスが1つ。左のページにはその解説と、元になった文章、そして監修している齋藤先生の考えがちょろっと、まとめられています。

 

さすがに1ページに詰め込むのが難しいところもあって、ちょっと解釈が飛んでいるようなところも感じました。行間を読むと言えばいいのか、よーく考えると言いたいことが分かってきたので、1分では読めない箇所もあります。笑

でも、見開き1ページで完結しているので、とても読みやすいです。

 

本家『武士道』は、17章から構成されています。一方で、今日紹介している『1分間 武士道』は9章と、よりコンパクトに体系化されています。現代に置き換えながらも、名著を再構築しているのです。もうこれは、監修者の齋藤先生の腕だと思います。すごいです、本当に。

何しろ本家の『武士道』を読んでみたい!と思わせる力があります。少なくとも、私は『武士道』、読んでみたくなりました。とりあえず、日本語訳版からではありますが。英語で書かれた本当の『武士道』も読んでみたいものです◎

 

なんだか具体的な紹介にはなっていないので、私の心にグッときたものをつらつらと紹介していこうと思います。

 

平凡な教えも 徹底すれば 非凡に至る

これは斎藤先生がまとめた文章そのままです。新渡戸の文章はこうです。(孫引きですがご勘弁を)

武士道は、文字に書かれた掟ではない。 

 

これを斎藤先生は、「武士が自分に課した生き方のルール」と定義しています。

いわば人生の軸です。それは今、まさにみんな探しているものなんじゃないでしょうか。それって、簡単に見つかるものではないのかもしれません。

武士道の凄さは、武士がいた長い時間をかけて、時代の変化とともに、親へ子へと代々受け継がれてきたところにあります。そういった意味で、武士道というのは、実は物凄く柔軟な教えだったのかもしれません。あるいは、ごく当たり前=平凡な教えだったのかもしれません。

 

その平凡なものをどれだけ己のものにしていくのか。

これは全てに言えることなのでしょうか。仕事でもスポーツでも、音楽でも、いわゆる「基礎」というものがあります。別の言葉で言えば、「守破離」かもしれません。最初からオリジナルなんてなくて、平凡なごくごくつまらない基礎を習得したうえで、型を破り、そこから離れて初めて自分のものになっていく。

そうやって平凡な教えをまずは自分に徹底し、自分の精神と照らし合わせていく。いわば人生のルールを築き上げていくうえでの土台なのだと思います。

自分の人生の軸を決めていく際、もしかしたら他の誰かの人生のルールが役立つのかもしれません。色々な考えを垣間見ることで、自分の中で考えが精査されてくると思うんです。自分は一体、何を大事して生きてきたいのか、ということが。

ルールが決まれば後はそれを自分に徹底していく。年齢を重ねれば価値観も変わるでしょうし、時代も変わっていく。そうした中でもなお、揺らがない絶対的な軸が出来上がってくるのではないでしょうか。

自分の人生の軸があったとて、それを日々どれだけの人が意識して過ごしているでしょうか。なんだかシンプルですが、その平凡な教えを徹底できるほど、自分を律する難しさを感じました。

 

苦しまぎれのイエスではなく 正直なノーで生きよ

こちらも斎藤先生がまとめた文章そのままです。新渡戸の文章はこうです。(またも孫引きですがご勘弁を)

武士の一言(いちごん)は、その言葉が真実であることの十分な保証であった

 

これは映画や時代劇にみる台詞で言うところの、武士に二言(にごん)はない!です。武士に二言はない、というのは、こういう意味だったのか…と。それだけ言葉に重みがあった、たった一言に命を懸けるほどの責任をともなっていた、ということです。

斎藤先生も文中に書いていますが、「大量の言葉が安易に消費される時代」だからこそ、今、言葉の重みとその発言の責任を再認識する必要があるのかもしれない。そう思います。と、今これを書いていて、身が引き締まる思いです。

 

徳という見えないものさしが 価値を決めている

こちらも斎藤先生がまとめた文章そのままです。新渡戸の文章はこうです。(またも孫引きですがご勘弁を)

徳が根本であり、富はその所産である。

つまり、徳を積んだ結果として生み出されたものが富である、という意味です。

キンコン西野をはじめ、最近売れに売れているビジネス書にも良く書かれている「信用を積む」という言葉と非常に近いと思っています。

新渡戸は「徳」と言っていますが、松下幸之助の言葉にも似たようなものがあります。

人間として一番尊いものが徳である

 

徳といってもピンとこないかもしれません。徳というのは、宗教的な意味合いもあったりしますが、ここでは道徳とか倫理観に近いものだと思います。倫理的や社会的あるいは道徳的に「善」とされることを成し遂げられること、を「徳」と言っていると、私は解釈しています。平たく言えば、善き行いをする。

 

言葉にするとこんなにも簡単なのだけど、じゃあ何が「善き」なのか、とても曖昧なんです。その素地となるのが、倫理観であり道徳心になります。そして「徳」がさすところは、その「善き」とされることを「行い」にまでもっていけるかどうか、なのです。

善い行いが分かっていてもそれだけでは、徳を積むことは出来ない。それを実行して、あるいは実行できる能力をもってこそ初めて「徳」と成りうるのです。結構ハードル高い気がします。

 

これは近頃よく言われる「信用を積む」と本当に近いところがあって、信用を得るためには「徳」が必要不可欠です。

信用って、実質的な行為ではなくて相手の気持ちによる評価だから。信頼できるかどうか、という判断をされる。その判断というのは、自分の行動によるところです。その行動が「徳」なのかどうかにかかってきます。

 

「信用を積む」と言われてもどうすれば…と感じている方は、「徳を積む」と言われた方がまだしっくりくるのかもしれません。何故なら、「徳」は自分の行いそのものを指しているからです。「徳を積む」には、まず自分の倫理観を高めていく他なく、ひいては価値を高めていくこと他ならないからです。そうした高い倫理観に基づいた行為が「徳」なのだと思います。

斎藤先生はこれを、

武士道は、寛容やいつくしみ、他者への情愛などを最高の徳として尊重していました。 

 と書いています。

ここに「徳」のヒントがあるような気がするんです。倫理観なんていうとちょっと難しく聞こえるけれど、実はもっと簡単な、人として当たり前な心理であり真理を大事にすることを指していると思うのです。

 

 

駄目だ…これ、挙げだしたらキリがないのでこの辺にします。笑

 

おわりに 自分の奥義

この本の中には、トップに引用した目次の通りで、志・品格・誇り・覚悟など、目には見えない精神論について『武士道』を通して、また斎藤先生のフィルター(解釈)を通して現代に置き換えて説明されています。

何度も書いていますが、新渡戸稲造が書いたのです。お札になるくらい、随分と昔の人なのです。

 

それでも日本人として自分を掘り下げていったとき、この本は強烈でした。日本人の精神的なルーツってここにあったんだなと。私はそれがとても面白かったです。

 

国民性が…みたいに言われるけれど、これってちょっとやそっとで構築されるものではない。ましてや根付くまでには相当の時間がかかります。

でも自分にも流れているんだなって、サムライ魂が。サムライなんて、とっくの昔に居なくなってしまっているのに、受け継がれていたのだから。なんだか変な言い方ですが、自分の体内に流れる血が、少しざわつきました。

 

どうでもいいですが、私の今年のおみくじ、

思ふことつらぬかずしてやまぬこそ 大和をのこのこころなりけれ だったのです。笑

いや、私、男じゃない!って思いましたけど、なんだかもう、この本を読んだこともあって、大和をのこ…と、ザワザワと血が騒ぎました。本当に。

私は、自分の奥義を見つけていく時なのかもしれません。

 

今日のところはこの辺で。したらば、またにゃん🐈

 

*1:ホートン図書館から画像拝借:Hearn 92.40.10、ハーバード大学のホートン図書館。英語あんまり読めないけど、読んだ感じでは、この画像、一応パブリックドメインって書いてあったから大丈夫なはず◎

*2:厳密には、法定された国家はないです。ただし硬貨や陸海空軍には桜の紋章です。一方でパスポートは菊ですよね。菊は天皇の象徴でもあります。なんとなーく、どちらも国花という扱いになっているんです。