後悔をし、上書をする【読書感想文】
こんばんは。にゃんちーです。
いつもと違う時間に更新しております。珍しく、熱いうちに、熱を持って書いております。ふんふん。
今日の1冊。今日買って、2時間ちょっとで読んだ本。
『ペンチメント』 茂木健一郎 講談社
茂木さん、ごめんなさい!
茂木さんはすっかりさっぱり脳科学の本ばかりを書かれているのだと思っていました。何冊か、小説もかかれていたのですね。
パッケージにあるように、「大人の寓話」というのだからもしかして、と思ってはいましたが、本当に物語だったとは。
意外と、私のように、茂木健一郎さんが物語を書いていただなんて、知らない方も多いのでは??
この本、表題のペンチメントという物語と、もう1つフレンチ・イグジットという物語の2つが収録されています。
私の中では、この2作、別物のようでいて、「ペンチメント=後悔」という点で繋がりました。これはまた、後程。(後日になったら、ごめんなさい)
さて、ご紹介にあたり、ネタバレです。悪しからず。
あらすじ
大学生の沙織がアルバイトを始めたいと言い出した。恋人の武(たける)はそれならばとアインシュタインにそっくりな親父が切り盛りするレストランを紹介する。店一面に書かれた不思議な絵。聞けば、むかし美大生だったアインシュタイン親父が自分で描いたものだという。(ここまでは、講談社さんから拝借)
店一面に書かれている絵、それは決して上手ではないのだけれど、味のあるもの。モチーフは何故だかどれもこれも動物。
バイトの暇の時間を見つけては、絵を眺める沙織。ある時、その絵に、白いひげのようなものがあることに気が付く。これについてアインシュタイン親父(アルバイト先の店主)に尋ねてみたところ、それはクロス=十字架 なのであった。
アインシュタイン親父は昔、あることに凝っていた。それがこの絵と十字架のインスピレーションとなっていたのだ。
凝っていた、というあることとは「孤独死」について。それも「孤独死」を疑うということ。このころ、孤独死を迎えた人のために、店内にクロスを描いていったのだった。
そして、その上に書かれていたのが、動物たち。これは、釈迦が亡くなった時に慕って集まってきた動物たちを表していたものだったのだ。
こんな風に、絵の真相がわかる間に、沙織は大学の試験に追われる。更には、自分でバイト先を紹介しておきながら、アインシュタイン親父との仲を、何かと心配を通り越して嫉妬してくる彼氏の武とは、喧嘩をしたまま自然消滅してしまっていた。
店内の絵の真相がわかったところで、沙織はこう提案する。
これからは、何か良いこと、美しいことがあった時に、花を一つ描きませんか、と。
沙織は自分が最初に花を描くことを想像して、わくわくするのであった。
孤独とは 何か。
誰にも看取られずに、ひっそりと命を終える。それを孤独死、と言いますよね。
それ以外に孤独がないのか、と言われれば、そうでもない。ふとした瞬間に襲われる「孤独感」があるように、孤独というのは他者との関係性なのではなく、自分の中にあるものなのです。
人は一人で産まれてきて、一人で死んでいく。それは事実です。
ただ、一人であることと=孤独かと言われると、それは私は少し違うと思います。
小説の中のものを、少し拝借し、引用します。
これはアインシュタイン親父がクロスを描いたいた理由でもあります。
人間は、この地上に星のように生まれて、ほんの少しの時間、周囲をぱっと明るく照らして、それで消えていくんだなって。
ぼくはそこに、人生の限りない寂しさを感じた。
でも、ぼくはさ、孤独な人ほど、その生命は輝いているような気がしたんだよね。その人の命だけ、ぱっと明るいというか。
沙織の言葉の中にも、アインシュタイン親父と近い考えのものがあります。
沙織は彼氏である武に抱かれている時を思い、こう考えるのです。
身体には、触れることができる。肌は重ねることができる。しかし、魂は決して接続しない。魂が一体になるということは、つまり、自分がなくなること、死ぬ、ということだから。
私たちが普段、感じる「孤独」とはどういうものを指すのでしょうか。
この二人の言葉から、「孤独」との付き合い方が見えてくる気がします。
物理的に人は独りではない。
少なくとも、地球上で、今、あなたは、独りではない。間違いなく自分以外の、他の人間が地球上にうようよいる。
たくさんの友達がいたとしても、どこか虚しくなる、孤独だ、と思う。 人との繋がりがあったとて、「何か」に不安や寂しさを覚えて孤独と感じる。
その「何か」はきっと、精神的な繋がりを指す気します。ちょっと飛んだ考え方かもしれませんが、「何か」は、もう一人の自分かもしれません。
誰かに精神的依存をすることで解消されるようなものでもない。
孤独を楽しめる人は、おそらく一生涯を楽しんで生きていけるでしょう。
つまるところ、「孤独」とはもう一人の寂しん坊の自分であって、だからこそ目に見えないし、一生逃れられない。そして代用品はなく、他の何かでは決して埋まらない。
そう思って仕方がありませんでした。
如何に、自分を自分と共に生きるか。
そして如何に死という、いつか必ずくる事実を受け入れるか。それが孤独との付き合い方なのかもしれません。
ペンチメント 後悔と後悔による塗り直しの作業
私は大学で学問としての美術を専門としていたので、絵画でいうところのペンチメントは知っていました。
しかし、これが元は「後悔」から来ているのだとは、知りませんでいた。
なるほど…だから絵を塗りつぶして(違う!と思って後悔して)上書するのか、と。
これはとても興味深いものがありました。今ではその塗りなおしの下、つまり後悔したであろう最初の絵は技術の進歩によって見透かされてしまいますが。
(これについては著書の中にも登場してきます。x線で見えちゃうんですよ。)
でもね、塗り直して、描き直しても、結局、前と同じくらい、下手なんだよなあ。ぼくは進歩がないんだよ。人生って、そんなもんだよ。
それにさ、塗り直しても、結局、時間が経つと、下から絵が出てきちゃうんだよね。上の絵が剥がれて、薄れてさ。バレちゃうんだ。甘い、うかつな過去の自分が。
ペンチメントというんだよ、塗り直しのこと、と沙織に教えてくれた、アインシュタイン親父の言葉です。アインシュタイン親父は元美大生ですから、その意味に猶更重みがまします。
この話を聞いた沙織の大学の先生は、次のように述べます。
時間とともに世界が変化していくでしょ。完全ではないんでしょうね。それで後悔する。思いの丈を込めて、次の世界をつくる。それでも完全ではないから、さらに後悔する。そうやって、歴史は進んでいくのかもしれないなあ。
歴史だけではないです。
自分だってそうです。それは今は、教科書に載るような歴史的人物ではないとしても、自分が生きてきた年数は、自分にとっての歴史でもあります。
みんな、そうなのかもしれません。
後悔しては、やり直し。そしてまた後悔しては、次の手を打って。ペンチメントの繰り返しなのかもしれません。
後悔するだけでなく、油絵の様に、その後悔を塗り直すかの如く動いていく。
人生をやり直す、なんていう言い方がありますが、これは正にペンチメントなのではないでしょうか。
番外編 装丁について
本の装丁がいい!
ケースに入っているのですが、ケースの装丁はレンブラントのフローラという作品です。そして本自体の装丁は、フローラのペンチメント、つまり塗り直し作業がされる前の作品です。(とても作品とは言えないから、レンブラントは描き直したんでようが)
そして白い十字架が星のように散りばめられています。
私はこれに、本を読み終わって気が付いたんです。
あー!やられたー!ってなりました。
そしてこの装丁、担当したのは、茂木さん本人。あまりの秀逸さに、脱帽。
フローラとは
フローラとは、ローマ神話に登場する花と春と豊穣を司る女神のこと。というのを私は真っ先に思いついたんですが、小惑星もフローラって言うんですよ。物語の中でも、宇宙に触れられている文章がちょくちょくあったんです。
もしかして…と思い、調べたみました。やはり、宇宙で言うところの小惑星=フローラは、同じくローマ神話のフローラが由来していました。
なんたる偶然。いや、必然。
きっとこれをご存知だったから、装丁をペンチメントのあるフローラにしたに違いない!?と思いました。どこまでもお詳しいですね、茂木さんは。
最後に・・・茂木さんがいっぱい
本の内容とは関係なく、私の超個人的な感想です。
茂木さんは、他の著書でもインタビュー記事なんかでも良く言っていますが、アインシュタインに憧れていたんです。
そうなの。
ペンチメントの鍵を握っている店主、アインシュタインと風貌が似ている設定なのです。
そしてまた、沙織の台詞の中には、夏目漱石の本が引用されています。『硝子戸の中』という本ですが、これは茂木さんが別の著書でオススメしていた本でもあります。
沙織のバイト先の店主の温和な話し方、ヘタウマな絵、アインシュタイン…って、もう、私の脳内では店主が茂木さんと化してしまいました。
アインシュタインみたいだという以外に店主の風貌は分からないのですが、私は勝手に茂木さんがコックになった設定で脳内再生されていました。
もう、茂木さん要素でいっぱい。色々、茂木さん。茂木さんが好きなものだったり、よく話していたり書いていたりするものが散りばめられているので、ペンチメント自体は物語なのですが、これを読むと茂木さん像が見えてくると思います。
しまった…。
同時収録されている物語についても書くつもりが、予想以上に長くなってしまった。
ということで、今回はこの辺で。
またにゃん。