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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

キキの魔法、ジジ、そして私【読書、そのあと】

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こんばんは。にゃんちーです。

 

黒猫が好きなんです。きっとジジのせいです。

なぜか不思議とキキに惹かれるんです、ずっとずっと昔から。

 

最近、それが「なんなのか」ちょっとわかった気がするの。

小さな私には分からなかったこと、今ようやく、何かを掴みかけている。

 

 

 

はじめに 考えたきっかけ 

きっかけは、アイコンをお願いしたことです。

 

アイコン作ってもらったお話は昨日のお便りの通りです☟

 

自分でアイコンを描いた時は、単に自分の好きなものって感じで描いていたのだ。それ以上、深く考えていなかった。私が猫、とりわけ黒猫が好きな理由もそこまで深く、考えていなかった。

自分がどうしてそれに「愛着」を持っているのか、考えたこともなかったんです。

アイコンを作ってもらうまでは。

 

 

「魔女の宅急便」 ジブリ映画で描きたかったことって…

原作の『魔女の宅急便』を読んだ時の感想はこちら☟

 

『魔女の宅急便』 原作とジブリ映画の違い

 

原作と、ジブリ映画の「魔女の宅急便」って、驚くほど内容が違うんです。

そもそも原作は6巻まであるので、キキが結婚して子供生まれて…とか、大人になるまで話があるんですよね。

私は1巻しか持っていないし、それ以降は原作もまだ読んでいません。

ジブリ映画で描かれた「魔女の宅急便」は、原作の第1巻のうちの、ごく一部なんです。それも、本当に初期の話です。

にもかかわらず、原作と違うところが沢山ある。もうあれは、宮崎駿監督の視点。

それでも物語として概ね原作にそ沿う形で成立しているので、ジブリ映画版「魔女の宅急便」も、私はすんなり受け入れられました。

 

原作の1巻はキキの独り立ちまでの成長を綴っている物語なのですが、映画ではそれだけに留まっていなかったのです。ここが原作と大きく違うところだと思います。

 

ジブリ映画「魔女の宅急便」では、原作と異なるところのうち、次の2つが、ずっと気になっています。

①キキ、突然に飛べなくなる

②キキ、ジジとお話できなくなる

 

実はこの2つの原作と映画の違いについて考えることと、アイコンのイメージ=自分のアイデンティティの考察と繋がっていくだなんて、想像もしていませんでした。

それぞれ、私がどんな風に考えたのか1つずつ追っていきたいと思います。

 

 

①キキ、突然に飛べなくなる について

キキが飛べなくなる=魔法が使えなくなる、ということ。

キキ=魔女=魔法 なので、いわば、アイデンティティの喪失です。大事件で大問題!

 

ジブリ映画の中で、キキが飛べなくなった原因については諸説ある。

私が知っている範囲では、恋をしたからとか、初潮説とか。

初潮説ってえげつないなって思います。確かに映画の中で、魔法が弱くなった時にキキは自分のお腹を押さえるような仕草をしています。

初潮=大人の女性 という通念も分からんくはないのですが、オブラートに包めないので直球で言おう!

 

その考え方、恐ろしく気持ちが悪い。笑

 

この初潮説は「邪推」すればするほど、真実味を帯びてくる。

キキが出発する日は満月。月の満ち欠けと月経(つまり生理だ)は、深く関係している。しかも満月…。

ほかにも、画家の少女ウルスラとの会話にあります。

ウルスラ:魔法ってさ、呪文を唱えるんじゃないよね?

キキ:うん、血で飛ぶんだって

 

この会話の「血」だけを拾って、初潮=大人への通過儀礼 みたいな推測、怖いよー。気持ち悪いよー。うわーん。

「千と千尋の神隠し」でも千尋の初潮が云々という見方があるようで、こういう邪推が多い。こんな邪推するの、だいたい男だろうよ、と思ってしまう。

該当者諸君、FGMについて調べてみるが良い。考え方が、FGMを行うアフリカの小民族と変わらないよ・・・。

(ごめん。FGMについて知識としてはあるけど、女として私は怖くて書けないです。)

 

 

話それた・・・(ありがち。ごめんにゃ🐈)

戻す、戻します。

 

キキが飛べなくなったのは、ただのスランプなんじゃないかと。

 

あ、

えー!?って思ったね??笑

 

もう少し説明させてくださいにゃ。

さっきも上げた、このウルスラとの会話。

ウルスラ:魔法ってさ、呪文を唱えるんじゃないよね?

キキ:うん、血で飛ぶんだって

ここでキキが言う、「血」というのは、「先祖代々受け継がれてきた、魔女の血」という意味なんだと思うの。

エンディングにかかるユーミンの、やさしさに包まれたならの歌詞とピタッとはまる。

小さい頃は神さまがいて 不思議に夢を 叶えてくれた

 

勝手に神様が願いを叶えてくれたように、キキにとって魔法は、意識しなくても脈々と受け継がれてきた「魔女の血」でどうとでもなっていた。「魔女の血」さえ流れていれば、魔女であり、魔法が使えたってこと。

魔女の血は流れていない、トンボがキキの箒にまたがっても空を飛ぶことは出来なかったのがその証拠でもある。

 

の、はずなのだが、キキは飛べなくなる。

「魔女の血」が流れているのに、魔法が使えなくなる。

 

ここで魔女の血、いわば与えられた才能、から、キキ自身の個の能力へとシフトしていくと、私は見ている。魔女の血=才能があったとしても、それを発揮・活かす能力が  あるのかを問われているような気がする。

才能があったって、発揮できない、スランプってあるじゃん。

キキはここで初めて、本当の意味で「血で飛ぶ」という意味に気が付いたんじゃないのかなあって思っている。

ほら、トンボを助けるべく、デッキブラシで飛べたんだから。笑

 

私が原作の『魔女の宅急便』に関して、

キキって、自分をコンテンツ化する天才だなあ

って書いたと思うんです。

それって、「今持っているものを」最大限に活かすことほかならない。

キキに惹かれる理由はここにあったんだと思います。キキは、宅急便としてモノを運んでいるようでいて、実は送り主の気持ちも一緒に運び、受け取り主には「幸せ」を届けていたんだろうな、って思ったんです。

 

私もそんな風に、なりたい。本を通じて。読書を通じて。

 

 

キキ、ジジとお話できなくなる

ジブリ映画の最後、キキはジジとお話できないままに終わったと記憶しています。

そう、ちょうど魔法が弱くなった時に、ジジとお話できなくなります。

 

実は、アイコンをお願いする時、うみこさんに伝えた私の言葉が、キキとジジの関係に当てはまる気がするんです。

 

私のアイコン、肩にくまさん🐻とうさぎさん🐰が乗っています。

うみこさんには、🐻と🐰は私の分身なんだーって、伝えたんです。

🐻と🐰には、実はちゃんと名前がついているし、性格もあるし二匹の性格は違うんです。そして、ジジの如し、お話できます。私の場合は、大人になった今でも変わりません。🐻と🐰と仲良しです。

 

基本的にぬいぐるみが好きではありますが、🐻と🐰だけは特別だったんです。他のぬいぐるみたちは、サヨナラできたのですが。

私が鍵っ子で一人っ子だったせいも、あるのかもしれません。

🐰にいたっては、私と同い年なのです。🐰の顔から体から、あちこちに、今は亡き祖母が、何度も繕ってくれた手術痕があります。今では私が繕っています。特にしっぽ。すぐ取れちゃうのよ。笑

 

キキにとって、ジジは、参謀でもありキキの中にいるもう一人の自分を投影しているようにも感じるんです。

映画の中では、ジジ、確かに喋っていますが。

でももしかしたら本当は、ジジはずっと「にゃー」しか言っていないかもしれないのです。それを、キキが自分の感じるままに汲み取り、あたかも「ジジが話している」かのように、会話をしているような気がしてならないのです。

 

そう考えると、私にとって、🐻と🐰はまさにこれ。

ジジのように、名前もあるし性格もあって話してくれる。でも本当はずっと、🐻と🐰の姿を借りて、自分の中の自分とお話していたんじゃないか・・・だから、自分の分身だと言ったのか!と、うみこさんに話した後で、気が付きました。

 

ジジもそうですが、私の🐻と🐰も、いつも励ましてくれます。いつも一緒に居てくれます。あまり否定はしません。そりゃ、時には叱られます。笑

でもきっと、全部自分の内なる声だった気がしています。そうやって、自分の応援団を自分でやってきたような気がするんです。

 

キキがジジとお話できなくなった。

それは、お話できなくなったのではなく、ジジの姿を借りていただけの「内なる自分」と「キキ自身」がピタっと寄り添えたんじゃないかと。

自分の心と、頭が一致した、とも言えそうです。だから、ジジの姿を借りて自分と話する必要がなくなった、ってことなんじゃないのかなって思っています。

 

ん?わたし?

私は死ぬまで🐻と🐰と一緒です。昔に比べれば、ずっと自分の心と頭は近くなりました。ここまで一緒にきたんです。🐻と🐰は、私の棺桶に入れてもらう予定です。遺言書、ちゃんと作っておかなくては。

 

 

おわりに 私は魔法使いじゃないけれど

アイコンを作ってもらう過程で、自分の中で「魔女の宅急便」とリンクし、実はこれだけのことを考えていたのであります。

 

私はキキのように魔法使いではないけれど、キキとジジの間柄はとっても良く分かる。でもそれを子供っぽいな、とは思っていません。

チグハグだった自分を、ひとつに纏めあげるのは至難の業だと思っています。

 

なぜか。

 

性格を英語で言うと、character:キャラクター。

特質・性質っていうのが元の意味。そこから、性格。

でもキャラクターって聞くと、アニメを思い浮かべると思うんです。その時、キャラクターがさすものって、登場人物しかも複数ですよね。

これはあながち間違いではない、と思っています。(主観ですけど)

 

多重人格とまでは言わないけれど、みんな自分の中に幾通りものキャラ、いませんか?

 

その複数いるキャラのうち、相手によって出すキャラを変えている場合もある。

私のように、自分ではない他のモノによって出している場合もある。SNS上のキャラなんて似たようなものかもしれない。ぬいぐるみじゃないだけで🐻🐰

 

別に変じゃないのだ。普通のことなのだ◎

怒りん坊・寂しん坊・恥ずかしがり屋・毒舌などなど。

いろんなキャラ=性格がある。

 

 

私のアイコン、私の首に赤いリボンがあるの🎀

これ、私が直接オーダーしたわけではないけれど、「魔女の宅急便」からヒントを得て、キキの赤いリボンをつけてくれたんだと思ってる。

ジジはキキの分身みたいな存在という私の仮説、このアイコンで一致したのにゃ🐈

 

キキのように、私の心と頭が一致すれば良いな、と思っている。

でもキキがジジと話せなくなったように、🐻と🐰と話せなくなるのは、だいぶ寂しいので、当分このままでいいや!って思ったりもする。笑

 

魔法は使えないけど、キキが宅急便で物を運ぶことを通して、実は誰かに・誰かの幸せを運んだように、私も誰かに自分の方法で幸せのお裾分けくらい出来たらいいなと思っている。そんな感じ。

 

 

余談、もう本当に余談:ブログの文章って、みんなどうしてるん?

 

あー、尻切れトンボ!(毎回、こんな感じです、私のblog💦)

 

ブログって難しいねー。これ、毎回思う。

沢山書いちゃうんだよね、私。むしろ沢山しか、書けない💦

私は内蔵キャラ数も多いし、脳内多動だから仕方ないと思っている。実はブログに限らず、何か書き物をしている時は、自分の思っていることフルで出してるから、推敲したとて、ろくに削れない。削ると、自分の中では辻褄が合わんのよね。

 

よく、読み手の立場になって書けって聞くけれど、その読み手の立場が分からんのんじゃ!特定の「誰か」を想定して書けばいい、とも言う。

ここに遊びに来てくれている人は、どんな人なんだろう?って想定する、と言えば聞こえがいいが、要するにマーケティングってことじゃない。

 

そんなの嫌だね!ちぇっ。(☜ジジ風)

 

だって、本当に図書館ないし本屋さんて、そこまでターゲット絞ってないじゃない??

いる?それ。ここに。

 

言いたい事を言いたい、書きたい。それで共感してくれる人がいるなら、ラッキーくらいに思っている・・・のでは、自己中心的で不親切なの、か?

 

サクっと短い記事でパっと読める文章書いている人、すごいなあって思う。

私には自分の考えを簡潔にまとめる文章力がない。(ちなみに、人の文章の添削は出来る。)

永遠とダラダラと思いを綴るみたいになりがちで、私は抽象的思考回路でもあるから。自分にないものを持っている人をみると、やっぱり凄いって思う。否応なしに。

 

だけど、ブログの文章を書く上で言われているような通説を守っていると、私は何も書けない。

私は私の頭や心の中をぶわーって書きだして、時には恥を忍んで、結論に至るまでの全工程を曝け出す。そういう方が、性に合っているのだ。

 

その人が何をどう感じて、最終地点まで至ったのか、私は人のそういうところに興味がある。結果だけ聞いても面白くないの。どうして?どうやって?が、気になるから。

 

だから私はそれを書いている。

他人の頭や心の中で起きたステップ(もしくは変化)って、見えないからこそ、知りたいし面白いと思ってるんだ。そこに人間味があるとも思うんだ。

 

はい!おわり!(必殺、ぶった切りの術)

最後までお付き合いくださり、ありがとうなのだ🐻🐰

したらば、またにゃん🐈