『メモの魔力』途中経過報告①【読書、そのあと】
おはようございます。にゃんちーです🐈
とても珍しい時間に更新しております。朝だぜ✨
随分とご無沙汰しております。生きています、辛うじて。
タイトル通り、途中経過報告となります。
何しろ『メモの魔力』の最後、1000問ノック、字の如く1000問もあるものだから。
はじめに (そういえば・・・)
感想文、書いてない気がする!しまった…。
1000問やり終わった後に書きます。(後回しじゃないぞ。笑)
はじめの3問でずっこけた話☟
掟破りで、基礎のキの字も習得せずに、オリジナル開発しちゃったの。
今は素直に、前田式を身体に叩き込んでいます。はい。
守破離を心がけております。とりあえず、「守」をばと。
現状 34問/1000問
達成度合いで言えば、3%です。
パーセンテージ表記は、悲しくなるからやめよう。笑
最初の100問って、幼少期から今に至るまで、もっぱら「夢」についての問い。
メモの方法、思考回路、そう易々と体得できるものでもないのだろう。
それは著者の前田裕二が人生かけて築き上げてきた「メモの魔力」を、ちょちょっと出来るとは思えんのである。
最初は上手くできなくて、当たり前田のクラッカーなのだ。
(盛大にツッコミいれてくれていいにゃよ🐈(たまに出る昭和の駄洒落モンスター))
まだ34問。
幼少期から高校生までの振り返り。
幼少期の夢とか、理想の職業とか、もう本当に困った!
事実を思い出して書き起こすだけならまだしも、そのあと2ステップあるのだ。
抽象:何が?それで?どうしたの?どうやって?
転用:(抽象を踏まえて)…だとしたら何が出来る?
と、こんな感じ。
まず、思い出すのが大変。幼少期て。
下手したら日ごとになりたい職業変わってるじゃん!?
それを、抽象化して転用て…って思っていたのだけれど、やり進めていくうちに、なんとなく見えてきた。
わたしの夢とか理想って・・・
一番わかったことは、私って目に見える物には全く興味がないということ。
幼少期から高校生まで振り返ってみても、理想の住まいや年収、つまりお金には何も考えていなかったのだ。
一方で例えば理想の食事とか理想の人とか。
自分の信念は?という問いに対して、幼いながらにいつもあった。
ちなみに、幼少期の私の信念「目には目を歯には歯を」。一体、どこで覚えたのかしらね💦やられたらやり返す、だけど、やられた以上には「しない」ってところでしょうか。振り返ってみても、幼少期の自分は本当にそうだったと思う。殴られたら殴っていたし。笑
幼少期から高校生まで夢や理想の職業って、その時々で変わっていく。
大体いつも夢とか理想の職業って同じで、名前こそ変わっていくんだけど、それを抽象化すると結局いつも同じ答えになる。
多分その時々で自分が出来る表現が好きだったし、表現できる方法・手段が増えると、理想の職業の選択肢が増えていく、そんな感じ。
自他の認識、他者と自分との距離
幼少期から信念はあったんだけど、小さい頃って本当に自分のことしか考えていない。さっきの目には目を歯には歯をがいい例だ。
自分にとって身近な人、特に親。考えていてもせいぜいそのくらい。
何がきっかけでそうなったか分からないけれど、自分の信念が自分の内側に向いたのは高校生の時だったようだ。
自分の信念って持っているつもりだったけれど、実は小さい頃からずっと他人の視線を気にしているような、他人軸のものばかりだった。
決して自分の気持ちを蔑ろにしていたつもりはないのだけれど、人に対する想いの方が強かったのかもしれない。
本当に自分がどうなりたいのか、どう生きていきたいのか。
それが信念という形では現れたのが、高校生。
今思えば高校生の頃に進学校に通っていたにも関わらず、入学早々に平気でピアスを開けていた。進学校にしては珍しいと思うのだけど、物凄く校則が厳しくてさ。
ピアスなんかバレたら、まず体育の先生に呼び出される→毎日耳たぶチェックされる→耳にしこりが出来ればピアスしてない証拠で、解放。(友人談)
校則が厳しかったから、ピアスくらいしかしなかったけれど、見た目と学力って全然関係ないと思ってる。今でもそう思っている。
実際に関係なかったし。私は。
もしかすると、外面で中身まで判断される事に、抵抗感、嫌悪感があったのかもしれない。
真面目そうな見た目で真面目なままじゃ、つまらないと思っていたのかもしれない。
真面目そうな見た目なのに勉強できないっていう、ちょっと負のギャップも好きじゃなかったのかも。笑
ピアスあいてたって、勉強できる。
外見だけで人を判断することの無意味さを、自分が体現したかったのかもしれない。
かといって不思議なことに、そこそこの学力があるが故に先生にピアスを気づかれることはなかったんだ。耳を出していても、だ。
これについては当時、「偏見」って強烈なんだなあと思った。
そこそこ勉強出来る子=校則破らない みたいな逆説にもなるってことじゃない?
だから友達にはピアスあけていることを知られた時、結構な確率で驚かれた。中身と外身って同じイメージなんだなぁって今なら思う。
でも、全然関係ないじゃん!
中身と外身との一致って、偏見以外の何者でもない。ここに違和感を覚える。
例えば太っているからって、運動ができないとは限らない。言い方悪いけれど俊敏なデブだっているわけだし。
それこそ、お相撲さんだったらその体型は武器になる訳だ。
フィールドが変われば弱みは強みになる。
フィールド違ったら、今は強みだと思っていた部分も、もしかしたら弱みになるのかもしれない。
信念なんて言うからちょっと堅苦しいけれど、自他の自分に対する認識や、他者と自分との距離感・区別をしだしたのが高校生の頃だったみたい。
おわりに 自分が本当に大切にしていたもの
高校生の頃の私の信念は
「目指せ、カッコいい女。内面の充実。自立と自律」の3本柱。
高校は電車で通っていたこともあって、本当に本の虫だった。
私が本を読んでいたのって、家庭環境のせいもあると思う。
だけど、言葉で人が動くんだっていう体験をいくつもしてきたし、結局のところ言葉が世界を作っていくんだって無意識のうちに理解していたのかもしれない。
内面の豊かさが外見に出てくる、そう考えていた。
そう思うと外見を磨くよりも、内面を磨く方が手っ取り早いって思ってたのかも。
外見って、例えばダイエットとか筋トレなんかで短期間で結果を出すことができる。
でも、内面はそんなに短期間で養われるものではない。そして、内面の充実は、生涯に渡って消えることはない。例え太るほどドカ食いしても、内面に培われたものは脂肪い押しつぶされて、消えたりしない。
結局理想の住まいとか年収とか外見とか。目に見える物よりも、目に見えないものにずっと興味があって、目に見えないものを大事に生きてきたのかもしれない。
よくよく考えると、それって今でも変わらない。
ある意味、無欲。
ある意味で貪欲。
目に見えないところで、豊かでいたい。
多分ね、物に執着がないのって小金持ちには憧れないから、なのかも。笑
本当のお金持ちって、お金持ちでーす!っていう物、あまり持たないじゃない。それはお金持ちほどシビアでケチってことではなくて、本当の豊かさを知っているからなのかもしれないね。お金の使い方も知っているのだろうけれど。
この1000問、年齢を変えて、ひたすら同じ問いをぶつけられる。
変化のない私には、最初、拷問・・・って思っていた。けれど、何度も繰り返し書くことで、言語化するスピードは上がるし、類義語が出てきたり、そこから言葉も思考もブラッシュアップされていく感覚があった。
脳みその糖分使うのか、やたらチョコ食べながら解いていたよ🐖
ゆったりと、でも確実に、自分の中の宝探しをする。34問まで辿り着いて、ちょっと自分が見えてきたとき、そんな気分だった。
今日のところはこの辺で🐈
連休寒いそうです。暖かくして過ごしてにゃ◎
あたい仕事なんだぬーん。支度しやっす。したらば、またにゃん🐈