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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

自分の生き方を決める【読書感想文】

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こんばんは。にゃんちーです。

多少の余力が残っているうちに、お休みしました。まさか昼寝をしちゃうとは。

きっと思っていた以上に体力消耗していたんだなーと実感しました。

今朝は早起きしたので、久しぶりに引っ張りだしてきて読みました。児童書なんだけど、案外、普遍的なことが書かれていたので、今日はその1冊を。

 

 

『魔女の宅急便』 角野英子著 福音書館

 

「魔女の宅急便」というと、ジブリ! と、思っていますね?

 

知っていましたか?

ちゃんと、原作があるんです。ふふふ。

 

今日は長くなるかも。

目次作ったので、あらすじ知っている方は、すっ飛ばしてくださいな。

先にジブリのあらすじと原作のあらすじをご紹介します。

内容紹介につき、ネタバレ、ご免。悪しからず。

 

 

魔女の宅急便 ジブリ版あらすじ

いわずと知れた名作なので、ご存知の方は目次から次へどうぞ◎

 

とあるのどかな田舎町に住むキキは、魔女の血を受け継ぐ13歳の女の子。

『魔女として生きることを決意した少女は、13歳の満月の夜に魔女のいない町を見つけて定住し、魔女の修行を積むべし』という古くからのしきたりに従って生まれ育った町から旅立ち、海に囲まれた町コリコにたどり着き定住を決める。

しかし、魔女の風習の残る田舎町と異なり、大都会であるコリコの町の人々はどこかよそよそしく、キキはそんな人々の態度に戸惑いを隠せない。

そんな中、グーチョキパン店のおかみ・おソノさんに出会い気に入られたキキは、おソノさんの好意でパン屋の2階に居候し、空飛ぶ魔法を活かして『魔女の宅急便』を開業する。

そして人力飛行機作りを目指す少年トンボと出会う。馴れ馴れしい態度で接してくる彼を不愉快に思いながらも徐々にキキはトンボと打ち解けてゆくが、思春期における様々な感情の機微ゆえに、なかなか素直になれない。

そんなある日。

キキは突然魔法の力を失い、飼い猫のジジと会話を交わすことができなくなってしまう。更に大切なほうきを折ってしまい、唯一のとりえである空を飛ぶ能力を失ったことでスランプに陥ってしまう。

途方に暮れる中、かつて仕事の最中に森の中で出会った絵描きの女性ウルスラと再会したキキは、彼女の励ましを受けて少しずつ元気を取り戻していく。その後、かつてお届けものを請け負った老婦人の家へ招かれたキキは、婦人から宅配を依頼されたお届け物が、落ち込んだ自分を励ますためのものだったことに気づき、久しぶりに明るい笑顔を見せるのだった。

そんな時、飛行船『自由の冒険号』の航海開始の生中継を放映していたテレビで、トンボが暴風に煽られて吹き飛ばされた飛行船のロープにしがみついたまま空中にさらわれてしまったところを目撃したキキは、無我夢中で現場へと急行する。現場の近くにいた掃除夫のデッキブラシを借り受け、必死の思いで魔法の力を奮い起こし、キキはついに再び大空へと飛び出した。しかし、戻ったばかりの魔法の力と乗りなれないデッキブラシに翻弄されて思うようにトンボに近づくことができず、ついにトンボがロープから手を離してしまう。後を追うようにキキはデッキブラシに乗ったまま急降下してトンボをキャッチすると、そのままゆっくりと降下して無事に地面に降り立ち、トンボを救うことに成功する。

こうして再び魔法の力を取り戻したキキは、街の人たちともすっかり打ち解け、今日も元気にコリコの町を飛び回りながら、宅配業に精を出すのだった。

(Wikipediaからお借りしましたm(_ _)m)

 

魔女の宅急便 原作のあらすじ

ひとり立ちした魔女の子キキが、新しい町ではじめた商売は? 相棒の黒猫ジジと喜び悲しみを共にしながら、町の人たちに受け入れられるようになるまでの1年をさわやかに描いた物語。

(福音書館からお借りしましたm(_ _)m)

 

といいたいところですが、この本、実は映画にはない内容がとても多いのだ。

最終的に、ひとり立ちした1年後に里帰りするって、知ってた?

映画ではそこまで描かれていないのよね。

 

原作では、キキがひとり立ちをし、里帰りするまでの1年間が描かれています。

もっというと、実はこの魔女の宅急便はシリーズで、全6冊もあるのだ!

ということで、この本に限ってのあらすじをば。

 

前半はほぼジブリ映画と同じです。 

キキが満月の夜にひとり立ちをします。海に近い、コリコという大きな町に住むことにします。もちろん、黒猫のジジも一緒に。

オソノさんのパン屋さんに、赤ちゃんのおしゃぶりを忘れちゃった常連さんがいました。この町に来たばかりのキキが、それをお届けします。これをきっかけに、オソノさんと仲良くなり、オソノさんのはからいにより、キキ達はグーチョーキパン屋さんに住み始めます。

そして「魔女の宅急便」を開業します。ぜーんぜん、お客さん来ないの、初めは。

そんな時、海に遊びに行ったキキ。飛行機研究をしている、トンボに出会う。ところがどっこい、トンボは町で噂の魔女さん(キキ)の格好の真似をして、キキのほうきと自分が作った偽物のほうきをすり替えるのです。そして、キキのほうきで飛ぼうと試みます。

トンボには魔女の血が流れているわけではないので、案の定、墜落。笑

キキとトンボの出会いはこんな始まり方だったのです。

 

トンボに出会って以降、キキは宅急便屋さんとして、孫に誕生日プレゼントを届けたり(映画にもありますね)、キキとジジがモデルになった大きな絵画を運んだり、腹巻を海を渡る船まで届けたり、同じ年頃の女の子から宛名を伏せたままでと頼まれて男の子に万年筆を届けたりします。

 

そして大晦日、コリコの町の時計台が壊れ、時計の針が回らず12時がこないので、お正月の鐘が鳴らない!(除夜の鐘みたいな感じ)

さて困った町長さんは、隣町の時計台からちょっと部品を拝借…なんて泥棒まがいなことをキキに頼みます。

さすがにそれは・・・ということで、キキは壊れた時計台の針を空を飛びながら回します。12時に針が来た時、無事に時計台の鐘は鳴りました。

キキは無事にコリコの町にお正月を届けることができたのです◎

 

春先には、電車から降ろし忘れた楽器を取りに行くという無茶ぶりに応えます。

予定されていたいたのは「春を呼ぶコンサート」。楽士は会場に到着したものの、電車の荷物係が楽器を降ろすのを忘れてしまう。

よりによって野外コンサート。寒い中、お客さんも楽士も外で待機。

キキは急いでほうきにまたがり、走る電車の中にある楽器を取りに行きます。でも、楽器の数も多いし、ケースは重たいしで持てません。何しろ電車は、走り続けている。

はてさて、どうしたものか。

楽器をケースからだし、荷物をしばっていた紐にはラッパをくくりつけ、自分はチェロを持ち、ジジにはバイオリンを持たせて、ひとっ飛び!

風によってラッパ達が空で鳴り響きます。ついでなので、キキもチェロを弾いてみます。上手く弾けないけど、なんだか気持ち良い。

少しずつコンサート会場に近づいてくる楽器の音色。キキが舞台裏に降り立つと、待ちくたびれていたお客さんから拍手が起こります。一方で、しびれをきらしてイライラする楽士さんたち。

そこへ、お客さんがキキにこう言ってくれました。「すばらしい音楽をありがとう。かわいい魔女さんにたのんで、空から音楽を送ってくださるなんて、ほんとうにいい思い付きですね。」

キキは無事に、春をお届け出来たというわけです。

 

そんなこんなであっという間に1年が過ぎ、キキは里帰りします。

オソノさんのパン、そして少し大きくなったキキ自身とジジ、お土産話をお母さんとお父さんにお届けに行きました。

 

自分だけがお話できる相手、それはもう一人の自分

キキにはジジという黒猫が一緒です。キキとジジは同い年。

キキの母であるコキリさんにも、むかしメメという黒猫がいました。魔女のお母さんは、女の子が生まれると、同じ時期生まれた黒猫を探し、一緒に育てていきます。そのあいだに、女の子と黒猫はふたりだけのおしゃべりができるようになるのでした。

 

ジブリの映画でもそうですが、そういうことか!と。話せる猫かと思いきや、ジジはキキ以外とは話していないんですよね。

ジジが話せないというよりも、キキだけはジジとお話ができる。女の子と一緒に育った黒猫さんは、魔女の女の子にとって、もう一人の自分なのかもしれませんね。

どんな時もそばにいてくれて、一緒に成長し、分かち合える者がいるというのは、それだけで心強いもの。

にゃんちーこと、私が黒猫が好きなのは、もしかしたら、この本のせいかもしれません。今更ながら気が付きました…。

 

私もキキと同じように、ずっとそばにいてくれるミミというウサギが居ます。私が赤ちゃんだった頃に、母が買ってくれたぬいぐるみです。

目が隠れちゃうほど毛がフサフサだったらしいのですが、もうウサギのミミの毛は禿げちゃってないんですけどね。笑

私は時々ミミとお話をします。

それは、今でこそ本当にもう一人の自分です。でも不思議なことに、ちょっと救われる時があるんです。

 

動物でも、ぬいぐるみでも、何でもいいのだけれど、無条件に自分を受け入れてくれる相手、もう一人の自分を持っておくことは、案外難しいのかもしれません。

どうせ誰も見てません。

一人で、もう一人の自分とお話してみるの、いいですよ?

 

自分の深層心理がわかるというか、喋っているのは自分のはずなのに、案外思ってもないこと口にしたりしちゃうもんです。

これは、自分が持つ自分に対する固定概念を少しずつ壊していく作業な気がします。

 

忙しさは、他人を思いやる時間をも奪う

キキがコリコという大きな町に降り立った時のことです。

買い物でごったがえす中に降り立ったせいか、町の人々は魔女のキキに向かって好き勝手に言葉を浴びせてきます。

「今どき空を飛ぶなんて、へんだと思いません?」

「かあさん、魔女って魔法を使うんでしょ。おもしろそうだね」「とんでもない、こわいことするのよ」

「まさか、何か悪いこと、たくらんでるんじゃないんでしょうな」

「めんどうはごめんですよ」 

 

そうでした。ひとり立ちする時に母コキリさんに、言われていたのでした。

店がたくさんあるとか、にぎやかだとか、そういう見た感じで決めるのは考え物よ。大きな町ではみんないそがしくって、ほかの人のことなんて考えてるひまのない人ばかりですから。 

 

この本、1985年に出ているんです。今も昔も変わらないのかもしれません。

日本では東京がその最たる例でしょうな。

大きな町ほど刺激的ではあるものの、なぜかみんな忙しく、色々な価値観が溢れているはずなのに極端な偏見がある。小さな異物を、大きく捉えがち。

自分の周りの本当に些細な変化に神経質な割には、忙しさから他人にさく時間がなくなるのか、無慈悲な言葉を平気で投げつけてしまう。しかも投げっぱなしで回収しない。

それはまるで、ポイ捨てみたいに。

 

そういう中に、人の心の温かさの中で育った人が飛び込んでしまうと、自信もなくなるし、心も疲れちゃうし、何より自分が「何者なのか」が分からなくなってしまうものです。

キキも同じでした。

 

忙しさの中にいる人は、自分が「何者なのか」なんて、きっと考えていないんですけどね。

 

忙しさと充実感は少し違います。

ただ単に忙しいだけの生活は、人を思いやる心のゆとりを奪っていく。ひいては、自分をも思いやってあげられなくなる。

思考停止状態になりうる。結果、正しい判断が出来ないので、右向け右になる。そうして、ただただ、日々をこなしていく。

考えるという時間を奪われてしまった時、人は心を忘れてしまう。

 

大きな街で刺激を受けて充実させていくためには、心が豊かで温もりいっぱいな人は傷ついてしまうだろうし、案外何も考えていない空っぽな人のほうが図太く生きていけるのかもしれません。

そうでなければ、自分の中に確固たる芯や軸がある人しか、生き残っていけない。

そんが気がします。

 

 

誰かのふりをして生きていくのか、自分を生きるのか

キキはコリコの町に来て、町の人に散々言われて、早々にしょげてしまいます。

そのまま、人間のふりして暮らすこともできる。そうでなければ、いっそうちへ帰ることも。

でもキキはとっても強かった。キキの心の声です。

何かあたしにできるものを見つけなくちゃ・・・中略・・・

ほら、かあさんいってた。大きな町ではみんないそがしいって。その大きな街にちょうどあたしはいるんだもの。いそがしくって、ちょっとしたとどけものにもこまっている人は、たくさんいるかもしれないわ

 

魔女のキキが人間のふりをして生きていくというのは、つまり自分に嘘をついて生きていくということだと思います。

でもキキはそれを選ばなかった。魔女として、この町で生きていくにはどうすればいいのか考えたんです。それが、「魔女の宅急便」だったのです。

 

自分をコンテンツ化するとか、自分に素直にとか言われる昨今。

それって、こういうことなんじゃないだろうか。実はわざわざ探さなくても、そこにあるままでいいんじゃないの?ということ。

 

何かのふりをしない、自分に嘘をつかない。自分に出来ることをする。

本当はそれだけなんじゃなかろうか。

 

でも今の人って(私もそうだけど)、自分に出来る事すら分からなかったりする。したい事と言われても、自分の気持ちすら分からなかったりもする。

それはある種、自分に対する偏見だと思うの。

キキみたいに、素直に自分を受け入れられていたら、自分が「何者なのか」はっきりしていたら、迷わないと思うんだ。

自分にとっての当たり前は、他人にとっては凄い事だったりするわけだから。

したいことするって、そういうことなんだと思う。

今は都会から離れる人も多いけれど、それは、本当の自分の心を取り戻すための時間を確保しに行く、そんな感じだと思っている。

っていっても、私、田舎に住んでるけどねー。がはは。

 

 

最後に

キキがどういう1年を過ごしたのかは、あらすじを読んでいただいたとして省略。

里帰りした時のキキの言葉がとても印象的でした。

かあさん、あたしちょっと考えたんだけどね、魔女はね、ほうきにばかり乗って飛んでちゃいけないんじゃないかって思うのよ。・・・中略・・・でもときどきは歩いたほうがいいんじゃないかしら。だって歩くといろんな人といやでも話すことになるじゃない?・・・中略・・・

反対にむこうだって、魔女を近くで見れば、鼻がとんがって口がさけてるんじゃないってわかるでしょ。それにお話もできるし、おたがいわかりあえると思うの・・・。

 

ふらふら歩く時間もなかったり、ましてや道端で知らない人と話すなんて、ない。今この時代って、どれだけゆとりがないんだよ、と思いました。

忙しさの町の中で、キキは宅急便をしながら、人間ではなく魔女のキキとして生きていくという自分の軸を作っていっていたんです。

そうするうちに自信もついて、他人を思いやる優しさを取り戻し、自分から歩み寄る余裕さえも持てるようになっていた。

 

キキの言っていることは、本当にそうだなって思うんです。

ちなみにキキは、ひとり立ちした時、10歳です。ということは、11歳でこの答えに辿り着いたことになる。悟るの、はやい。超ハイスペック!笑

 

児童書といえ、侮る(あなどる)ことなかれ。

絵本の読書感想文でも良く書いているんだけれど、案外子供向けに書かれている本のほうが、ずっと本質的なことを分かりやすく書いているものです。

そういう意味で、本当に普遍的なものって、経験するまで分からないのではなくて、言葉でこそ伝えていくことが出来るんだと思います。

だから本って、凄いんです。

だから本を読めって、読書量が人生を決めるとまで言われるんだと思います。

 

時代も変わって社会も変われば、価値観も変わっていく。今、まさにその過渡期な気がしています。

本当はみんなうっすら気が付いている、気が付き始めている。

物の豊かさじゃない、「豊かさ」があることに。

ネットは便利なんだけど、移ろいやすくて薄っぺらい言葉で、あくまで情報でしかない、ということに。本当はそうじゃない「言葉の力」があるってことに。

 

だからきっと本読んでるんじゃない?

だからきっとTwitterに張り付いているんじゃない?

だから今、blog読んでくれているんじゃない? なんちって。

 

 

以上であります。

『魔女の宅急便』、ファンタジーのようでいて、奥深いものがあるのだ。

だからジブリで映画になったのかもしれないにゃー。原作の絵も本当に可愛いんだよ。

 

あー、くっそ長い。笑

最後まで読んでくれた方、本当に、本当にありがとう◎

あらすじを除いたとしても、過去最高に長いわ。でも今日はどうしてもこれを紹介したかったのだ。

さてー。風呂入って寝る。今日もお疲れ様でした。

またにゃん。