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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

プライド ではなく 誇りを持つ【頭の中の本棚より】

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こんばんは。にゃんちーです。

毎日アウトプットをしたい!でも、なんだか気が乗らない時があるんです。

普通の会社員なので仕事でいっぱいいっぱいなこともあります。そうでもないのに、筆がのらん…みたいな気持ちになるのです。それって、何だろうって考えてみたのだ。

 

 

はじめに

本を読むのが好き。文章書くのが好き。

でも、ここに書かなくては!とか、ここに書けないならTwitterに書かなくては!とか思ってしまう。●●しなくてはと、思った途端に嫌になるのだ。笑

おかしいよね。だって好きでやってるのに。本を読むにしても、文章を書くにしても。

この目に見えないハードルって何かなあって思ったのです。

 

小説家、ブロガーでもいいのですが、文章を書く人たちがよく口にすることがあります。

それは「とにかく、書く」です。1行でもいいから書く、1言でもいいから毎日、書く。

もはや勉強の習慣と一緒で、まずは机に向かう。ということで、ニトリで机を買ってとりあえず机に向かうテンションだけは上がるように設定◎

じゃあ書けるのかというと、書けにゃい…。

なんでなんにゃー!?と。

環境もあるけれ、これはもう、自分の中の何が阻んでいるとしか思えなくて、自問自答してみることにしたのです。

 

 

100点を取りたい そして全部書ききりたい

と、見出しに書いたものの、だいたい私の記事は尻切れトンボなのであります。全部書ききれないから終わり!って感じです。自分の気分で終わってしまうようなところがあります。それが出来る緩さが、blogやTwitterの良いところでもあると思っています◎

 

ところが、私は書き始める時、100点を目指してしまう。

文章だけではないですが、なんでもいきなり100点は取れない。頭では分かっているんです。でも、その100点って、誰からの100点なんだろう??そう思いました。

 

 

プライド が邪魔をする

いーっぱい考えてみたのですが、これしかないです、私の場合は。

何しろprideが、自分の気持ちよりも先に立って邪魔をしてくるのです。このprideによって、「好き、やりたい」という気持ちがシュルシュルーっと、しぼんでいってしまうです。我ながらこれって、ものすごく勿体ない気がしました。

 

じゃあこのprideってなんだろう?と。

英語のprideを、日本語にするといくつかの意味があります。例えば、自尊心、自負、誇り。どれも似たような意味な気がするかもしれません。これは日本語あるあるだと思いますが、類義語が多く、厳密な意味など分からなくても、なんとなく感覚的に言葉を使い分けていけるところがあります。

話をもとに戻しますが、英語にしても日本語で言うプライドにしても、何故だかちょっとネガティブなものを含んでいる気がします。

そのネガティブなもの、それは「傲慢さ」なんじゃないかと思ったんです。

 

例えば日本語だったら、こんな言い方をしますよね?

●あの人はプライドが高い。

●プライドが傷ついた。

プライドが高いと言うとき、そこには皮肉が入っている気がします。それがまさに「傲慢さ」、他の言い方をすると高飛車(たかびしゃ)っていう意味になります。特に他人に向けて、プライドが高いなんて言うときは、お高くとまっている、高飛車な人ってイメージだと思うんです。

プライドが傷ついたと感じる時、それは「自尊心」が傷ついたという意味だと思うんです。これをもっと具体的に言うと、この自尊心がさすところは、「自分が尊大であると思う気持ち」あるいは「自分は優秀だと思う気持ち」ではないでしょうか。これも自分が思っているにすぎず、はたからすれば「傲慢さ」になります。

 

そう。

私の「好き」を邪魔するやつは、プライドという名の傲慢さだったのです。

そして、誰から100点を欲しいかというと、他でもない、自分からなのです。他の人から100点をつけてもらっても、自分が満足しなければ100点じゃなかったのです。

嗚呼、情けない。しゅん。

 

誇りを持つ

プライドっていうと、途端に偉そうになるので、じゃあ代わりに何を持てば、邁進できるのかなあと考えました。行きついた答えは、「誇り」でした。

誇りって、自尊心とも近いような気もしますが、この2つには決定的な差があるように感じています。

●誇り高い

● 自尊心が強い(低いとは言うのに、自尊心が高いと言うのはどうもしっくりこないですね)

 

自尊心については、先に書いた通りでもあります。ただし、心理学的に解釈する*1 か、社会学的に解釈するのかで、少し意味が違います。私がここで言っているのは、どちらかと言えば社会学的な解釈=自己評価という意味です。

 

ここから私は、誇り=志 なのではないか、と思ったのです。

 

誇り高き人でありたい。

それは、志を高くもつ、ということでもあります。

誇りも志も、自分の深層心理に根付くものなので、まずは自分が何かを思い描いていないと生まれるものではありません。そして、それを信じ抜く力が必要です。

そうして生まれた誇りや志というのは、決して他人に傷つけられることはないのです。なんだか、ちょっと先日紹介した『武士道』に通じるものを感じました。

 

『武士道』についてはこちらをどうぞ☟ 


 

おわりに だから夢を持つ

散々考えたあげく、ここに辿り着きました。

誇り高く生きたい。志を高く持っていたい。そのためにも、自分の実現したい夢をきちんと描くほかないのだと。

夢を持って、と言われても、そもそも「夢」という言葉がとても抽象的だし、なんだったら夢って叶えられないから夢っていうような潜在意識もあります。他の言葉にするなら、「願い」でもいいでしょうし、もっと具体的に「なりたい自分」とか、「やりたいこと」とか。「実現したい何か」≒夢 なんだと思います。

こう考えた時、やっと「夢」を持つことの本当の意味が分かった気がしました。

 

自分でも不思議です。

私には今はきちんと「夢」があって、だからblogという形でネット上で図書館を開館して、時々Twitterで独り言のように言っていたり、自分の心が揺さぶられた誰かの言葉をリツイートしてストックしています。

最終目的地はもっと描いているものがあるので、そこに辿り着くには、もっと計画をたてる必要があるでしょうし、戦略も必要でしょう。だけど、実際に、こうして少なからず夢の実現に向かって動き出した。それは紛れもない事実です。

それにも関わらず、自分が信じられなくて、夢のために好きでしていることにも、自分の夢にも疑心暗鬼だったのですから。

 

私に足りなかったものは、信じぬく力と、他ならぬ誇りだったようです。

自信なんてそう簡単につかないのかもしれない…と言うのも、今書いていて思いましたが、思い込みなのかもしれませんにゃー。

 

何か成し遂げようとしていて迷っている時、不安に飲み込まれそうな時、一度立ち止まって自分の誇りを取り戻してみてください。自分を信じてあげてみてください。

そうしたら、きっと、消えかけていた、ふつふつと湧き上がる何かが見つかると思います。それがあなたの夢でもあり、誇りです。

 

と、こんな風に、自分の変なprideに邪魔されて、つまらんことに頭を悩ませていただなんて、にゃんだかにゃー…と思ったのでした。

ちゃんちゃん!

今日はこの辺で。

明日は3時起きなのだ。寝ねばならぬ。またにゃん🐈

 

*1:こちらは、自分の人格を大切にする気持ちとか、自信を持つことを意味するので、結構ポジティブ思考です。