歌詞は”音”だけではない【音楽の歌詞】
こんばんは。にゃんちーです。
今日はちょいと趣向を変えていこうかと。
音楽はお好きかにゃ?
「獣ゆく細道」 椎名林檎×宮本浩次
うむ。まずはこちらをどうぞ。
私は断然CD派
洋楽邦楽問わず、歌詞のついている音楽についてYouTubeって本当に便利ね。
我が図書館では、音楽のデジタルアーカイブまで出来ちゃうじゃないか。嗚呼、便利。
今日はこの「獣ゆく細道」を題材に進めていくでござる。
この曲を取り上げた理由は2つ。
歌からの歌詞の聞き取りやすかったから。
そして本当の歌詞(歌詞の表記)と聞き取れた歌詞の脳内変換とのギャップがあると思われるから。
一昔前はCD買っていたと思うんです。
今はダウンロードが主流です。私は未だにCD買うんです。
それは何故か。
本当の歌詞、つまりどういう表記なのかがどうしても気になるから。そしてもう1つ、ジャケットも含めてその音楽の世界観が完成するから。
PVも同じことだと思う。勿論、広告のためでもあるのだが、そのPVは間違いなく曲の世界観を映像でもって視覚的に表現しているのだから。
そりゃ音楽1曲で簡潔しているとは思う。
思うけれど、私には音楽を耳から聞くだけでは腹六分といったところ。PVを見たとて、そうだな・・・腹八分という具合。
本当にその曲の世界を存分に味わうには歌詞カードとジャケット含めてコンプリートだと常々感じている。配信先行の昨今、なかなかCDにならない音楽もあるけれど。
歌詞、それは音(音楽)にして4分程度の凝縮された文学
はてさて、話を戻して。
この曲、歌唱力の高い二人ということもあって、とても歌詞が聞き取りやすいと思います。それを勝手に自分の脳内で活字に変換するとしたら・・・どうでしょうか。
恐らく余程の椎名林檎ファンでなければ、現代語、今使っている言葉と漢字で変換されてくるのだと思います。
耳慣れない単語があるかもしれないけれど、まあ分かるって感じでしょうし、聞き取れる歌詞を、その単語はひらがな?漢字?カタカナ?だなんて、考えて聴かないでしょう。
(私は逆にここ(歌詞の表記の仕方)に憑りつかれるので、歌詞カードがないと気持ち悪い。笑)
ということで、こちらをご覧ください。
いかがでしょうか。読めたかにゃ?
追っつかない方は、YouTubeを流しながら歌詞を追いかけて読んでみてください。
是非とも。
この歌詞の表記を見た時、森鴎外か?って思ったよ、私は。
この曲について昭和の雰囲気漂う・・・なんて言われてもいますが、そんなもんじゃないよね。そこはたぶん、サンバっぽいリズムとジャズを足して2で割ったような曲調が昭和っぽい雰囲気なのかもしれないけれども。
ピアノのところなんか、超カッコイイじゃないのよ。あ。話それた。
歌詞についてだけ言えば、これ、明治文学の雰囲気よ。
どうしてか。それを明確にしてくれるのが、この歌詞の読み方(歌い方)。
本物か偽物かなんて無意味
これ、曲の中では、
本物(ほんもの)か偽物(てんぷら)かなんて無意味(ナンセンス)と歌っているんです。
てんぷらって、あの、衣で揚げた天ぷらのことです。
これは明治に誕生した隠語であり、当時の若者言葉でもあります。
そのまま歌詞の活字の通り、偽物という意味です。しかしもっというと、格好ばかりで中身のない人をさす言葉でもあります。おそらく明治の若者言葉としては、こちらの意味で使われていたことでしょう。
ここに椎名林檎の知的さとセンスがあると思います。
曲を聴いてもお分かりでしょうが、歌詞を読むと猶更分かると思うのですが、この曲は一貫して「生き方」「自分自身というもの」について書かれています。
つまりここで言う、本物か偽物か、というのは活字の如く偽物ということではなくて、おそらく中身の話をしていると思うのです。
そこにテンプラという読みをあて、偽物という漢字をあててくる椎名林檎には脱帽であります。
椎名林檎、彼女の造詣の深さは言わずと知れたところかもしれませんが、これを最も明らかにしてくれるものが、歌詞の表記なのです。ででん!
歌詞の表記は、耳からだけでは聴き取れない世界が広がっているのであります◎
おまけ 互いを歌いあうことで成立している歌詞の世界
この曲に限っての話ではありますが、宮本が歌っている歌詞は、初めのフレーズを除き、椎名林檎へ向けての歌詞な気がします。とくに、「とんだかまとゝ」という歌詞。笑
かまとととは、知っているのに知らない不慣れを装うことを言いますが、とかく女に向けていう言葉なのです。
そして逆に林檎が歌っている歌詞は、宮本へ向けての歌詞ではないでしょうか。
着ぶくれして生き乍ら死んぢゃあゐまいかとふと訝る
という歌詞が、そう思わせるのです。
訝る(いぶかる)、怪しく思うことを言いますが、言に牙です。もう想像でしかありませんが、言葉で牙をむく漢字はエレカシの歌詞あるあるだし、エレファント、象さんには牙ありますし。
着ぶくれして生き乍ら死んぢゃあゐまいか、の部分は、エレファントカシマシというバンド名に由来し得るのではなかろうかと。
バンド名の由来に関しては所説ありますが、「エレファント・マン」という映画と、「かしまし娘」からとったという話があります。
この「エレファントマン」という映画、ジョン・メリックという実在する人物がモデルの映画です。この主人公であもるジョン・メリックは、プロテウス症候群だったと推測され、身体の極度な変形や膨張が見られました。そう、着ぶくれして生き乍らって、まさにこれじゃないの!?って思ったんです。
いや、もう、本当に巧妙すぎる!深読みし過ぎなのかもしれないけれども。
仮にこうだったとしたら、これは互いが互いの事を歌うことで成立している曲なのであります。誰が歌うか、それに合わせて歌詞を作る。誰が読むのかに合わせて文章を書くのとは、訳が違うと思うのです。
でもだからこそ、この4分ちょっとに凝縮されている歌詞は、こんなにも文学性に富んでいるのです。
実際に歌詞を読んでみて、その奥深さを感じてもらえたら嬉しいのだ。誰が何をどう歌っているのかにも左右されるところではあるけれど、歌詞って本当に1分小説と言っても過言ではないくらいだと思っている。
と、今日はこの辺で。
またにゃん。