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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

図書館名の由来【図書館便り】

こんばんは。館長のにゃんちーです。

今日は館長のお便りにしようと思いまーす。(短め)

 

 

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ここを図書館にする!と息巻いて、しれっと図書館名(blog名)を変えたのはいいのだけれど・・・。

名前の由来、お話していなかったですね。うっかり八兵衛です。

 

near2 図書館 の 「near」

この表記方法で、だいたい私の年齢が分かってしまいそうですが、

near ×2です。

にゃーにゃ、と読むのです。

猫が好き(だけど片思い)なので、猫の鳴き声ニャーニャーにかけています。

 

そして near という英単語は、言わずもがな「近い」という意味です。

この英単語が案外深いものがあります。面白いんです。

地理的な近さをさすこともあれば、時間的な近さをさす場合もあります。また、関係性の近さをさす場合もあれば、利害関係の深さ(関係の近さ)をさす場合もあります。

もっと言えば、接近するとか近づくといった動詞でもあります。

 

私が目指しているのは、図書館と本屋さんの中間地点、みたいなところです。

 

本屋さんは、図書館に比べてきっと身近な場所です。でも本屋さんには、図書館で言うところの司書さんはいません。本のコンシェルジュと名乗っている人くらいはいますが、コンシェルジュをしている人がどのくらい本と親しいかは、人によって程度があまりにも違い過ぎるところです。

 

一方で図書館は、本屋さんよりはちょっと敷居が高かったり、貸し借りなど若干の面倒くささがあったり。いずれにせよ、本屋さんよりもちょっと、遠くにある場所です。

それは物理的な距離が遠いのではなく、心理的距離が遠い。

でも図書館には、基本的には図書館司書という本の専門家がいます。

公共図書館ではあまり司書さんとお話しないかもしれませんね。何話せばいいの?という感じかもしれません。

例えば史料(歴史的資料のこと)関係を探す時なんかには、とても助けてくれるんですよ。私は、昔、散々お世話になりました。

自分の大学の図書館の司書さん、公共図書館の司書さん、他大学の大学図書館の司書さん。このお三方がいなければ、私の論文は書き上げられませんでした。卒論でもあり、結果くそみそに言われて落ちたけれど、学会誌に出したものでもあります。

 

こんな難しい話じゃなくても、アバウトにこういう本を探しているんだけど・・・って相談してみるだけで、探し出してくれたり、他館にある場合には取り寄せの手配をしてくれたりもします。

図書館司書の仕事は膨大で、本の貸し出し、整理だけじゃないんです。とは言っても、ほとんどが公務員で、つまらない仕事に追われているのもまた事実かと思います。

 

 

私が お近づきになりたいのだ

私は図書館司書ではない。(在学中、途中まで司書の勉強してたけども)

だけれど、たくさん本を読んできて、たくさん自分とお話したり、考えたりしてきた分、図書館司書という資格じゃない「何か」を得ていると思うんです。

どちらかといえば、カウンセラーに近いのかもしれません。これは既に欧米ではビブリオグラフィー(読書療法)といって、カウンセリング後の処方箋が本ということがあります。

日本では全然認知されていませんが、私はビブリオグラフィーの勉強もしたいところなのにゃ。

 

 

本当に探しているものの解決の糸口を。道に迷っているのなら標識を。

そんなふうに、来てくれた誰かの心の「近く」に寄り添えたらいいなと思ったんです。

たとえお目当てのものが見つからなかったとしても、ちょっとお話したら気が楽になったりするじゃないですか。そういう意味でも「近く」がいいなと。これは親近感とか信頼関係とかって言い換えられるかもしれません。

 

本当は探している答えに対して、ほらよ!っと答えを差し出すほうが速いとも思います。でもそれをあえて、読書という時間で、その答えは、本を通して自分自身で見つけてもらいたいと思ったんです。

人の出した答えより、自分が自分のために時間をかけて見つけた答えのほうが、ずっと大事にできると思うからです。

そしてそれは、外の自分が内の自分とが「近づく」ということなのだと思うのです。

心と頭とを近づける。そんなイメージ。

そうしたら、やりたい事も、なりたい自分も、本当の自分の気持ちや悩みも、スーッとわかるんじゃないかって思うから。

 

はやい話が、探し物はなにかにゃ?と、私は本を通してあなたの心とお近づきになりたいのだ。

 

 

活字との距離の近さ

それから。

言葉は誰にでも平等。それは誰にでも「近い」存在ということ。

特に義務教育のおかげで識字率の高い日本においては、ほとんどの人が難なく字を読める。それって本当はすごいことなのだ。

江戸時代の日本の識字率は、当時世界一とも言われているのにゃ。(寺子屋のおかげね)

 

日本人は言葉を声にこそだせないけれど、それを認める(したためる)とか、文脈を読み解く力は案外あると思っている。

国民性と言えばそうなのかもしれない。そんなところでも内向的な感じで。

 

 

嗚呼。いかん。長い。お便りなのに、長い。

そんなこんなで、「近い」という意味の英単語を二つ重ねて、猫の鳴き声に似せたというのがこの図書館の名前の由来でしたとさ。

おしまい。(超絶雑なまとめ)

にゃんにゃんっ♪

 

【追伸】

図書館をやろう!と思った経緯はこちらをどうぞ◎

オモイノタケを書いております。そして展望も。