こんな大人になりたいと思った、【読書感想文】
こんばんは。にゃんちーです。
三日坊主ならぬ二日坊主になりがちな性格の私。
毎日コツコツ続けられるでしょうか…
しばらくはこれを楽しんで続けられるように努めて参ります。うむ。
さっそく読書記録をば。
今回は…
『4TEEN』 石田衣良著 新潮社
東京湾に浮かぶ月島。ぼくらは今日も自転車で、風よりも早くこの街を駆け抜ける。ナオト、ダイ、ジュン、テツロー、中学2年の同級生4人組。それぞれ悩みはあるけれど、一緒ならどこまでも行ける、もしかしたら空だって飛べるかもしれない――。友情、恋、性、暴力、病気、死。出会ったすべてを精一杯に受けとめて成長してゆく14歳の少年達を描いた爽快青春ストーリー。直木賞受賞作。
新潮社のHPから拝借。
本の裏に書いてある内容だけれども。
にゃんちー、当時高校3年生。受験勉強真っただ中(センター試験前)のことでした。
毎日学校の図書室で勉強していた(してる風)だったのだけれど、こういう時って駄目ですね…。何せ場所が悪い。読書好きがムズムズしちゃって、毎日しこたま本を借りて帰っていました。
勿論、家では持ち帰った本を読み耽るわけです。
受験なめんな、勉強しろよって話なのですが。
ちなみに大学受験は無事に受かりました。よかったよかった。ふー。
こんな読書漬けで大学受験落ちてたら洒落にならないので、当時のJKにゃんちーは母に、落ちたら浪人するかわりに東大受けます!って宣言していたくらいです。がはは。
(偏差値、東大なんて受けれるほどありませんので、死ぬ気で勉強するつもりでした。おかけで死なずにすみました。ふいー。)
石田衣良といえばIWGP、そう、『池袋ウエストゲートパーク』ですね。
これを聞いて、「うわー!懐かしい!窪塚!」とか思った方、間違いなく同世代だにゃん。
それはさて置き。
18歳、受験生のにゃんちー。
この本に出合ったのは本当に偶然で、図書館にあった小説コーナーを片っ端から借りては読んでいただけのことです。
本との出会いなんて、そんなもんです。
主人公、14歳、中2男子4名。(中2・高2はフリーダム!!某ラジオ番組より)
これを読んだ当時、同じ思春期・反抗期といえばそうなのだが、何せ、私、女子。
男子の気持ちはてんで分からない。
それでも、この小説にある10代の無防備までにキラキラした感じとか、大人と子供の狭間で揺れ動く心理とその不安定さとか、色々分かることもあるわけです。
これを当時は、ガラスの少年ならぬ、egg ART(卵の殻を削って作る細工)だと思っていました。
ガラスよりももっと繊細なんです、10代のこの頃って。
それが私はエッグアートだな、と思って。
ガラスよりも簡単に壊れるし、そもそも卵の殻を削るって超繊細な作業。
今にも壊れそうなそれは、たかが卵の殻なのに、美しい。
いとも簡単に壊れてしまう10代の心は、大人からすればたかが子供、それなのに無防備でいて恐ろしいほどに輝いて見えてしまう。
10代って大人から見れば、いわゆる青春というやつで、キラキラしていて一番良い時期に見えたことでしょう。
でも、実際そんなことなんかない。
今の大人だって、自分の10代振り返ってみたらどうでしょうか。
眩しいほどにキラキラしていましたか?
心の中はどす黒く渦巻いていませんでいたか?
10代ならではの人間関係の煩わしさ、学校に行く意味とか、無意味な(おっと失礼!)校則とか、大人の都合で変わる理屈にうんざりしたりとか。
今日の前髪のセットが上手くいかなくて、まるで人生の終わりと言わんばかりの顔で学校に行って、授業は昼寝タイム、とか。
振り返ってみれば、とても小さなことで一喜一憂し、そしてまた悩む。
恋煩いどころじゃないですよね。
基本、患ってるみたいな感じじゃなかったですか?
しかも何と戦っているのか当の本人もよく分からない。
でも着実に、少なくとも年齢だけは成人=大人に近づいていく。
当時のJKにゃんちーの感想といえば、
大人なんかよりもよっぽど複雑で繊細な10代を、大人(石田衣良)が、こうも分かりやすい言葉で繊細さと新鮮さを保ったまま書けるのか!と驚愕したのであります。
そしてこう思ったんです。
こんな大人になりたい!って。
何故そう思ったかというと、先生や親をはじめ、周りの大人たちは例えば「勉強しなさい」とか「言うこと聞きなさい」とか、大人たちが10代の頃に言われて嫌だったであろうことをJKにゃんちーに言うわけです。
どうして自分がされて嫌だったこと、私にするの?
記憶喪失かなにかですか?と思っていました。
無論、今となればその「勉強しなさい」の意味が多少は分かるのですが。
だから、石田衣良のように、よく言えば10代のころの気持ちを忘れずに大人になりたい。10代に寄り添える大人になりたいなと思ったのです。
今でも、そう思っています。
それが今の私に出来ているかどうかは定かではありません。
でも同じ目線にたつことだとか、いろんな目線があることを、頭の片隅に置いています。
それから、問題の大きい小さいは、人には決められないということ。
傍から見たら小さなことでも、当人には死活問題だったりするんです。
そういう色んな気持ちがあることを、この本を読んで、ちょっとだけ思い出したりします。
最後に。
もし10代の悩める子羊ちゃんがこれを読んでくれていたとしたら、今君のまわりにいる大人どもは、その10代の気持ちを理解してくれなたとしても、寄り添ってくれる大人は居るってこと。
このご時世、インターネットという便利ツールで世界中の人と繋がれるんです。
今いる世界が小さいとは言わない。
けれど、そこより広い世界に、きっと誰かいる。そう信じてみてください。
今日の1冊はこの辺で。
さらばにゃ!