仮説と検証【凹凸日誌】
こんばんは。にゃんちーです。
仕事の都合で全然blog書けにゃい、本を読めないのが、今何よりものストレスです。はい。
このところハマっているドラマ「僕らは奇跡でできている」
これ、チェインストーリーがあるの、知っていますか??
チェインストーリーって?
チェインストーリーって、そもそもドラマとドラマを繋ぐ物語です。本編よりも圧倒的に短く、主にはサブキャラメインで進む物語が多いのも特徴。
僕らは奇跡でできているの場合は、なんだかまるで関係がないような話が多いです。笑
本編では全然喋らないアリの研究をしている沼袋先生(アンジャッシュ児島)の、仮説と検証で成り立っています。それも、ほぼ脳内検証。それって妄想じゃん!
でもそれがすごく面白くて。いつも本編を見た後、チェインストーリーを観て、ケタケタ笑って気持ち良く終わります。私はですが。
GYAO!独占配信なので、こちらからどうぞ。
仮説と検証
沼袋先生、本当に妙なところが気に成っちゃって仮説を立てるんです。色々と仮説を立てるんです。こういうところ、研究者ですね。
仮説をたてて、検証する。その仮説が正しいかどうかを、検証をもって証明するという。ただのアリバカではない模様。
くだらない内容なので、笑って終わってしまうのですが、ふと思いました。
疑問をもつ そして仮説を立てる
仮説をたてる時って、仮説は1つじゃない。色んな可能性を探しますよね?
もしかして…から始まって、こういう理由かな?いや、違う。ああかもしれない、って。
それって別に研究だけの話だけではなくて、日常的にあると思うのです。
ただ不思議なことに、私たちは無意識の中に潜む「思い込み」によって、仮説を立てることが少ない。というよりも、そもそも何かの事象に「疑問」を持つこと自体が少ない気がする。
なんで?って思わないと、仮説をたてるきっかけにはなりません。
一見すると、沼袋先生はめっちゃくだらないところに疑問を持つんです。例えば、何故教授(小林薫)は相川一輝(高橋一生)をあんなに可愛がるのか、とか。
それは言い換えれば日常の些細な「当たり前」の出来事や風景に疑問をもつということじゃないのかと。
これ、実はすごく大切なことな気がしています。
当たり前を疑わない限り、それは当たり前から前には進まない。進歩、進化しない。もちろん、新しいものも生まれません。自分に置き換えても同じです。
なんでこれ、こんなに不便なのかな?とか、なんでこれするのかな?とか。
仕事を取り組む上で工夫していくにも、生活を快適にしていくにも、そういう些細な「気づき」から発生する。そこで「なんで?」という疑問になる。
せっかく気づいたのに、まあいっか!で終わってしまうのは、勿体ない!
考えて、現実を変えるチャンスをみすみす逃しちゃうんだもん。
検証してみる
沼袋先生の如く、脳内検証でもいいんです。(脳内検証っていう言葉が好きです)
脳内検証、でもそれは妄想。しかし立派な検証だと思っています。
それを実際にやるかどうかは、また少し違う話です。というのも、検証段階では、「かもしれない」という可能性について追究している段階なので、本当にそうかどうかは分からないから。
だから、どんなことでも、想像してみるといい。妄想レベルでいいのだ。
例えば、お金持ちになりたい!(なんて陳腐な!とか思うことなかれ)と思ったとするじゃない??
そしたら、お金持ちの自分ってどんなんかな?って妄想するんだよ。
欲しいもの買いまくってみるでもいいし、しこたま貯金するでもいいし、いっそ寄付するとかでもいいし。
するとどうでしょう・・・
お金持ちになった気分になっちゃうんだよ。あるいみ、疑似体験を脳内で行う。
こうやって検証してみればいいのだ。
そしたら、検証から逆算する。それが立証に繋がる。
仮説から検証。そこから逆算して、検証を立証(証明)するにはどうすればいいのか、を考える。
考えたら、あとは行動するだけだ。
だから考えて、動け!ということが言いたいのでなくて、ここで、立証できなくてもいいのだよと言いたい。
行動に移せた者だけが現実を変えることができる、というのは事実。
でも脳内検証まで行けるだけでも凄いと、私は思う。無論、妄想ばっかりじゃ、現実は何も変わらないけれど。
それでも気づく→疑う・疑問を持つ→検証 という過程は、少なからず自分の思考を変えてくれると思う。
もっとも、その時点で、自分の思考はほんの少し変わっているとさえ思う。
科学者たちだって何年も、いや何十年って仮説・検証を繰り返しているんだ。むしろそれが人生となっていて、立証にこぎつけた暁には泣いて喜んでいるはずなのだ。
そう思ったら、自分の人生で、仮説・検証・立証が容易ではないことがわかるし、そんなに簡単に立証できなくたっていいんだって、少し気が楽になるんじゃないかにゃ?
沼袋先生になる
ほとんどの人は自分の価値観あるいは尺度しかもっていない。しかしながら、自分の普通は、他人にとっても普通とは限らない。
それを他の価値観や尺度から物事を見てみるというのは、なかなか難しいものがある。
そういう時は、自分じゃない誰かになりきって想像してみるといい。
沼袋先生がまさにそうなんだよ。
相川一輝だったら・・・とか、他の人だったらどう考えているのかな?どうするのかな?って、自分じゃない誰かをインストールして、他人のの価値観や尺度を拝借している。
インストールしたくなる人を持っておく、別にそこには尊敬の念とかなくていいのね。
誰でもいいんだ。ただ、親しい人のほうが、インストールしやすいとは思うけど。
沼袋先生のチェインストーリーは、笑える話が多いけれど、実はもっと深いと思っている。
色んな見方があるってこと、色んな可能性があるってこと。
それを脳内でもいいから検証してみるってこと。そうするとちょっと、自分のものの見方が変わるということ。
そんなことを、面白おかしく、教えてくれている気がする。
色んな視点を持つための 想像力と妄想力の磨き方
これを身に着けるのには、やっぱり読書が手っ取り早いと思う。Twitterでもいい。
自分じゃない誰かの考えに触れる機会を持つのがいいということ。
Twitterって、ちょっと「なう」なところがあって、確固たるものがなく揺れているその過程のつぶやきもあるから一概には褒められないんだけれど。
でもその過程が面白かったりもする。その過程を逐一追っていけるのが、Twitterのいいところだと思っている。なんというのか、リアルタイムの歴史書みたいで。
一方、本は、著者の現時点での考えの「完成形」なので、若干押し付けがましさもあったりする。笑
自己啓発本やビジネス書に苦手意識を持って居る人は、おそらくその押し付けがましさが苦手なんだと思うのだ。
あくまでも推測だけれど、本という形にするまで、紆余曲折あって、あれこれ悩んで、結果的に「今」この答えに辿り着きました!という発表なのだと思う。
きっとこれを書いた人にも、そういう仮説と検証の連鎖があったんだなあ、って思ってみて。ちょっと親近感、湧かない?ちょっとだけ、本も読みやすくなるんじゃない?
小説でも同じなんだ。
誰でもいい。小説の誰かに成りきって読んでみる。と、自分の視点からでは納得いかなくても、その人の視点にたつと腑に落ちるところがあるはずだ。
小説はそうやって、疑似体験して、感覚から掴んでいくものだと思う。誰かに感情移入しながら読んで、今度は自分の中に落とし込む。
自分だったら、どうしたかな?小説と同じシチュエーションで自分だったらどう思ったかな?って。
それは妄想と言われる。妄想と想像は紙一重だ。
人とサルとの違いは、想像力の有無だ、とも言われている。もしかしたら、動物のなかで唯一想像力を持っているのが、人間なのかもしれない。
(イルカも想像力持っていそうだけどね。とても優しいから。)
想像力を養うには、他の誰かの想像力をもって補っていくほか道はない。
それが読書だったり、Twitterだったり、blogだったりするんだと思う。それぞれのツールの良し悪しはあるものの、総じて似たような効果はあると思う。
使い分けをするのもいい。
blogを読んで面白かったとしたら、このblog書いた人は普段どんなこと思っているのかな?あ、じゃあTwitterも見てみよう。とか。
私における読書の仮説と検証
私が浅く広く読書をする由縁はここにあるのにゃ。
ちょっと前まではもっぱら小説ばかりを読んでいた。本の中では何にでもなれるし、どんな悪いこともできる。笑
今になって振り返ってみると、そうやって疑似体験しながら、他人の気持ちを感じ取り、他の価値観や尺度を積み上げていく、そういう作業だったように思う。
それは、私があんまり他人の気持ちが分からなかった、ということに起因しているように思われる。
人の気持ちが分からなくて、どうやったら分かるのかな?という気づきと疑問から、小説読んだら少しは知れるかなという検証。
これは今だから立証できたと言えるけど、人の気持ち、に関することは、私は長年の読書でもって補完してきたのだ。
今ある私の中の優しさは、読書の賜物だと思っているよ。
正直に言うと、この方法は一長一短で、色んな気持ちや色んな価値観が分かるようになる分、自分の本当の気持ちや価値観を素直に吐き出すことが困難にもなる。
少なくとも、私はそうなった。相手の気持ちが想像できる分、何も言えなくなっちゃうんだよね。
今は、自分に正直に生きていきたいって思っていて、蓋してきた自分の気持ちの扉をすこーしずつ開放しているところなのだ。
相手によって心地よい距離感は違う。
だからここでもまた、仮説・検証が伴う。そうやって、誰とでも心地よい距離感ができてきたらいいなって思いながら、日々失敗を繰り返しながら、でもほんのちょっとずつ成功に向かって進んでいると信じている。
別にみんなに好かれなくていい。
でも出来れば嫌いな人は少ないほうがいいし、どんな人とでも適度な距離、それはつまり心地よい距離 を保てたらもっと快適なのになあと思っている。
私はそれを検証したり、立証するのに、読書がかかせない。そんな感じ。
お・・・長い。
私は考えを言葉にまとめるまでに時間がかかるタイプなのだけれど、書いているうちに考えがまとまってくるという逆説的なことがblogやTwitterでは起こる。
最近、これが楽しいと思うようになった。
自分の変化が、リアルに自分で分かる、といったら伝わるかにゃ?
アウトプット、大事だ。
なんとも締まりの悪い記事になってもーた。
最後まで読んでくれた方、今日もありがとう◎
巷では三連休でしたが、楽しんだ方、ぜひ何かの形でその楽しかったことをお裾分けください。私、仕事だったもんだから。幸せ、分けてくりょ。
何はともあれ、僕キセのチェインストーリーを見て欲しい!これに尽きる。笑
今日はこの辺で。またにゃん。