読書の3つのステップ【図書館便り】
こんばんは。にゃんちーです。
うっかり風邪をひいて寝込んでおりました。とほほ。
本も読めなければ、blogも書けやしない。好きなことができないだなんて!
体調管理って大事ですね…。
さて。今日は活字特にSNSや読書の書き言葉について、私が最近危惧していることを書きたいと思います。
活字を鵜呑みにする危険性
SNSなんか、特にそうだと思います。
字数制限があるせいで、至極簡潔にものを言う傾向にありますよね。それが端的ならまだしも、極端に意味が集約されている場合がある。
だから行間が読めない人たちによって、無暗に炎上しがちですよね。笑
いや、ちゃんと読んだら分かるじゃんとか、そういう意味で言ってないでしょとか。
言葉尻だけを取り上げて、つるし上げるだなんて、魔女狩りかと思ってしまいます。
行間が読めない
そこで常々思うことがあるんです。
そういう人たちって、多分、国語が苦手。日本語、読めてない。
行間が読めていないのです。つまるところ、文脈が読めない。
日本語は英語と違って、通常の文法であれば、文章のケツに結論がきます。
英語は動詞が先に来るので、結論が先に来くる。
特に私的なブログ(私を含め)やSNSは、話し言葉に限りなく近いせいもあって、文法おかまいなしで、句点によって前後するので余計に正確に内容把握するのが難しいということもあるとは思います。
が、誰の発言なのかに左右されている部分もあるはずです。
発言者のキャラクターが分かっていれば、どういう意味で言っているのか汲めるとも思うのですが、どうもそうはいかないらしい。謎。
なんちゃって読書家の思考力のなさ
大人になってからビジネス書ばかり読む人、信者かよっていうくらい特定の誰か(著者)に妄信的になっている人にありがちな傾向だと感じています。
これって、結構危険。SNSより危険!
ビジネス書や自己啓発系の本、それからSNSも、やはり少々過激なあるいは極端な物言いをする人が注目をされます。
その過激さ、極端さの裏にある意味を読み切れない。十分に汲み取れていない。
すると例えば、ホリエモン信者であれば『多動力』を読んで、勢いあまって会社を退職してしまうでしょう。
いやいや。落ち着いてちゃんと読め、って思います。
これは先に書いた行間が読めないのと同じで、読解力の問題です。
読解力というのは、ちょっとやそっとで身につくものではありません。
まして特定のジャンルの本だけを読んでいてもダメです。読まないよりはマシかもしれませんけど。
文章の読解力は、長文への慣れ、何がどこにかかっているのか把握する文脈を読み解く力、語彙力が問われます。
恐らくどれが欠けても、本当の意味で本は読めません。
読んだ気になって安易に行動へ移す、ということがとても危険な気がしています。
これは他でもなく、ただ単に本を読んだだけなのです。
行動しないよりは行動したほうが良い。でも、本を読んでそこに書いてあったから動いた、というだけなのであれば大問題。それって、指示されて動いたのと大して変わらない。
まんま、活字を鵜呑みにしているんです。
読書のスリーステップ
社会の変化についていく為にスピード感は大切です。
だからといって、流行りの本やSNSの活字を、自分で考えて嚙み砕かないままに、即行動してしまうのは、なんとういうか短絡的すぎる。
本を読むってそういうことじゃない、と思っています。
読まないよりは知識も増えるので、本を読むほうが良い。読んで終わりでいいのは、小説でエンターテイメント性の高いものくらいでしょう。
本を読むって、案外奥が深いのだ。
読んだ本から自分が得たものは何なのか。そのうえで、自分はどうしていきたいのか。これが見えて初めて行動に移すことができる。
読書って読みっぱなしでも意味がなくて、読む・考える・行動するの3つで完結するものだと思っています。
そして、なんちゃって読書家の皆様に、声を大にしていいたい。
おぬし、それ、ちゃんと自分の頭で考えたのか?
本を読んで、自分の頭で考えて、それから行動に移す。
くどいですが、この3つのステップが大事なのではないかと思うのです。
考えるという工程をすっとばしている輩が多い気がしてならない。
動かないよりマシかもしれない。でも考えずに動いちゃうアホを増やしかねない。
SNSを筆頭に、今の活字ってそういう危険性も含んでいます。
活字から刺激を受けるのは結構。そういうの大事!本当に。
でも、突っ走って派手にこけても知らねーぞ、っていう人を良く見かけます。
最近、これって結構怖いなと思っているのです。
別に人の人生だから私には関係ないんだけどね。
でも後悔先にたたずだし、そうやって煽って書いているわけじゃないのに、著者の意図とは違った方向に行きかねない。それで著者に矛先向いても、向こうも迷惑じゃないかな?と。
本の良し悪し
読書の経験値が物をいうところでもあります。でも、ビジネス書なんかは特に、良書の判別がつきやすいです。
なんか今売れているから良いんだろうな、と思って読んでみる。入り口はそれでもいいと思います。
でもそれが自分にとっての良書かどうかは、また別の話になります。
それが分からない人は、いくら本を読んだところで活かされてこない。人生に反映されてこない。
そんな虚しい時間を過ごしてほしくないなーって思います。
単純に、「こういう本読んでる自分、意識高い系」っていうファッション的アピールもあるかとは思いますけど。
やめとけ、ダサいから。そういう中身のない意識高い系ほど痛い者はないぞよ。というのが、超個人的な意見です。笑
以上、今日はにゃんちーのボヤキに近い、頭の中の本棚からでした。
今日はこの辺で。鼻声治らないのにゃーん。寝る。
またにゃん。